上田重治郎著「海石榴市の椿守り」(ブックハウス刊)より


椿の世話をする上田さ

僕が椿と関わるようになったのは、昭和二六年にこの山の一部を購入して以来のことですから、かれこれ四〇年以上たつことになります。それからは、本業の洋服仕立て業のかたわら椿にあけ椿に暮れる日々を過ごしてきました。道楽といえば本当に道楽なことだと思いますが、自分の好きなことをやり通して貫けたということでは、これほどの幸福者はないと思っています。
 「椿山・山の辺」のある山は約一万坪あり、いま約一千種、一万本の椿で覆われていますが、四〇年前は一本の椿も茂っていませんでした。まさしく一本一本、手で植えてここまで育てたものです。雑木の伐採から始まって道づくり、苗木の購入、育成、移植、水やり、獣害の防止と休みなく世話しつづけ、もちろんそれは今もつづいています。しかし、人間の一生にしたら短くはない四〇年でも、樹木の一生から見るとまだまだ若いものです。特に椿は、染井吉野や杉、檜などに比べると少しずつしか大きくなりません。全国の椿の名所といわれるところには、数百年の寿命をもつものも珍しくありません。「椿山・山の辺」もあと何十年、何百年と育っていってほしいものです。


椿山の散策路

椿は育てやすい花木です。病気になることも少なく、害虫にも比較的強く、いったん根づけばあとはほとんど世話を必要としません。
 しかし夏の干ばつ期には水やりが欠かせません。これで苦労しました。最初の頃は、大和川まで降りていきバケツやポリタンクに水をくんで山の上まであげていました。真夏の暑い盛りにはすぐにへばってしまいます。
 そこで池を掘って雨水をためることを考えました。三カ所の地面を掘り下げて、五〇〇リットルのポリタンクを埋めこみました。しかしこれが甘かった。少々の雨なら土に染みこんでたまるところまでいかない。たまるほどの大雨ならば水は必要もなく、まさに必要なときはたまっていないというわけで結局一回も役に立ちませんでした。


日本書紀の悲劇のヒロ
インをイメージした新
種の椿、”影姫”

椿は挿し木からふやした苗を山に移植します。苗はビニールハウスで一定の大きさまで育てます。挿し木でふやすと、親木と同じ種類の花を咲かせることができます。実生から育てると、親とは異なった花を咲かせることが多く、たいがい見劣りします。またちゃんとした種をつける木も限られます。
 僕は盆栽の椿を千鉢ほど育てています。鉢では木は大きく育ちませんから、台木を用意します。すでに太く成長した椿の幹を借りて、自分の育てたい種類の椿の枝をつぎます。
 台木になる椿は薮椿が多く、山に自生しているものを採取してきます。崖のふちや川岸に見つかりやすいのですが、一日歩き回って一本といったところでしょうか。根元から曲がって、盆栽に適したものは簡単に見つかるものではありません。
 つぎ方としては、瓶つぎと寄せつぎのふたつの方法をとっています。瓶つぎは、台木に接いだ穂木の元を小さな容器の水へ浸しておきます。これなら乾燥することはなく、活着率は七〇パーセントぐらいです。台木もつぎ穂になる親木も根をつけたまま接ぐのが寄せつぎで、ほぼ一〇〇パーセント活着します。活着すると幹と枝を切りととのえます。

 


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