Boku No Koibito
「ふ〜じぃ〜!」
歯をむき出してにかっと笑いながら親友が近寄ってきた。
右手で何やら2枚ひらひらと振っている。
「何、英二?」
くすっと笑って僕は勿体つけてちらつかせてたそれをサッと取りあげた。
「あ・・・これ。」
前から観たいと洩らしていた映画のチケットだ。
「ふふん。観たいって言ってたろ。」
「うんうん。観たいよ!どしたの、これ?」
「姉ちゃんからもらったんだ。不二にやるよ。」
「えー!!ホント?」
映画のチケットなんて当日買えば手に入るけど、やっぱり誰かに貰えるなんてラッキーだ。
それに実際、一緒に行く相手がいなかったんだよね。
一人で映画はちょっと淋しいし、半分諦めてたけど英二が一緒に行ってくれるなら・・・・
とすっかり舞い上がった気分が次の言葉で一転した。
「うん。俺、行けないし捨てるのは勿体無いから不二、行ってくれよ。」
「え〜っ!英二が一緒に行ってくれるんじゃないの?」
「だってぇ〜、行く暇なんてないじゃん!毎日毎日練習でさ。」
「・・・・そう・・だけど。」
そうだった。
テニスにおいて全国でも強豪と言われる青学、そのレギュラーともなれば休日も含めて毎日々々、日が暮れるまで練習する。
でもそれは女子テニス部も同じなわけで。
「そうだよね・・。僕もそうだった。休みも何もあったもんじゃないもんね。」
「でもさ、もうすぐテスト休みに入るじゃん!唯一堂々とさぼってもおとがめない休みにさ!」
「それはさぼるとは言わないでしょ。・・・でも、だったら英二もその時に行けるじゃない。」
「そんな余裕あるわけないっしょ。赤点とったらさ、その後も部活どころじゃなくなるんだからな。」
確かに・・・。
その辺りはやっぱり私立。中学にして落第点のボーダーがある。あまりに成績が悪いと部活停止になりかねない。
全国大会を控えた今、まして強豪校を押さえて勝ち進んできたとなれば、こんなところで部活停止をくらって勉強に勤しむわけにはいかない。
僕は短い溜め息を一吐きして言った。
「じゃあ、僕も行けないや。」
「不二は必死こいて勉強なんてしなくても大丈夫だろ。」
「そういう問題じゃないよ。行く相手がいない。」
僕の言葉を聞いて今度は英二が呆れたと言わんばかりの大きな溜め息を吐く。
「何言ってんの?すぐ傍にいるだろ、勉強なんて全くしなくてもいつだてトップに並ぶ奴が!」
「ねぇ・・それって・・もしかして手塚のこと?」
「あのねぇ、何で疑問形なわけ?誰かさんの彼氏じゃなかったっけ?」
誰かさんっていうのは当然、僕自身のことだった。
「だっ、だめだよ。手塚は!僕・・・誘えない。」
「はぁ?なんで〜???」
「だって、手塚は忙しいもん、部長だし、生徒会長だし・・。」
「部活は休みっつってんじゃん。生徒会にしてもテスト前に毎日活動しないだろ。」
「でもっ・・だって・・僕は・・」
だって僕は、正直分からないんだ。
僕達がどういう関係なのか―――
僕達は「付き合ってる」と周りは理解してるようだ。
いや、別に騙してるとかそういうことじゃないんだけど。
実際、僕達の関係は普通の友達とは違う・・・と思う。
毎朝、それぞれの方角からやってきて合流地点から一緒に登校する。帰りはその逆で分岐点まで一緒に下校。
特に約束をしているわけでもないけれど、いつもどちらともなく互いが現れるまで待っている。
帰りは部長の残務整理があるから、僕が待ってることのほうが多いけど、日誌を書き終わるまで隣にいるのが当たり前で、手塚も「先に帰れ」とも「邪魔だ」とも言わない。
終われば「待たせたな」とコールがあって二人で部室を出る。
テスト前に一緒に図書館で勉強したり、極稀だけど二人だけでお弁当を屋上で食べたりすることもある。
手塚がそんなことをするのは他ならない僕だけで、やっぱり僕が彼にとってそれなりの存在だからなのだと思うけど・・・、
それだけと言えばそれだけだ。
馴れ初めはなんだったっけ?
思い出せない時点でアウトじゃないか?
「付き合ってくれ」とか「好きだ」とか言われた記憶は全くない。僕から言った覚えもない。
いつものように何となく・・・
そう「何となく」が始まりの、そんな曖昧な関係だ。
ただ、僕がずっと手塚が好きだったのは紛れもなく本当で。
「恋人同志」なんて堂々と言うには年齢的にもまだ幼くて、あくまでも友達の延長にある関係なのは十分に分かっているけど、
それでも僕達二人が特別な間柄であるには違いなく、手塚とのこんな付き合いも一時はそれなりに満足していた。
ひとつ手に入れたら欲が出てしまうものなのかな。
手塚の隣が僕の場所になった。
それだけで他は望むものなんて何もないと思ってたのに、一向に進展のない関係に不安を覚える自分がいる。
もしかして、初めから進展なんてするような仲ではなかったのかと疑問に思うことさえある。
英二は手塚を誘うことに戸惑う僕を不思議がるけど、実際、僕は手塚とデートなんてしたことがない。
僕達が学校以外で一緒にいるのは登下校の道だけだ。
せめてその道をラブラブモードで歩いていたら、もう少し自信が持てたかな。
でも現実は、僕達は手も繋いだことがなかった。
手塚は多くを語る人じゃないから、僕をどれだけ好きかなんて分からない。
聞けば答えてくれるだろうか。
だけど、もし全て僕の勘違いだったら・・・・
そう思うと、自分から踏み出すことなんて到底出来っこない。
こんな微妙な付き合いですら、崩れることが怖いほど―――僕は手塚が好きだった。
「何が、言い難いのか分かんないけどさー、それなら俺が言ってやるよ。」
英二がさっとチケットを奪って廊下へ出て行こうとする。
まさか、手塚のとこ?
「わー!!待ってよ英二っ!」
「何だよ、もう。手塚とは行きたくないわけ?」
「そ、そんなことない!!・・けど」
そんなことあるわけない。
手塚と映画に行けるなら別にチケットなんてなくたっていい。
地震が来ようと津波が来ようと、隕石が降って来ようと例え火の中水の中くらいの障害があっても全然平気。
平気だけど―――
「だったら・・。」
「わ、わーっっっ!!」再び歩き出した英二の首を慌てて引き掴んだ。
「分かったから、自分で誘うからっ!だからお願い英二・・。」
「ぐぇっ、くるし・・不二・・。」
英二から手塚に頼むなんて幾らなんでも図式的に不味いだろう。
一応僕はたぶん・・だけど手塚の彼女な訳で、自分の彼とデートするのに他の男からお願いしてもらうなんて。
それに何より手塚はそういうの嫌がりそうな気がする・・・。
何かを実行するために誰かを頼るなんて決してしない人だから、彼はきっと軽蔑する。
「じゃあ、早く行ってこいよ。」
持っているチケットを英二はこれ見よがしに差し出してくる。
「今から?」
「早くしないと昼休み終わっちゃうじゃん。」
ここで行かないと英二がまた行動にでるだろう。
僕は仕方ないとばかりにチケットを取って、3年1組に向かった。
「どうした?」
「うん・・あのね・・・。」
目の前の涼やかな顔を見上げて、何故か怯んでしまう。
心臓が身体から出たり入ったりしているかのように前後に揺れている。
どうしよう・・。なんでこんなに緊張するんだろう。
何て言えばいいかな。
チケットを貰ったからって言ったら誘いやすいよね、実際そうなんだし。
断られたらやっぱりショックかな。でもその可能性のほうが高い・・よね。
テスト前だし、いくら成績がいいからって手塚も勉強はするだろうし・・。
かと言って、部活休んで・・なんて言える訳もない。
あれこれ手塚の前で考えている僕を暫く黙って待っていてくれたが、
「何かあるならはっきり言ったらどうだ?」とこれ幸いに手塚の方から振ってきた。
よしっ!
『映画行かない?』これで決まりだ!!
「辞書貸して。」
わーん!何言ってんだ〜〜!!
「英和辞典しかないが。」
「う、うん。それでいい・・・。」
「ちょっと待ってくれ。」
机まで辞書を取りに行く手塚の背中を見送りながらどっぷり自己嫌悪に陥った。
でも、まだチャンスはある。
手塚が辞書を持って戻ってきた時さりげなく言うんだ。さりげなく・・・
「これでいいか?」
「うん、ありがと。あのね、手塚!」
そのまま上手く口に乗りかけたのに、非情にも次の瞬間手塚によって遮られる。
そして次に続けるはずの台詞もそれによって失った。
「辞書ならわざわざ俺のとこまで借りに来なくてももっと近いクラスの奴が持ってただろう?」
「・・・ご、ごめん・・。」
「いや、別に構わないんだが。」
「・・・じゃあ、僕行くね。ホントにごめん。」
ここが廊下でもなんでも走り去りたい気分だった。
確かに僕は辞書を借りたくて来たんじゃない。
でも――――
わざわざ俺のとこまで借りに来なくても・・・そんな風に言わなくたって。
僕って君にとって一体何?
好きならどんな短い時間でも、どんなにくだらない用事でも会えたら嬉しいって思うのが普通じゃない。
でも君はそれを「わざわざ」って言うんだね。
そんな取るに足りないような小さな一言が僕の胸に大きく圧し掛かった。
教室に戻った僕はすぐに英二にチケットを返した。
「英二、ごめん。やっぱりこれ返す。」
「にゃに?手塚行けないの?」
僕からチケットを返されて英二は大きな猫目を更に見開いた。
「ううん、やっぱり誘えなかったの・・。」
「何でだよー。誘えないって不二って手塚に何を遠慮・・」
「何でって、仕方ないじゃん!!僕達は、付き合ってるなんて上辺だけで・・・」
僕は慌てて目を擦った。
これくらいで涙が出そうになるほど手塚が好きで。けれど想いは一方通行。
「あは・・ごめん、大きな声出して。・・・ねぇ、英二は友達と恋人の違いってなんだと思う?」
「???それは・・お互いが想いあってドキドキしたり、わけもなく会いたくなったり、いつも一緒にいたいって思うのが恋人じゃないの?」
「そうだよねぇ。でもその気持ちが片っぽだけのものなら、それは何なのかな。」
「片想い・・・じゃないの?」
片想い―――
なんだ、そうか。
考えたらそうかもしれないな。
ただ、少しばかり一緒にいる時間があるだけで、僕達は想いをぶつけ合ったこともなければ、確かめ合ったこともない。
そもそも交わる接点など初めからなかったのだとしたら・・・
手塚へのこの気持ちは片想いと同じ。
「何で、そんなこと・・?」
伺うような目で尋ねてくる英二に、誤魔化すようにくすりと笑って、僕は自分の席に着いた。
英二は不思議そうな顔をしてたけど、僕にとっては「片想い」が現状なんだ。
借りる必要のなかった辞書を出し、自分のものを机の中に押し込んだ。
ぱらぱら捲ると手塚の勉強の痕跡がたくさん見える。
「ちゃんと勉強してるんだ。」
こんな辞書ですら手塚のものと思えば愛おしい。
手塚が引いたと思われるアンダーラインを指でなぞった。
彼が触れた後を辿ることで間接的にも近くにいるような気持ちになる。
こんな風に君の影だけ追い続けている僕は、本物の君に追いつくことはできないのかな。
情けないことに授業が終わって辞書を返しに行けば、また手塚に会えるって何処かで心が弾んでいたりする。
わざわざ返しにこなくても良かったのに―――
そんな風に言われるって分かっているのに・・・ね。
××××××××
中間テスト1週間前――
テニス部にとって大事な時期だけど、学校全体の決まりとなれば仕方ない。
授業数も少なくなり、昼食後、清掃が終われば皆すぐ下校する。
靴箱で僕はいつものように手塚を待っていた。
しばらくすると珍しく幾分焦ったような歩調で手塚がやってきて。
「待たせたみたいだな、すまない。」
「いいよ、そんなの。帰ろっか?」
「いや、来月の行事で急な不都合がでてこれから話し合いをすることになった。」
「生徒会?」
「ああ。」
登下校はいつものこと。一日くらい流れたってどうという事でもないけれど
僕が唯一手塚の彼女でいられる時間だから、仕方ないとはいえ、やっぱり少しがっかりした。
「僕、待ってるよ。」
「いや、今日は先に帰ってくれ。どれだけかかるか分からない。」
「いい、別に構わない。」
「不二。何のために部活がないか考えろ。」
「・・分かった・・よ。」
僕の返事に頷くと忙しなく踵を返して、手塚はあっという間に見えなくなった。
何だ、急いで現れたのは生徒会の為ね。
淡い期待と分かっていても、僕を待たせてるから急いでくれたのかなってちょっとだけどきどきした。
独善的な自分の思いに自嘲の笑いが込み上げてくる。
『何のために部活がないか考えろ。』・・・か。
映画に誘うことができても答えは決まってたかもしれないな。
「さてと、帰りますか。」
下に置いていた鞄を取って、一人とぼとぼ歩き出す。
淋しくなんかない。生徒会の用事なだけで僕達に何があったわけでもないんだから。
でも本当は・・・
「何もない」それが淋しいんだってこと、僕は分かっていた。
家に帰ってから教科書を広げてみたが、今ひとつやる気になれなかった。
テスト休みに入ったからと言って、実際テストが行われるのは一週間後。
まだ我武者羅に勉強する気にはなれなくて、窓辺にあったサボテンを取って弄んでいた。
「こんなことなら一人でも映画に行けば良かったかな。」
思わず持て余した時間に溜め息が漏れる。
いつもなら時間を潰すことは苦手ではない。
何もせず時の流れに身を任せて過ごすことも嫌いではなかった。
こんな風に思ってしまうのは、もしかしたら手塚と過ごせた時間だったかもしれないからだ。
強引にでも待ってると言えば、勉強は図書室でも出来ると言い切れば、退屈な時間も君と帰れる楽しみに変わったはず。
その前に映画に誘うことが出来たなら、万が一の可能性だってあったかもしれない。
どっちにしても勉強は手に付きそうにないや・・・
僕は苦笑を洩らしてサボテンを窓際へ戻した。
「あ、雨・・」
ぽつりぽつりと今振り出したとばかりの雨が窓に雫の後を残す。
「あんなに天気良かったのに・・・」
窓を全部閉めて頂戴と母さんが下から叫んでいる。
僕は部屋の窓を確かめながら、一つずつ閉めてまわった。
少しずつ激しくなっていく雨音にふと気付く・・。
手塚、傘なんて持ってないだろうな。
いくら手塚でもこの雨は予測してないだろう。
天気予報でも傘マークはなかったはずだ。
まさに不意の雨と言ってもいい。
しかも暫く止みそうもない降りっぷりだ。
気が付けば弟の紺色の傘を持って、僕は家を飛び出していた。
できるだけ早く手塚に届けたくて、雨の中水を弾きながら走って学校へ向かった。
校門の前に来て僕は初めて自分の姿を顧みる。
「うわ、ずぶ濡れ・・。」
傘は差していたものの、自分が濡れることなんてすっかり忘れていた。
形振り構わず走っていたから靴の中がずくずくと水を吸って重みを増している。
「しかも、制服じゃないし。」
学校に来たというのに僕は私服のままだった。
このままでも大丈夫かな。やっぱり断りをいれてから入るべきか。
そんなことを考えながら門を出たり入ったりしていると、ある光景が目に飛び込んだ。
「あ・・。」
髪の長い如何にも清純そうな女生徒と相合傘で並んでいる待ち人その人だった。
「ふ、不二さん!」
驚いて声をあげたのは彼女の方で、隣の仏頂面は表情を変えることもなく平然としている。
彼女は少なからずも手塚と僕の関係を知っているようで、僕に悪いと思ったのか、見つかってしまったとドキドキしてるのか、僕と手塚の顔を交互に見つめ困った素振りをしていた。
幾分彼女側に傾けられて持たれた傘。
手塚の右肩が濡れて制服が雨に色濃く染まっていた。
彼女は確か生徒会の書記をやっている才媛で、物静かな雰囲気が手塚によく似ている。
お似合いのふたりってこういう組み合わせを言うんだろうか・・・と僕は彼らを何故か客観的に見ていた。
「どうかしたのか?」
手塚の声ではっとする。
君に傘を持ってきたんだけど・・・とは、さすがに言えず、
「ちょっと忘れ物・・かも。」
「かも?」
「わ、忘れ物だよ、教室に。あはは。」
「そう・・か。」
どうも僕の言い訳に説得力がなかったのか、手塚の返答は少し戸惑っていた。
「か、彼女送ってくんでしょ。早く行きなよ。」
「・・・ああ。」
「え?ちょっと手塚君?」
僕を見ながら焦る彼女の背中に促すように手を添えて、手塚は歩き出す。
僕は二人の背中を見送りながら、持ってきた傘を強く握り締めた。
これを貸せばよかっただけじゃない・・・
きっと俗に言う「浮気の現場を見た」とかではない。
手塚は純粋に傘を持っていない彼女を送ってあげようと思っただけだろう。
ならば自分の持ってきた傘を彼女に渡せば、万事丸く収まったはず。
でも僕は・・・傘を貸したくなかった。
手塚に持ってきた傘だったから、ただそれだけ・・・。
性格悪いって自分で思う。
僕にもあるんだな、女の子独特の気持ちってやつ。
つまらない意地を張っちゃった。
動揺したわけでも、傷ついたわけでもなかったのに。
いや、でも二人の姿を見てショックだったのは認める。
彼が他の女の子と仲良さ気に相合傘をしていたことじゃなく、
二人が「恋人」みたいって思ってしまった自分自身のこと。
彼女が雨に濡れないように傘を傾けてあげるなんて、あんな彼がいて羨ましいなって、何気に胸がきゅんとなってしまった。
あんな彼は僕の恋人のはずなのに―――
何が現実で何が夢なのか時々分からなくなる。
そんな自分がすごくショックだった・・・。
さっきの雨が嘘のようにあがり自室の窓から日が差し込んできた。
机に向かってはいるものの勉強なんてさっぱりする気になれず、僕はさっきからペンを鼻の下に挟んだり、指でくるくる回したり余計なことばかりしている。
やる気のなさと退屈が一目瞭然なほど、実にくだらないことに時間を使っている自分に呆れつつ、やめられないのがまた情けない。
こんなことではいけない!ここは一丁気合をいれて、苦手な数学にチャレンジだ!
勢い込んで問題に目を通してみたが、どうやら、選択科目を誤ったようだ。
俄然やる気が失せてしまった。
はぁ〜〜〜
すっかり気落ちした僕は、ぐうたらの気分転換に外でもぶらぶらしようと家を出た。
雨が降ったお陰で涼やかな風が僕の横を通り抜ける。
はっきり言って何一つまともに勉強なんてしていなかったけど、部屋に篭っていた分身体が訛っている。
心地よい風、外の空気、手を組んで真上に伸び上がると縮まっていた筋肉が開放されたようで、少しだけ気分がすっきりした。
「う〜ん!やっぱりテニスやりたいなあ。」
部活動は中止だけど帰ってから勝手に自主練することまで止められてるわけではない。
要はテストで赤点さえ取らなければ大丈夫なわけだし。
その気になればストリートテニスでもオートテニスでもボールを打つことは出来るんだ。
僕はラケット一式を取りに行こうと、今来たばかりの道を戻っていく。
角を曲がってあと少しで門まで辿り着こうという時に、ちょうど反対側からこっちへ向かって伸びてくる影を踏んで足を止めた。
「手塚?」
何でこんな所に手塚がいるのか?
一瞬見間違いかと思って目をぱちくりしてみたが紛れもなくそれは手塚で。
「ちょうど良かった。お前の家に行くとこだった。」
「僕の家?僕の家に何か用なの?」
「家にじゃない。お前に会いに来たんだ。」
「僕?」
「ああ。」
何だろう。
まさかさっき傘を貸さなかったことを根に持って・・・?
・・・んなはずないか。
「じゃあ、とにかく家に・・。」
「いや、お前さえよければ少し散歩でもしないか。」
「いいけど?」
そんな訳で僕は手塚と並んで歩き出した。けど、僕に一体何の用なのか。
横目でちらっと手塚を見上げてもいつものように愛想のない顔で前を見つめて歩くだけで、特に何を言うわけでもない。
散歩ってどこか行きたい場所でもあるのかな。
男一人では行きにくい所とか。
て、手塚が!?
でもそれってどんな場所だ???
あれこれ考えてみたが結局、訳が分からないまま、僕達は閑静な住宅街を抜け、遊歩道へ出た。
そこから見下ろせば大きな川が流れていて、川沿いの広っぱは子供達で賑わっていた。
「座らないか?」
手塚は突然僕の手を引っ張って土手の斜面を降り出した。
「え、ちょっ・・」
道にも階段にもなっていない所を行き成り下りだしたものだから僕はバランスを崩して前のめりに倒れそうになった。
こける!と思って咄嗟にギュッと目を瞑ったが、次の瞬間僕は大きな胸にぴったり収まっていて。
「すまん、大丈夫か?」
「う・・・うん。」
偶然が成した出来事とは言え、手塚にこんなに接近したのは初めてで、直接伝わる温度に心臓がどきどき音を立てる。
き、聞こえちゃう!
「ご、ご、ご、ご、ごめん。」
僕は慌てて手塚から離れてその場にしゃがみ込む。
手塚も僕の横に腰を下ろし、二人ちょうど並んだ格好で流れる川を見つめた。
夕日が水面に反射してキラキラと星を散りばめたように光っている。
元気に走り回る子供達、飼い犬の散歩に出歩く人、幼い子供の手を引く母親、恋人同士と思われるカップル達も目に付いた。
「いいね、何だか皆楽しそう。」
そんな穏やかな空気がなんとも心地よくて自然と顔が緩んでくる。
何気に視線を感じて手塚の方を見ると僕の方を見て微かに笑っていた。
見たこともない手塚の表情に不意に気まずくなって、さっと目線を戻したが、何だか緊張してしまってどうしていいか分からない。
投げ出していた足を抱えてみたり、草を毟ったりと落ち着きなくそわそわしている僕に、
「おい、膝を立てるな。」と手塚がボソリと言った。
「あ・・。」
そうか、スカート穿いてたんだった。
「でも、ちくちくする・・。」
挙動不信にごそごそしていた僕の気持ちを悟られたくなくて、つい言い訳がましくそんなことを言ってみたら・・・
ふわり―――
何やら浮き上がったと思ったら僕は手塚の膝の上に乗っかっていた。
「え?ちょっと、手塚・・。」
「これで大丈夫だろ?」
「大丈夫だろって、そういう問題じゃ・・」
「どういう問題なんだ?」
まったくどこまで鈍感に出来てたら気が済むんだ。
そうでなくでもさっきから君の事が気になってドキドキしっぱなしなのに。
こんな恋人同士みたいなシチュエーション免疫ないんだから。
僕の心臓がどうにかなっちゃうって事くらい分かってよ!
「だ、だって、皆が見るよ。」
「見られたら困るのか?」
「そ、そうじゃないけど。」
「なら問題ない。」
頬が熱い。顔が真っ赤に火照っているに違いない。
ど、ど、ど、どうしよう・・。
僕、手塚にこんな扱いを受けたのなんて初めてで、いや、それよりも手塚が女の子を膝に乗せてるなんて。
自分で女の子なんていうのはおこがましいけど・・・、やっぱり信じられない!?
一体どういうつもりでこんなこと?
そもそもなんで僕に会いに来たんだっけ?
「ねぇ、ところで何か用事があったんじゃないの?」
動揺がばれないようににっこり笑って平静を装ってみたが、ぼやけるほどの近さにある手塚の顔に慌てて下を向いてしまった。
更に顔に熱が篭る。
「別に用なんてないが?」
用はない・・・?
不思議な返事が不思議そうな声で返ってくる。
「じゃあ、何しに来たの?」
「お前に会いに来たんだが。」
「だから、何の為に?」
「理由なんてない。ただ会いたくなっただけだ。」
聞き間違いだろうか?
以外な答えに僕は顔を上げ、手塚の顔をじっと見つめた。
「・・・・・・・・・・へ?」
「へ?じゃない。お前に会いたかったと言ってるんだ。」
更にマジマジと彼の顔を見入ってしまう。
「君って・・ただ僕に会いたくなったりするの?」
「当たり前だ。自分の彼女に会いたいと思うのは当然の心理だろう?」
確かに今、手塚の唇が言ったんだよね?
「彼女って・・僕のこと?」
「他に誰がいる?」
「いない・・かな。」
首を捻って考えてみたが該当者はやっぱり僕だけだった。
「何をしている?」
念の為に確かめてみた。
手塚の後ろで違う奴が会話してないかどうか・・。
そして手塚にも聞いてみた。あくまでも念の為に。
「ねぇ、君、手塚・・・だよね?」
「さっきから何を言っている?」
聞いてみようか?
ちょっと勇気がいるけれど、今なら聞けそうな気がする。
「君さ、やっぱり僕のこと好きだったりする?」
「お前・・」
僕の眼を真っ直ぐ見つめ、口を開きかけた手塚。
次に続く言葉は何なのか、心臓が今にも飛び出て何処かへ行ってしまいそうだ。
手塚の眉がぴくりと窄まったような気もしたが、そんなことはさて置いて、期待と不安と入り混じった気持ちで、僕も目を逸らさずに手塚の答えを待っていると、
「お前・・さっきのことやっぱり根に持ってるのか?」
「はあ?」
ぱんぱんに膨らんだ風船がバンッと弾けて、頭の中をとび散った。
何だ?この答え。
だってここまでの流れから行くと僕が好きとか言うんじゃないの・・?
盛り上がった気持ちが一気に急降下する。
「さっきのことって?」
「いや、つまり・・・その・・」
珍しく言葉を詰まらせる手塚。学校では平然としていたのに・・・。
相合傘の彼女の事だと分かっていてわざと聞いたわけだけど、手塚のその態度は予想外だった。
「何で僕がそんなこと根に持たないといけないわけ?」
「何も思わなかったのか?」
「・・・まあ。」
「そう・・なのか?」
何も思わなかった訳ではないけど、あの場合手塚が送っていくのは極当たり前の事と理解したつもりだ。
いや、傘がない彼女を放っておくような人ならきっと好きではない。
だけど、僕の答えに拍子抜けしたような、がっかりしたような、そんな手塚の表情が伺える。
「お前は俺が他の女と一緒にいても平気なのか?」
「手塚は気になったの?」
「・・・悪いか。」
むすっとする手塚。
言わんとすることも何となく分かった。けれど、何でそっちが不機嫌になるわけ?
じゃあ僕は一体どうしたらよかったっていうの?
気になったんならその時に言い訳の一つもすればよかったじゃない。
だったら持ってた傘も素直に貸してあげるって言えたのに・・
そこまで考えてある一点に辿りつく。
まさか・・・もしかして、やっぱり手塚、君は・・・。
「やっぱりそうなんだね。根に持ってるのは君の方でしょう?僕が傘を貸さなかったから!」
「傘?・・・何のことだ。」
「手塚に持って行った傘の事だよ。でも君、用意周到すぎるよ。あんな予想外の雨まで対応できるなんて。」
あんな突発的な雨まで予想していた手塚のぬかりのなさははっきり言って面白くなかった。
それとやっぱり傘を貸さなかったことを実はずっと気にしていた。
そんな本心がぽんぽんと口を付いてでてしまったのだ。
「忘れ物じゃなかったのか?」
「・・・・っ。」
ぼ、墓穴・・・。
「あ、えっと・・・。」
なんでこんな展開になるのか。
しかも僕は手塚の膝の上で、しっかり腰まで支えてもらって、どう考えても不利じゃないか。
「ご、ごめん、嘘付いて。でもホントに君達を疑ったとかじゃないの。手塚は責任感の塊だからそういうことも、まあ、あるだろうって。ただ・・」
「ただ?」
「ちょっと羨ましかっただけ。なんか二人が素敵過ぎて。だから意地悪したくなったの。」
「よく・・分からんが?」
そら、そうだろう。
自分の彼氏が他の子といるのを見て理想のカップルと魅了されたなんて普通は有り得ない。
「だって彼女、頭いいし。手塚と同じだもん。」
「お前も成績は悪くないだろう。」
「それにスポーツも万能だって聞くよ。やっぱり手塚と同じ。」
「お前が言ったら嫌味だろう。」
「それでもって美人だし。手塚もかっこいい・・。」
「お前の方が可愛いぞ。」
「あのさぁ!僕真面目に話してるんだけど。」
「俺も真面目に話してるんだが。」
「・・・・・」
次の台詞が出てこないまま僕は口をあんぐり開けていた。
確かにこの手塚がからかってるとは思わないけど、随分僕のこと過剰評価してないか?
これじゃ、ただのバカップルだ。
だけど手塚はそれだけ僕を思ってくれてる・・・んだよね。
一気に力が抜け落ちた。
結局僕は片想いでもなんでもなく、やっぱり手塚の彼女だったわけで。
手塚の気持ちがちゃんと僕にあることもあっさり分かってしまった。
本当ならば跳び上がって喜んでもいいくらいなのに、あまりに拍子抜けな結論で、反って満足感がない。
でもこのままの関係が続く限り満足なんてする日がくるのかな。
僕達が恋人ならそれはそれで、物足りないお付き合いに違いないわけだし。
僕は一体彼に何を求めているんだろう。
何をしてもらったら、何を言ってもらったら満足できるんだろうか。
僕自身はどうなんだろう。
想いばかりが膨らんで、自分から何一つ行動したことなんてなかった。
映画ひとつ誘うこともできないくせに。
自分のことしか考えたことなかったけどそんな僕との付き合いを手塚はどう思ってるんだろう・・。
「ねぇ、手塚は僕といて楽しい?」
「どうした?急に。」
「僕はね・・・正直よく分からない。ううん。楽しいか楽しくないかって言うと楽しくないのかも。」
「・・・・・」
「僕ね、君といるといつも緊張するんだ。嫌われたくなくて、しっかりした女の子を演じちゃうの。重荷になりたくないから遠慮もして。でも、そんな自分の行動がいいのかどうかも分からなくて、否定されてるのかな?って思うようなことを君が言うと・・・。」
「不二・・?」
何故だろう。
今まで何を思っても、何を感じても君の前でこんな風になったことなんてなかったのに。
こんな自分を見られて君に呆れられたくなかった。
だからずっと君の前では平気な振りをして笑ってきたっていうのに・・・。
僕の眼からは透明の雫が溢れ出していた。
拭っても拭っても止めることができず次から次へと頬を濡らしていく。
「・・・君が言うとね、本当は・・・ひっ・・こんなになっちゃうんだ。だけど・・・ぐすっ・・やんなっちゃう。昔から・・ひくっ・・作り笑いが得意でさぁ。君に傘持ってきたんだよって、そんなことさえ言えないなんて。僕が本物なのに・・・ふぇっく、・・僕がホントの君の彼女なのに。あまりにお似合いで二人の姿に憧れちゃうなんて・・・そんなのないよ。しかも君ってばちゃんと傘用意してるんだもの。午前中は快晴だったのにぃ〜〜〜!」
だんだん止まらなくなってきた。
しかも話が前後して言ってることが完全に支離滅裂だ。
「すまない、せっかく持ってきてくれたのに気付かなくて・・。謝って済むことではないが――」
「別に手塚は悪くない〜〜〜。ぅわぁ〜ん!!」
もうここまできたらどうにでもなれ。
目の前で大声で泣きじゃくる僕に手塚もすっかり困った様子を見せる。
「不二、泣かないでくれ・・。どうしていいか分からなくなる・・。」
「うぇっ・・うっく・・ぐすっ・・・ひっ・・」
僕は手塚が狼狽えたところを初めて見た。
それは僕が見境なく泣き喚いているからなわけで。
あの手塚にこんなに困った顔させてるのが他ならない僕だと思うと、やっぱり自分は手塚にとって負担な存在なのではと思えてならない。
するとますます悲しくなって、早く泣き止まなきゃと思っているのにそれどころか激しくなる一方で・・。
「ごめっ・・・てづ・・か・ひっ・・・僕、君を・・・困・・ら・・せっ・・たい・・・わけじゃ・・・な・・のに・・ごめん・・ごめ・・なさ・・」
切れ切れの単語を一生懸命繋いで、何とか言葉にした後、僕は吸い込まれるように手塚の胸に収まった。
「そんなことで謝らなくていい。何もお前が謝ることなんてない。」
優しく響いた手塚の言葉。
力強く抱きしめられている身体。
相変わらず泣きやめない僕に困ってはいるようだったけど、手塚はそれ以上何も言わずずっと僕を見守ってくれていた。
どれくらい泣いていたのか。
きっと酷い顔をしているだろう・・。それにあれだけ泣きじゃくればその後どう振舞えばいいのか。
すでに涙は止まっていたが手塚の背中に腕を回して、顔は胸に埋めたまま動くことができなくなった。
「不二、・・・大丈夫か・・?」
うんともすんとも言わず、ぴくりともしない僕を心配して手塚が声を掛けてきた。
回した腕をゆっくり解いて、手塚のシャツをきゅっと掴む。
「大丈夫じゃない・・・。君のここ、涙でぐしょぐしょにしちゃった・・。」
「そんなこと気にするな。」
未だ顔を上げない僕に気遣いの言葉をくれる。
「でも・・・、きっと鼻水もついてる・・。」
「・・・・・」
手塚は僕の告白に暫く間を空けてから「それも気にするな。」とボソッと言った。
夕暮れのオレンジ色の光が僕と手塚の頬を染める。
登下校と同じようにただ横を歩いているだけなのに、今の僕は絶対的な安心感に包まれていた。
僕はここにいてもいいんだって、手塚の横顔が言ってるような、そんな気がした。
「少し遅くなったな。」
「大丈夫だよ。まだ日は落ちきってないもの。」
「当たり前だ。普段そんな時間までうろついてるんじゃないだろうな。」
「うろつくなんて・・・でも家に着く頃はいつも真っ暗だよ。」
手塚の表情が一転する。鋭く僕のことを睨んで眉間に得意の皺が何本も刻み込まれていた。
「何を考えてるんだ。そんな時間まで危ないだろう!」
と大きな声で一喝されて僕は唖然となる。
「だって、部活だし仕方ないよ。君と別れるまではぎりぎり日があるけれど、バスに乗ってるうちにすぐ暗くなっちゃうもの。」
「だからと言って・・・部活?」
「うん、部活。」
「そうか、部活だったな。すまない・・。」
ぷっ――
一人で勘違いして怒った後、素直に謝罪する手塚が可笑しくて、何だかちょっぴり可愛くて。
だけど手塚、僕が遅くまでふらふらしてるんじゃないかって疑ったんだね。
侵害だ。
遊びもせずに練習に打ち込んでいる僕に対して、信用がないんだね!
これは思いっきり文句言ってやんなきゃ!
「なんでそんな嬉しそうなんだ?」
「そんなことないよ。誤解されて怒ってるんだから。」
「満面の笑みに見えるんだが・・。」
自然に頬が緩んでしまう。
だってそれだけ僕を心配してくれてるってことでしょう。
ちょっとだけ鎌をかけてみようかな。
「君を待たなきゃ、もう少し早く帰れるんだけど?」
ちらっと上目遣いの目線を送る。
ばつの悪そうななんとも言えない手塚の表情が返って来た。
「嘘だよ、バスを降りたらすぐ家だから大丈夫だって。」
くすくす笑って言う僕に怪訝そうに「これからは送っていく。」と一言。
「いいよ、そんなの!ホントに大丈夫だから。」
「だめだ。お前の言うことは信用ならん。」
どういう意味だ。信用ならんとは聞き捨てならないな。
だけどこんなやりとりが快感なんて言ったらまた君は顰めっ面をするのかな。
あの鉄壁な手塚を揺るがすことが出来るのが僕だなんて。
君の一言一言からそれが痛いほど伝わってきた。
恋人と友達の違いなんて些細なことかもしれない。
僕にだけに向けられる君の気持ちがある。
僕にしか見せない顔がある。
それは君の僕への想い、
僕だけの特権―――
「今日は来てくれてありがとう。僕、嬉しかった。」
「ああ。」
素直にそういう僕に手塚も優しい顔になる。
「また、明日ね・・」
「ああ。」
家の門前まで送ってもらって、もうこれ以上一緒にいることはできない。
一気に淋しさが込み上げてくる。
テストさえなければ上がってもらうところだが・・。
いや、手塚がこんな時間から他人の家に上がりこむなんてどっちにしても考えられない。
明日になれば会えるのに・・・こんな気持ちになるなんて。
「不二?」
名前を呼ばれていつの間にか手塚の袖口を掴んでいたことに気付く。
「あ!ご、ごめん。つい・・。」
慌てて手を離したが、シュンとなった表情は隠しようがなく。
もう自分の気持ちはごまかしたくはない。
胸に溜めていては今までの繰り返し。
たとえ疎まれても偽りの自分を見せることは、僕を大切にしてくれる手塚にも失礼だと思うから。
「ごめん、何か急に淋しくなっちゃって。」
「またお前を傷つけるようなこと言ってしまったか?」
「・・・?」
「否定しているつもりはないんだが、少々言葉が足りないのは認める。」
僕ははっと顔を上げた。
手塚、もしかしてさっき僕が言ったこと気にして・・・。
「ち、違うよ!君は何も言ってない。今までは・・その・・僕自身の問題だったんだ。君に想われてるって自信がなかったから。」
「自信?」
「僕達ちっとも恋人みたいじゃないって、君の気持ちが分からないって思ってたんだ。だからね、いつも別れる時は淋しかった。行って帰ってするだけのそんな関係がすごく不安だったの。でも、おかしいよね。今日はそんなことないのに、いつもより何倍も離れるのが淋しいなんて。僕って贅沢だから明日になれば今日はもう過去になっちゃって、また君が分からなくなるかもしれない。君に想われてるって分かったのに、すごく幸せでそれだけで十分だって思ったのに、もうこうして離れたくなくなってるなんて、僕って欲望の固まりだね。僕一人がこんなんで、どうしようもない・・な。」
手塚は腕を組んで僕の告白を黙って聞いていた。
さっきあれだけ泣いたのにまたじんわり涙が浮かんでくる。
手塚が困ると分かっているのに、これじゃホントに嫌われちゃうよ。
手塚の長い指が僕の瞳にそっと触れる。
そして僕の眼に映る君が優しく微笑んだ。
「皆同じだ。俺も・・同じだ。恋ってそういうものじゃないのか。」
「手塚も同じ・・?」
「ああ。俺だってお前に求めるものはある。それを手にしたらきっと次が欲しくなる。確かなものを掴める日などないのかもしれない。いや、だからこそずっと想っていられるんじゃないのか?」
「ずっと次を求めたくなる・・の?」
「ああ、そうだ。」
手塚を見つめる僕の瞳が揺れて、君の顔がはっきり分からないよ。
でも僕は君に追いつくことが出来たのかな。
ううん、気付かなかっただけで初めから君はずっと僕の隣にいた。
「好き・・。君が誰よりも好きだよ。」
「不二。」
「えへ、初めて打ち明けた気がする。付き合いだして長いのにね。」
「やっと、笑ってくれたな。」
手塚もふっと笑みを浮かべる。
そして大きな手が僕の頬を包み込んだ。
その後、僕の耳に確かに届いたその言葉。
「俺も、お前が好きだ。」
また涙が溢れだして、君の手を濡らしていく。
「も・・一度言って・・」
「そんなに何度も言えるか。」
ぶっきらぼうに言った後、言葉の代わりに手塚が僕にくれたもの―――
この状況が信じられなくて、時間がスローモーションになって頭を通り過ぎた。
英二に返した映画のチケット。
借りなくてもよかった手塚の辞書。
雨の中びしょ濡れになって持っていった傘。
全て空回りした僕の気持ち。
ついさっきまで手塚の気持ちが分からなくて、自分たちの関係を疑って。
けど目の前の手塚は間違いなく彼自身。僕を好きだと言ってくれた。
僕の気持ちも本物だ。
互いの想いはこんなに単純だった―――
恋とか愛とかそんな不確かなものじゃなくて、ただ僕は手塚が好き、そして手塚も僕が好き。
自分の気持ちを信じよう。手塚の気持ちも・・・信じよう。
だから僕はそっと瞳を閉じる。
ほんの一瞬、微かに唇に触れただけ・・。
余韻のほうがずっとずっと長くって、暫く目も開けられず固まっていた僕を、逞しい腕がぎゅっと抱き寄せた。
初めてのキス――
誰よりも大好きな人と何よりも嬉しい瞬間
手塚の胸の中、真っ赤になった顔を上げられず、でも心地よくてもう少しだけこうしていようと僕も彼の背中に手を回した。
××××××××
いつもと同じように登校すると、いつもと同じように手塚が待っていた。
「お早う!」
「ああ、お早う。」
そしていつもと同じように二人並んで歩き出す。
昨日までと何も変わらないそんな朝。
だけど前はそんなに意識しなかったのに、時々腕と腕がすれることにやたらドキドキしてしまう。
今までもこんなに接近してたっけ?
あ、また―――
互いに顔を見合わせる。
もしかして手塚も同じこと思ってた?
クスッ――
どちらともなく出された手。
そっと指を絡めて力を入れてみた。
隣の顔を見上げると、さっと目線を逸らされたけど、二つの手は繋がれたまま。
徐々に道行く生徒の数が増えてきて、後ろから来た自転車が通り過ぎる瞬間、ヒューっと囃すような口笛の音が聞こえた。
僕は慌てて手を引っ込めかけたけど、手塚は僕の手を離さなかった。
「ねぇ、手塚。見たい映画があるんだけど、今度付き合ってくれる?」
もう遠慮なんてしない。
断られたって君の気持ちは分かっているから、僕は平気。
「では、今日行こう。」
「え、きょ、今日!?一応聞くけど何のために部活がないか分かってる?」
「今日だ。」
表情はいたって冷静、話す言葉も淡々としていて。
だけど今の僕にはちゃんと分かるよ。
繋いだ手から伝わる温度は心のぬくもり。
とっておきの気持ちで僕を包んでくれている。
大好きな僕の恋人―――
「うん!」
END
10000打を踏んでくださった楢咲きずな様のリクエスト「女体塚不二初キス話」でした。
大変お待たせしてすみませんでしたっ。しかもこんな出来で重ね重ね申し訳ありません(>_<)
ファーストキスなんて可愛いお題を頂戴して、恋に恋するpureなフジコを目指したのですが、ただ何にもしない手塚に欲求不満なだけ・・?のような(苦笑)。
いえ、フジコはその「何」を深くは考えてないのです。手塚に想われてるというだけでお腹がいっぱいな子なので。でも手塚は違います。
求めるものを手にしたら次が欲しいとさらりと言い切ってるところがやっぱり手塚です。初めてのチュウを済ませた今、手塚にとって次とは何なんでしょうね?文中で突っ込みたい気持ちはやまやまだったんですが、せっかくの純なお題を台無しにしそうなので、初々しい中学生で終わることにしました。
こんなもので大変恐縮ですが、お受け取り下さると嬉しいです。
リクエスト本当にありがとうございましたv