空港で人の行き交う雑踏の中に身を置きながら、僕の心は別の場所にあった。
人の喧騒が全く気にならないほど遠くに感じ、目の前にはまるで君しかいないようだ。

その動きを目で追う際聞こえてくる君の音。

無造作に持っているパスポートに指が擦れる音。
時間を確認する時袖口を捲くる音。
無意識に髪を掻き揚げる時指がすり抜けていく音。

他にも聞こえる。
腕を組みなおす音、靴が地面を蹴る音、口から漏れる息の音、ほんの僅かな音も君という塊になって僕に響く。

いつの間にこんなに囚われるようになったのか.

始まりは決して思慕の情などではなかった。

ただ惹かれただけ。

君の持つ空気は、僕のそれとは正反対なのに、何故か無償に気になった。
物静かな雰囲気、淡々とした言動、動かない表情、君を纏うオーラが誰も寄せ付けない、そんな感覚を覚えながらも根底には何か同じものを感じた。
互いの奥底に眠っている情がまるで磁石に引き寄せられるように相俟って、気が付けば君の隣が僕の、僕の隣が君の居場所になっていた。
まるでジグソーパズルの隣合わせのピース。他のものでは絶対に嵌らない、埋めることはできない僕と君だけの絵画がいつの間にか完成していた。
色彩も線も形も決して目には見えない。内面のイメージがそのまま溢れ出し僕達は一つになったんだ。
元は同じ人間だったんじゃないだろうかと錯覚しそうなくらい、ずっと捜し求めていた自分が帰るべき場所を君に浮かべながら、僕自身をその身に溶かしていく日々を重ねてきた。

そして僕達は今、分離の時を迎えようとしている。

自分の半身がなくなる、この事実を目前にしながら何故か僕は君を遠い目で見つめていた。
手を取り合って別れを惜しむこともなく、激励の言葉を掛けるわけでもなく。寂しいと縋ることもなく―――。
少し離れたところから、行ってしまう君を他人事のように見つめていられるのは、君が「いなくなる人」だということがずっとどこかで分かっていたからだろう。

君と過ごした時間(とき)は、不思議なくらい僕は僕でいられた。
自分を曝け出すことを得意としない僕。不二周助という完成したイメージは唯一君の前では崩れ去った。
僕は本心からよく笑ったと思う。くだらないことに向きになったこともあった。照れたり、怒ったり、拗ねたり。不安に泣いたことも何度もあった。
何も考えずただ純粋に、本能だけで感情の器をひっくり返す小さな子供と同じように。

君が僕を引き出した。
君は僕の前でとても我侭だった。自分のことは優先するし、欲しいものは手に入れようとする。
相手の気持ちはお構いなしに言いたいこともはっきりと言う。
そして遠慮もなしにずけずけと僕に入り込んだ。
だけどその事に気付いた時にはもう、僕は君を追い出すことができなくなっていた。自分を誤魔化すこともできなかった。


いつの間にか君の隣にいることが当たり前になっていて、いつの間にか「好き」という気持ちがくっついていて、いつの間にか僕達は抱き合っていた。
まるで引きあうことが決まっていたかのように、あっけないほど自然に。

不思議なほどに日々恋しさは増していく。
君と共に在る時間が至福であり、同時に君がいなくなった後僕はどうなるのだろうと怖くもあった。
だから僕は何度も君を呼んだ。
見えない気持ちを形にしたくて、愛されてると確認したくて、傍にいると安心したくて。

君は気付いてただろうか。

「ねぇ、手塚?」

僕が君を呼んで暫くそのまま黙っていると、必ず僕の名前を呼んでくれる。

「何だ不二?」

不二―――

君の口から僕の名前を紡いでほしくて、
孤独に還る不安と恐怖を消したくて、


何度も何度も君を呼んだ。







いなくなる君が確実になったのは全国大会が終わって僕達が部を引退した後だ。
僕達の経過と同じく、あっさりしたものだった。


君に僕を曝け出すことは、一種の快感。
隠す必要のない安堵感と君だけにという優越感。

でも僕は、この日からひとつだけ「僕」を隠すことにした。

君のテニスを知っていたから。
夢、情熱、努力、そんな大袈裟なことよりも、ただ君のテニスが好きだった。
君のテニスを見続けるために、僕の涙は不必要だ。


だから君の前で決して泣かないと決めた。



そして今日、手塚は僕の前からいなくなる―――





Call



「不二、手塚のとこに行かないの?」

ぼんやりと手塚の姿を見ていたら、不意に横から声が割り込んできた。
今日の別れを周りのほうが気遣ってくれているようだ。

「あ、うん。そうだね。でももう何も言うことないから」
「何だよ、それー。何も言わなくても最後まで一緒にいたいと思うもんだろ」
「いたよ。昨日、いーっぱい一緒にいてもらったから。それに今日は皆で見送りに来てるんだしさ、手塚も皆と話したいだろうし」
「でもさあ・・・」
「クスクス―――、別に今生の別れってわけでもないんだし、電話もメールもあるしね」

電話やメールが今後活躍するかなんて分からない。
これが今生の別れでないとも限らない。
本音はそのあたりにあるけど、とりあえずなことを言っておく。

「だからって、何もそんなに離れていなくても・・」

英二は手塚とは違う意味で一番僕の近くにいた存在だ。
僕の手塚への想いが分かっているだけに、手塚が行ってしまった後の僕を考えて、胸を痛めてくれてるんだろう。
後のことなんて想像もできないのが現実。だけど今の僕は彼の旅立ちを達観してしまっていた。







『留学・・?』
『ああ、中学を卒業したらロンドンへ行くことにした』

以前、カリフォルニアへの留学の話が舞い込んだ時、手塚はあっさり断った。全国大会で僕達と戦うことを選んだんだ。
だけど僕は「君がいなくなる日」がもうそこまで来ているとその時悟った。
まさかそんなに早く訪れるなんて正直驚いたけど、手塚はテニスで表舞台に立つ人間だと僕なりに理解していた。
全国大会は夏で終わる。その後、手塚が囚われるものはない。それに何よりも手塚自身がそれを望むだろう。
きっと早ければ早いほどいい。
これまで漠然と予感していた「別れ」を初めてリアルに受け取った瞬間だった。
そしてその時はやはり当然のようにやって来た。

『へ・・え、そうか。とうとう決めたんだね』
『ああ。・・不二・・俺は・・』
『何深刻な顔してんの。手塚でもやっぱり不安なんだ。知らない土地へ一人で行くんだからそれも分かるけど、夢への第一歩でしょ。もっと晴れ晴れとしてもいいんじゃないの?』

僕はわざとくすくす声をたてて笑う。

『そうだな』

手塚も微かに笑って、言葉の先を口にしなかった。
何となくだけど僕を気にしてるんじゃないのかなって直感した。
それは恋人としたら喜んでもいいことなんだろうけど、僕は手塚の負担にはなりたくない。
だから決して戸惑ったりしてはいけなかった。
何もないように平気な振りをして笑っていなくちゃならない。
手塚が旅立つその日まで、笑顔の下に張り付いた「本当」は決して見せてはいけなかった。

手塚のテニスが好きだ。

それだけを事実にすれば、僕の心の裡を封じめる事は簡単だった。
だから今、旅立っていく君を、冷静に見つめていられるのかな。
今日くらいは感傷的になってしまうかもってちょっとは思ったんだけど、意外に大丈夫そうだ。
達観というよりは慣れてしまっただけ・・・なのかな。
君の近くではすっと感情がコントロールされる。

いつの間にかそれが自然になっていた。









「たくっ!俺の前まで無理することはないだろっ!」
「無理って・・。僕は本当に、―――」
「嘘付け!手塚の留学が決まってから、不二はたった一度も何も言わないじゃん!お前らみたいな関係なら普通は言うだろ?」

英二は僕の言葉を遮ってやけに勢いよく捲くし立てる。

「普通って何?」
「淋しいとか、悲しいとか、何でもいいんだよっ!分かるかんなっ、どうせ手塚にも何も言ってないんだろ」
「そんなこと・・」

図星だけど。

あえて続く言葉は声にしなかった。
それに本当にもういいんだ。
今更、別れを惜しんだって、手塚が行ってしまうのは変えようがない。
それなら気持ちよく、清々しく、後腐れもなく送り出したいじゃない。
英二にしたらもどかしいのかもしれないけど、せっかくここまで来たのに。
あと少しなんだ。あと少しだから―――


「とにかく、手塚んとこ行こうぜ」

英二は僕の手をぐいぐい引っ張って手塚の前まで連れていこうとする。

「ちょっ、英二・・。」
「ほらほらとにかく話しなって。手塚もさ!」

手塚とばっちり視線が合って言葉に詰まる。

「えっと・・」

面と向かうと凄く気恥ずかしい。
昨夜まで手塚としていたことを考えると、向かい合って言葉を掛けるくらいで照れるのは酷く滑稽だけど。
重なるほどに近くにいても、互いの熱を交し合っても、君の旅立ちに僕が触れる事は一切なく。
今まで一言も口にしなかったことを、ここに来て別れの挨拶なんて、我ながら白々しく感じて。

「あ・・・その、今更なんだけど元気でね」

本当に今更だと思って、そのまま伝えた。それ以上続ける言葉も見当たらない。
手塚の留学が決まってからずっと、出発を控えた昨日ですら、僕達はそれまでと何変わることなかった。
部活を引退していた分、所謂濃厚なお付き合いだったというか、以前よりプライベートな距離で過ごしてはいたけれど、
でもそれは一緒にいられるうちにとか、最後を惜しんでとかではなく。
本能のまま君が好きで、僕が好きで、それが僕達の本当だと思ったから、そのことに忠実でありたかっただけ。
他愛ない会話をして、ただ寄り添って、愛し合う。
そんな時を変わらず過ごしたらいいんだって、全て正直な僕の気持ちだった。
―――けど同時に自分に言い聞かせながら、今日まできた。


嘘は付いてない。

ただ鍵をかけた箱も持っているだけ。
中身は大きな君の未来であり、ちっぽけな僕のプライド。


『じゃあね』

昨日最後に言った僕の台詞もいつもと同じ。
十数時間後に先の長い別れを迎える者の言葉じゃないと自分でも思う。

『・・・ああ』

返答は幾分逡巡したかのような、そんな間を感じた。
でも手塚は僕が口にしないことを自分から振ってはこない。
それは僕にとってはとても都合の良いことだった。


だから笑えたよ。
来る日も、来る日も・・・心で泣いてるなんて絶対分からないように。
悲しみや寂しさを味わうのは孤独がいい。
君といる時は、ただ君が好きな僕でいればいい。
そして僕を好きな君を単純に受け止めていたかった。




だからいなくなる君を意識してはいけなかった。

君の前で涙はいらなかった。

最初は結構我慢したけど

堪えて笑ってるうちに

一人でも泣けなくなった。









「元気でね」の後何を言っていいか分からず僕は目線を外した。
どうしよう、落ち着かない。英二も気を利かせたつもりかいつの間にか傍にいなかった。
暫く沈黙が続いて、どうにもこうにも居心地が悪くて、皆の所へ行こうって誤魔化そうと思った瞬間、手塚が僕の名前を呼んだ。

「不二――」

僕は慌てて顔を上げる。

「何も聞いてなかったと思って」
「何もって・・何を?」
「・・・・・」

手塚にしてははっきりしない態度だ。
答えてくれないことには何が言いたいのか良く分からないじゃないか。
僕が手塚に言わなかったことは、この留学についてのことだけ。
確かにこれについては冷たいくらい無関心を装ったし、頑張れと応援の言葉すら掛けなかった。
でも手塚がそんなことを気にしているとは思えなかったんだけど・・。

「あの・・・ね、僕も頑張って欲しいって思ってるよ?」
「ああ、ありがとう。でもそういうことではなくて・・」
「なくて?」
「ああ・・・」

真直ぐ僕の眼を見ない手塚。
こんなのは初めてだ。
やっぱりセンチメンタルな振る舞いの一つくらいはしておくべきだったのか。
さすがの手塚も「じゃあね」には不満があるかもしれない。

「えっと・・・淋しくなるね」

一応本心だけど、あまり前に出してはいけないと思うから、取っ手をつけた様に言ってみた。
手塚は少し目を見開いた後、それまでと打って変わって僕をマジマジと見つめる。
それからぷっと吹き出した。

「今日は、『じゃあね』じゃないんだな」

やっぱり「じゃあね」は気にするところだったのか。

「愛想なかったかな?」
「いや、悪い意味ではない。またすぐ会える感じでいい」

そう言って手塚はくつくつ笑い出した。

「そうなの?」
「ああ。そうだ」

僕の意に反して手塚は笑い続ける。
僕も相当だけど、手塚も対外変わってる。
これから別れを迎えるって言うのに、しんみりするどころか、普段見せもしない笑顔を惜しげもなく披露して楽しそうだなんて。
いや、僕はわざとっていうか、敢えてそうしてきただけだから、さすが手塚ってことだろう。
それとも、所詮僕との別れなんて手塚にとってはこの程度のことなのか。
でももう、それでもいいや。こんな風に穏やかに笑って別れられるなんて、良かったんだと思う。

でも・・・?

「じゃあ―――」

・・・君は僕の何を聞きたかったの?
僕が君に伝え足りなかったことって他に何があっただろう。
僕は手塚の返事を待った。

「いや、その、俺はお前のことを何も知らなかったと思ったんだ。」
「僕・・のこと?」

不思議な空気だった。
隠していたのは一つだけ、君がいない日々への怯えた感情だけ。
それ以外は真直ぐでいたつもりだった。
家族しか知らないような、いや、家族でさえ知らないような僕のありのままを君には曝け出せていると思っていた。
それは手塚用にわざと作り上げたのではなく、僕の本質、僕の本能、僕の本心が自然に流れ出てしまって、ただ押さえることができなかっただけだけど。
それでも君が「僕」という人間を一番深く知っていると自負していただけに、君の言葉が少し痛かった。
それは僕の思い違いで、ただの自惚れだったのだろうか。

「君に僕は伝わらなかった・・・ってこと・・?」

つい自嘲的な笑いが漏れた。
今まで信じてきた二人のあり方が根底から崩されたようで。
それでも僕は精一杯笑ってみた。だってこれ以上どう足掻いたって君はいなくなるんだもの。
平気だよ。あの日からずっとこうやって笑ってきたんだから。

あと少しだけ――、あと少しで僕は自由になれるんだ。
そしたら、もう泣かせてあげるって、きっと神様が許してくれる。

それで何もかも終わるから。

だから平気―――



「僕は読めないって乾もよく言うもんね」

あっさり締めればいいと思った。
でも、さらっと言った僕に返ってきた言葉は少し意外なものだった。

「俺が言わせなかったからな」
「・・・・?」


話の前後が僕の中で繋がらず、意味がよく分からない。
いろいろ頭の中で考えてみるけど、手塚は何が言いたいのだろう。

「よく分かんないんだけど・・?」

素直に疑問を口に乗せてみると

「俺は自分のことだけお前に押し付けてきたから・・」

更にややこしい答えが返ってきた。

「手塚が・・?そんなこと別に――」
「いや、そうなんだ」

手塚が僕の言葉を止めて言い切る。その面は凄く申し訳なさそうにも見えて。
でも僕は手塚に何かを押し付けられた覚えなど全くなく、寧ろ誰と過ごすより伸びやかでいられたんだけど。
訳が分からない僕は手塚の眼をじっと見つめる。
そうしたら手塚はこれまで聞いたことのない事を熱弁しだしたから本当に驚いた。

「俺はいつも自分が優先で、それをいつも前に出してしまっていた」
「・・・・・・。でも君は僕にどうこうしろとは一度も言わなかったじゃない?」
「言葉が全てじゃない。俺の態度や行動がお前を縛っていた。俺は自分がこうあらねばならない、こうあるべきだということに前向きでありたかった。それが俺の在り方だと信じてきたし、間違っていたとも思わない。だが、お前にもそれを受け止めさせてしまった。お前はいつも笑ってくれたから。俺はいつの間にかそれに甘んじて、満足してしまっていたんだ。ふと気付けばお前のことは聞いたことがない、何も知らない、そんな俺がいた」
「何も知らないって・・」
「目先のことではない。もっとこう大きなこと、例えば将来の夢は何なのか、何を目指しているのか、俺はそんなことすら知らない。お前にそれを言わす隙を与えなかった」

手塚の告白に僕は言葉が出ない。
将来の夢は?なんて小学生が文集に綴るようなベタなことを手塚が気にしているなんて、思いもよらなかった。
そんなこと手塚じゃなくても家族にすら語ったことがない。
小さな頃ならともかく、現実が見え隠れする今、無邪気にパイロットになりたいとか、歌手になりたいとか言っても微笑ましいものでも何でもないわけで。

そりゃあ君は「テニスのプロになりたい」って大きな事をさらっと言ってのけたけど、それなりの実績と結果を備えていた。
そして現実に今、その『夢』に向かって羽ばたこうとしている。
ベタな事でも君とっては大きくてとても重い。
手塚は「夢」に人生を賭けたんだ。

「教えてくれないか?お前が望むことはなんなんだ。やはりテニスプレイヤーを目指すのか?それとも趣味の写真を生かせる―――」

手塚が続けて言った将来に関する何かは頭の中にかかった霧に流れて滲んでいった。

だって僕は・・、僕が考えていたことって、君とのことだけだったんだよ。
全国大会は皆で勝ち取るんだって、それに向かって努力したけど、それも君の影響を受けてのことだ。
君を見て、それまでの自分の根底にあった考えを覆された。改めたいとも思った。だから頑張った。
僕も君のようになりたいと―――

でもそれは結局、君の幻影を追っただけだ。
結果として向上してはこれたけれど、同時に僕の眼は「手塚」しか映していなかった。
僕は手塚がいて初めて成り立っていた。
だから君がいない延長にある未来なんて希望どころか夢すら存在しなかった。

僕の先は「不二周助」が築き上げていくもので、その道筋を決めるのも誰でもない僕自身だ。
きっかけを貰ったらその後は一人で立たないといけないのに。

君がずっと先を見つめている間、僕は籠の鳥だったってわけだ。
飼われる事に慣れた鳥は飛べなくなる。
でもそれは誰のせいでもない。
扉はいつでも開いていたのに――――僕が出ようとしなかったんだ。

「ふっ・・あはは・・はは・・」

―――僕はだんだん可笑しくなって声を出して笑った。
手塚はそんな僕にむっとしたのか、幾分鋭い目つきで睨んでくる。
真面目に語ってくれてたのに、笑うなんて失礼だよね。
でもさ・・・
こんなことに初めて気付くなんて、笑うしかないじゃない。

「あはは・・ごめ・・、笑って。でも可笑しくて。君がじゃないよ?自分があまりに取るに足らないからさ」

黙って僕を見る手塚に僕は続けて言う。

「言えなかったんじゃない。言うことがなかっただけだよ。僕は現在(いま)が全てだったんだ。夢とか目標とか先のことなんてどうでもよかった」
「不二・・。」
「君とは正反対だね。でもこれが僕なんだ。情けない奴だって軽蔑していいよ」

現在が全て――――だって本当にそうだった。
君との日々に未来なんてどうでもよかったんだ。
君がいて、僕がいる。
この広い地球の中で、同じ国に生まれ、同じ東京に住み、同じ学校へ進んで同じ部活に入った。
そして僕達は惹かれあい、自ずと引き寄せられた。
知らぬ間に君から抜け出ることができなくなって、いつの間にかそれが恋という感情だと気が付いた。
自分が好きになった人が自分を好きになってくれる。
65億人以上人間がいる世界でこれって奇跡のようなことじゃない?
だからこの偶然が何より大切で、君と同じ時間に、君と同じ空気を吸って、君と触れ合えることができるなら他に何もいらなかったんだ。
過去も未来もいらない―――現在しかいらない。そう思ってた。

けれど未来は容赦なくやってきた。
一秒、一分、一時間、一日、一ヶ月・・・
残酷なまでに時は流れて、それでも君との現在に縋りついていたくって、動きたくないって心が叫んでいるのに、先を見つめる余裕なんて何処にもあるわけない。
僕はそんなちっぽけな人間だ。天才なんて栄やされてきたけど、僕の器はいつだって溢れそうで。

だけど君は違う。
着実に夢に向かって前へ前へと歩いていた。だから今日がやってきた。

訪れた分かれ道は、きっとこれまでの生き方、そしてその先は、これからの生き方への意思に続く。
僕達が違う方向へ行くことは、自ら導き出したこと、戻ることは出来ない―――戻る必要もない。

「ごめんね手塚、こんな僕でごめん。だけど君にはそのままでいてほしい」

僕は笑う。手塚は何も言わない。
暫くの沈黙の後、僕の左手が自然と前に出た。

その時が来たのを身体が悟ったようだ。
サウスポーの君にあわせた動きがいつの間にか身に付いたんだね。
握手なんて。
今までの付き合いを考えたら他人行儀な挨拶だ。
でもこれが現在を終わらせる儀式に相応しい。

手塚の手のひらが一瞬重なり、そっと離れていった。

最後まで笑っていよう。
僕が決めたことだから。


出発の時間が近づく。
手塚が足元に置いた手荷物をさっと持ち上げた。
いよいよその時は訪れたようだ。

「手塚、元気でな」
「頑張れよ!お前ならやれる」
「遊びに行くかんな!!」
「部長、絶対プロになって下さいよ!」
「戻って来るときは連絡くれよ」
「今までありがとうございました」
「たまにはメールよこせよ」

これまで青春を共にしてきた仲間達の様々な激励と送迎の言葉が飛び交った。
手塚も「ありがとう。」と笑みを見せる。

「不二」

不意に自分の名前を呼ばれてはっとする。
いつも見ていた優しい眼差しが目の前で揺れていた。

「大丈夫だ」
「・・・・?」

最後にまた意味不明なことを僕に残して、もう一度「皆も頑張ってくれ」と友を振り返る。
きょとんとする僕の肩をぽんと叩いて「じゃあな」と背中を向けた。
実にあっさりした別れだ。

じゃあな・・・か。

『またすぐ会える感じでいい―――』

手塚の言葉が僕の頭を通り過ぎた。




ゆっくり、でも振り返ることなく歩き出すその後姿。
下りのエスカレーターに乗り込み、下へスクロールされていくように少しずつ僕の視界から君は消えていく。
靴が見えなくなった。膝が隠れて腰も見えなくなった。僕を抱きしめた腕、広い背中、見かけより柔らかい髪。少しずつ僕の前からなくなって、全部消えてしまう。


またすぐ会える――

もう、逢えない・・・・?


その瞬間、僕の中でぷつんと何かが切れた。
ずっと、手の中に握り締めていたもの。
開くもんかってぎゅっと力を入れていたのに。
指の間から滲み出して、ぽたり、ぽたりと流れ落ちる。

まだだよ?神様、早いよ。まだ、彼はそこに居るんだ。
僕の目からは消えちゃったけど、まだ手塚は居るんだよ。
もう少し、もう少しだったのに・・・。

零れていく・・・今まで必死で握っていたものが――――


すぐ会える?
もう逢えない?
これが君のスタート・・
これで・・最後・・

そこに居るんだよ・・?
すぐそこに、手を伸ばせば、

―――――― 届く

「て・・づか・・」

僕の意識とは裏腹に足が動き出す。

「・・・・づか・・手塚、手塚っ!」

僕は走り出していた。
一度声にしてしまったら止まる事はなく、何度も何度も手塚の名前を呼んで。
隣の階段に回って、縺れそうになりながら急いで降りる。

もう一度手塚の姿が僕の目に映った時、前しか見ないはずの君が振り返って僕を見ていた。

「手塚・・・、手塚ぁ!てづっ―――」
「不二っ!」

バランスが崩れて視界が斜めになった瞬間、僕はずっと求めていた胸の中へやっと飛び込むことができた。

ハァ、ハァと息が上がってくる。
想いが溢れすぎて堰くことができない。
もう少し・・もう少しだったのに。

「30秒・・30秒だけ・・聞いて・・」
「不二・・」

「・・行っちゃ・・やだ・・何処にも行かないで、僕を一人にしないで・・。やだよ手塚、行か・・ないで・・行かないで」

開けてしまった心の鍵、中から零れた本当が涙になって僕を濡らす。
カラカラに乾いてしまった心が恵みの雨を受けるように、奥までしっとり染み込んで。
君を困らせてしまうのに、どこかホッとしたように気持ちが安らいでいく。

「不二・・」
「・・あー・・あ、もうちょっと・・だったのになぁ。でも、これで思い残すことないや」

しがみついた腕を放して、まだ涙が残る目で手塚を見上げると、指で目尻を拭われた。
手塚は僕が感極まって泣き出すと、いつも困ったように指で涙を拭って、最後にやさしくキスを落とす。
そんな君に騙されて、有耶無耶にされたことも数知れず。
また、同じかなあって思いながら僕はそっと瞼を伏せた。




「馬鹿だな、俺はいつもここにいたんだ」
手塚が僕の胸を指差して言う。

ツキンと響く。
ずっと必死で隠していたつもりだったのに。

「君って意地悪だね。分かってるなら言ってくれればいいじゃん。結構苦しかったんだよ」
「素直じゃないお前が悪い。だが、我慢比べは俺の勝ちだな」

そう言って笑い出す手塚はやっぱり何処までも意地悪で。
でも―――

「ありがとう」

君はいつもここにいた。
自分の未来を自分の夢を見つめながらも心は僕の中にいた。
そしてきっとこれからも―――

君に会えてよかった。
君を好きになってよかった。
だから僕も君に負けないように頑張ろうと思う。
まだ見えない先を僕なりに見つけて行こうと思う。


「ねぇ、手塚。僕の名前呼んで?」

ほんの少し間をおいて、君の柔らかな声が届く。

「不二」

僕は目を伏せて思う。
君に名前を呼んで欲しくて、僕も何度も君を呼んだ
何度も何度もこの声を聞きたくて、僕の名前を呼んで欲しくて―――

「手塚?」
「不二・・」
「手塚」
「不二!」

手塚・・不二・・手塚・・不二・・・

僕達は何度も何度も二人の名前を呼び合った。
最後に手塚が僕をそっと抱きしめて、耳元で呟く。

「必ず迎えにくる、大丈夫だ、不二」

大丈夫だ―――そういう意味だったんだね。
再び流れる一筋の涙。でももう振り返っちゃいけない。
君は歩き出すのだから。僕も前を向こうって決めたから。

僕は手塚の身体をそっと外し、前を向かせた。
背中越しに、伝える。

「行ってらっしゃい、もう振り向いちゃだめだよ」
「不二・・」
「きっと追いついてみせる。君に負けないように、頑張るから。大丈夫、僕には君がいる」
「ああ」

「さあ、手塚!」

僕は軽く手塚の背中を押した。
手塚の足が一歩前に出る。

一瞬止まって、姿勢を正す。
手塚が踏み出す瞬間だ。

「行ってくる」
手塚は振り返らなかった。
その後姿に別れの言葉をかける。

「じゃあね」

背中を向けたまま左手を軽く上に、君は行く。
でもきっと笑っているね。


また逢える―――そんな僕達だけのさよなら。








「あ〜あ、行っちゃったなあ」
「そうっすね」
「よく走らされたなあ」
「ホント、容赦なかったよなあ、あいつ」


出発した飛行機を見送りながら皆名残惜しそうに、でも楽しそうに早速思い出話に耽る。

「夢への第一歩、俺達も頑張んなきゃ!負けてらんねーや」

両手を組んで上に思い切り伸びながら英二が言う。

「へぇー、英二も夢なんてあるんだ」
「何だよ、それー。俺だって夢くらいあるにゃ。皆もなあ?」
「そうだな」

仲間同士目を合わせながら相槌を打つ。

「へぇ・・」

みんなの夢物語の始まりだ。
医者だとか先生だとか、おすし屋さんとか。そしてやっぱりテニスプレイヤーとか。
まあ、タカさんの場合は結構現実だけど、わりとみんな大それた夢を抱いてるもんだ。

「不二は?」
「僕は・・まだ・・」

急に言われてもやっぱり分からないや。
でもきっと掴んでみせる。

君を――――

当面はそれが目標ってことで。

それで、いつか言ってやるんだ。
カッコよく、男らしく、

「僕が迎えに来たよ」って。

「大丈夫だよ」って。



その時、きっと君は僕の名前を呼ぶ。



柔らかな声で、
穏やかな瞳で・・・



END


意味不明な内容ですみません^_^;
自分の中では一応消化してる内容なんですが、それを伝える能力がなく、客観的に読んだら何が言いたいのかよく分からないだろうと、お披露目するのはやめてたんですが、手塚のBDに何の準備もしてなかったし、ちょっとだけ修正して出してしまいました。内容的にも誕生日とは何も関係がない(>_<)。

HAPPY BIRTHDAY!手塚!愛を込めて。
これでも愛は込めてるんだよ、愛だけ・・