恋に落ちたら日常が変わる。
ぼんやりして注意されたり、勉強が手につかなかったり。
就寝前の考え事が増えるから、遅刻してグラウンドを走らされたり・・。
ぜんぜんいい事ないけれど、
朝の空気、当たり前の光景、今まで避けてたものでさえ

すべて愛おしく見えるんだ―――






I'll falling love.




「おっはよ〜〜〜!!!」

校門前、朝早くから元気いっぱいの重みが背中に突進した。

「お早う、英二。」

僕はその重みを背負ったまま門を超える。
抱きついたままテンション高く喋り捲る英二の声は、耳元でうるさいくらいにキンキン響いて僕は聞くのが精一杯だけど、
それは決して嫌なものではなく。

寧ろ、それを見つめる眼鏡越しの冷ややかな目のほうが、いや、間に覗く深い皺といったほうがいいだろうか。
そっちのほうがよっぽど心地が悪かった。

「いい加減にしろ。ここは学校だぞ。」

そら来た!
鶴の一声、英二がさっと僕から離れる。

日常茶飯なこの光景に反論する気力もなく、そのまま部室へ準備に入った。

「別にい〜じゃん。遅刻してるわけでもないのいさー。」
「まあまあ、手塚は規律を乱したくないんだよ。」

ぶつぶつ不平を洩らす英二を宥め、一応手塚を庇ってみるが、

本音は正直僕も苦手だ。
だらしない、と言われたらそうかもしれないが節度がないほど乱れてるわけでもなく。
軍隊じゃあるまいし、部活前に友達同志どう過ごそうと自由じゃないか!・・・と思うわけで。
でもそんなこといちいち反発した所であの手塚が折れるとは考えられない。
業を煮やすだけ消耗するってもんだ。

だから笑って躱しておく。

「さあ、次の雷が落ちる前に、練習練習!」
「ったくさ、不二は手塚に寛大なんだよー。」

未だ面白くなさげな英二を引っ張って早朝練習に向かう。

「練習メニューを発表する。部員集合!!」

コートに足を踏み入れた瞬間、仏頂面の声が響き渡った。
ぎりぎり罰則ランニングは免れたらしい。





×××××××××





「今日の練習はここまで。お疲れさま、解散!」

最後の締めが『お疲れさま』というところがすでに手塚ではない。
そう、今日はめずらしく手塚は部活を休んでいた。

「不二、申し訳ないけどこれを手塚の家に届けてもらえないだろうか?」
「何・・?」
「今日の練習メニューにおける結果だ。これで明日の予定を組んでもらわないといけないからな。」

驚いた。
たった今の練習がこんなに細かく分析されてるなんて。

「これ、大石が書いたの?」
「ん?まあ。乾に少し手伝ってもらったけど。手塚みたいにはなかなかいかないよ。」
「手塚は毎日これを?」
「ああ、一人一人を見極めて毎日の練習を組み立てている。今日は俺がやってもいいんだがどうしてもこれは譲れないと言うんで、疲れてるとこ悪いけど行ってもらえないだろうか?俺はこれから竜崎先生と打ち合わせがあって。」
「う・・ん。それは構わないけど・・。」

何で僕が?
見なくていい日まであの無愛想な顔を拝みに行くのか・・・なんて反論する気が失せた。
今日の分を閉じて渡されたファイルをぱらぱら捲ると改めて驚愕させられる。
そこにはレギュラー部員だけでなく部員一人一人が見事にチェックされていた。
乾のデータノートさながら他校の選手なら泣いて喜ぶような情報も記載されており、ハードな練習の後、毎日これだけのことをやってのけていたなんてさすが手塚国光。
休んだ日ですら怠らないその部長精神は天晴れとしか言いようがない。
まったく何処かに隙があるなら見てみたいと心底思う。

目指すは全国大会優勝!力をあわせて事を成す。
部員の一人としてこれくらいの協力はしなければ。妙に達観した僕は手塚の家へと向かうわけだが―――

これが僕の未来予想図を大きく変えることになろうとは、その時は知る由もなかった。






手塚邸―――

まさにそ呼ぶが相応しいと思えるような立派な日本家屋が僕の視界いっぱいに広がっていた。
手塚に似合いすぎるその風情がなんとも言えない緊張感を生み出してくれる。
インターフォンは普通だが、呼び出せば髷を結った家臣か何かが出てきそうな勢いだ。

んなわけない―――
僕は幾分力の入った指先でボタンを押した。

「はい。」
しっとりとした柔らかい返事が返ってくる。
髷ではなく日本髪の女性かも・・・とあくまでもアナクロリズムな連想をしている自分に咳払いをし声調を整えた。

「青学テニス部の不二と申します。国光君に荷物を持ってきたんですが。」
「ちょっとお待ちくださいね。」

玄関から現れたのは、ごく普通の優しそうな人だった。
けれど僕は髷や日本髪・・いや、戦国武将が出てくる以上に目の前の人に驚いた。
その人はたぶん手塚のお母さん。誰が見ても分かるほど手塚によく似ている。
涼やかな目元、筋の通った鼻、薄くきりっとした口元・・何処をとっても手塚なんだけど。
ない・・。眉間の皺が何処にもない!!
それどころか切れ長の目尻を下げて、僅かに口元を緩めるそれは―――

手塚が笑ってる・・・

僕は笑った手塚を初めて見た・・・気がした。
口をぽかんと開け、その笑顔を見入ってると、

「まあ、わざわざごめんなさいね。どうぞ上がって頂戴。・・どうかしたの?」
「い、いえ、初めまして不二周助と言います。」

僕ははっとして頭を下げ、慌てて自己紹介をした。

「あら、ご丁寧に。国光の母です。さあ、どうぞ。」

自然に僕の肩に手を添えて家へと導く。
柔らかく押し付けがましくないその所作に、届け物を渡してすぐ帰るつもりだったことも忘れ吸い込まれるように上がりこんでしまった。

「今、鯉に餌をやりに庭に出てるの。もう少し待ってちょうだいね。」
「鯉・・がいるんですか?」

通された部屋から縁側と思われる板敷きが少しだけ覗いていた。
これだけの家だ。鯉がいるのも妙に納得できる。
あの向こうには凄い日本庭園が広がってるんだろうか。
古典文学や日本文化が好きな僕は見えない向こう側にある空想の庭に自然と興味が湧いていた。

「ええ、不二くんも行ってみる?」
「いいんですか?」
「もちろんよ。これもどうぞ。」

鯉の餌を一掴み、袋に入れてくださった。
まるで動物園でお母さんに餌を買ってもらった子供のようだ。
ということは手塚が僕のお母さん・・・なんてばかな錯覚はもう起こしていない。
手塚のお母さんはどうやら彼とは全く違う、言わば正反対の雰囲気を持っているようだ。
にこやかで柔らかくてそれでいて優しい。
居心地がいい。素直にそう思う。そして同時に素直に疑問も抱く。
何でこの人の息子があんな堅物なんだろう・・・と。

「さあ、どうぞ。こっちよ。」

さっきから見えていた縁側の方に案内され、そこから大きい立派な石段を経て庭先へと降りる。
目の前に広がった光景は何処かの寺院や神社を思わせるほどのもの。
春夏秋冬の四季を味わえる木々草花も行き届いた手入れが施され、まるで時代を超えて降り立っているような、そんな見事な庭園だった。

「そこの飛び石を伝っていけば突き当りが池なの。国光もいると思うわ。」
「ありがとうございます。」

僕はこの異次元のような庭を見渡しながらうきうきと飛び石を進んで行った。
池の縁に立つ大きな背中を見つけ思い出す。

そうだ、僕は手塚に会いに来たんだった。

一瞬緊張感が走る。
何て声を掛けよう。

『やあ、大石に頼まれて今日の練習結果を持ってきたんだ。』でいいか。

いや、ちょっと待て。今日は手塚は部活を休んでいたわけだから社交辞令のひとつでも言うべきだな。

『大丈夫かい?』休んだ理由は聞かされてなかったんだった・・。
『手塚が休むなんて雪でも降るんじゃない。』とか。・・・・それじゃ嫌味だ。
『何で休んだの?』探ってるみたいかな。
『お大事に。』帰るのかよ!

手塚が休んだ理由、何となくだけど肘じゃないかと思う。
左肘を庇っている・・・いつからかほんの微妙な変化が目に付くようになった。
誰に聞いたわけじゃないけれど、手塚が肘を痛めていることを僕は知っていた。
だけど彼は何も言わない。先生も、たぶんただ一人理由を知ってるだろう大石も。

何で?と聞くことは自分の中でわざとらしいし、手塚に怪我を告白させたいわけじゃない。
だからと言って休んだ理由も知らないのに労わるのも妙ってもんだ。しかも鯉の餌を嬉しそうに持って、信憑性の欠片もない。


あれこれ考えないで『大石に頼まれたものを持ってきた』でいいような気がしてきた。
手塚と言えどわざわざ荷物をもって来てくれた友人に『他に言うことはないのか?』なんて言わないだろう。
今更ながらに手に持つ鯉の餌のやり場に気を遣うが、このまま背中を見ながら突っ立っていても仕方ない。
行くぞ!

「やあ、てづっ」

と僕が手塚の名を口にのせたと同時に手塚がくるりと返って丁度僕と向きあった状態になった。

ビックリした!突然向き返った手塚に驚いて言葉を飲み込んでしまった僕だけど、すぐにっこり顔を作ってもう一度挨拶をする。

「やあ、お邪魔してるよ。」
「・・・・・」

何も言わない手塚にどうかしたのかと顔を近づけると急に我に帰ったように

「ふっ、不二?」と素っ頓狂の声を出しながら慌てて2〜3歩後ろへ下がりだす・・

あ!
手を伸ばしたが、時既に遅し。

ばっしゃ〜んっ!!!
刹那、目に飛び込んできたのは吹き上がった水飛沫。

視界に映る光景に僕は目を丸くした。
手塚が池の中で尻餅をついて座っている。
あまりの瞬時のことで状況を理解するに少々時間がかかったが、つまり手塚は僕に驚いて池に落ちた・・・。
そう理解した瞬間、

「ちょ、ちょっと手塚っ、大丈夫?」

僕は慌てて手塚の方へ詰め寄るように身を乗り出しかけたが大きな手がそれを制止させる。

「大丈夫だ、下がっていろ。」

池に落ちている・・どう考えても大事のように思うのだけど、手塚から発せられる声はいつものような淡々としたもの。表情もいたって冷静だ。
一応手を差し伸べたがそれを取ることもなく彼は立ち上がり池から出てきた。
当然だけど手塚はずぶ濡れ。
服が身体にべったり張り付いて気持ち悪そうだ。髪からも雫が滴り落ちて顔にかかるのがわずらわしいのか、手塚は眼鏡をとって手のひらで払いのけるように拭き取った。
それにも関わらず、発せられた言葉は

「ギリギリまで寄っていくと鯉が集まってくる。」

・・・だった。

「は?」
「餌をやるんだろう。鯉でも人馴れするからな。餌をもらえると思って寄ってくるんだ。」
「・・・・・。」

普通は『びっくりした!』とか言わないか?
せめて『何時から居たんだ?』とか『何の用で家に来たんだ?』とか・・・。
っていうかそれより早く着替えに行ったらどうなのか。
普通でないところが手塚なのか、それともこれが大物なる姿なのか―――


僕は手塚の言うとおり池の縁ギリギリの所まで足を進める。
手塚の言うとおり鯉が群れをなして所狭しと寄ってきた。
少し放り入れると餌を巡って鯉同士が荒々しくぶつかり合う。
バチャバチャと水面を蹴飛ばしながら激しく音を立てる迫力にすっかり魅了された僕はしゃがみ込んで餌をやろうとした。

くぃっ
いきなり制服の後ろ襟の辺りを引っ張られ後ろにバランスを崩しかけた。
何だ?
掴まれた状態で首を上げると、
僕をがっしり持った手塚が相変わらず無表情で立っている。

「どうかした?」僕が聞くと
「こうしていれば落ちない。」きっぱり言い切った。

こうしていれば落ちない・・・確かに落ちない・・・と思うけど。
小さい子供じゃあるまいし、少しくらいのりだしたって池に落ちるまではいくらなんでも大丈夫だろう。
たとえ前のめりになったとしてもある程度の反射神経はあるつもり・・が用意万端怠りない状態でしっかり押さえられている。

「大・・丈夫だよ?」
「いや、用心するに越した事はない。現に今・・コホッ」

もしかして自分が今嵌ってしまったから・・?

ブッ!!
思わず吹き出した。
確かにあの手塚国光が池に落ちるなど誰が想像するだろう。
けれど自分の失敗を省みて人のために慎重になるなんて、いや手塚ってそういう奴かもしれないけど、でもこの場合あまりにも極端で。
なのに目の前のびしょ濡れの手塚は妙に説得力があるから僕は笑わずにはいられなかった。

「くっくっく・・じゃあ、お願いするよ。」

手塚に持たれたまま餌を最後までやり終えると「無事で何よりだった。」と漸く開放された。

僕は立ち上がってうーんと伸びをする。
何処からか心地よい響きが耳に届く。

カコーン・・・・・カコーン

「ねぇ、あの音って?」
「ああ、添水の音だ。」
「添水?」
「ししおどしと言ったら分かるか?」

ししおどし。そんなものまであるのか。テレビなどでは見たことがあるが実際どんな仕掛けになってるんだろう。
興味津々の目が分かったのか

「見てみるか?」
「いいの?でも君、着替えないと・・。」
「構わない、ししおどしは玄関側にあるんだ。」

と僕の心配も他所に手塚はさっさと歩き出した。

竹筒から落とされる水を反対側の筒で受け、水が溜まるとその重みで向きが反転し下側の石甕へ流れ出る。空になった筒はまた元の向きに戻るがその反動で筒が石に打ち付けられる。その打ち付けられた音があの何ともいえないカコーンという響き。

「一見単純な仕掛けだけどすごいね。人の気持ちを癒すために考え出されたんでしょう。今あるものを見るだけならなるほどって感じだけど、どうしてこんなのを思いつけたんだろうって思っちゃう。」
「今はこんな風に庭を飾る癒しの道具になってることが多いが、もとは田畑を荒らす動物を追い出すために作られたものだ。機械がない時代の人間の知恵だな。」
「へぇ、そうなの。生活していくために必要なものだったってことか。でもいい音だねぇ。こういうのを風流って言うのかな。優雅で気持ちが豊かになる、そんなお家だね。居ててとてもほっとするよ。」
「そうか。ならいつでも来ればいい。」
「え?・・あ、ありがとう・・。」

手塚が僕を誘ってくれるなんて意外だった。
もとより手塚とプレイベートな会話ができるなんて考えてもみなかった。
そりゃ、口数が多いと言うわけじゃないけど、こんなたわいもない話・・・するんだ。
必要最低限な事しか言わない奴だと思い込んでいた。
というより僕達には雑談なんて類のものはいらないと決めていたような気がする。
挨拶と部活での必要事項。それだけで十分成り立つ関係、いや、実際成り立っていた。
でもそれは――成り立っていたのではなく、済ませていたにすぎない。
腕の怪我でさえ、知ってて僕は・・・

手塚が右手で左腕を擦る仕草を見てはっとした。

そうだ、ついししおどしで頭が飛んでたけど、手塚は今びしょ濡れだった。
早く着替えないと肩を冷やしてしまう。

「ねぇ、もういいから早く着替えてきなよ。」
「しかし・・」

何を躊躇ってるのか。
次に発せられた言葉で漸く理解した。

「他人の家で一人残されて不安じゃないか?」

は?僕を気遣って全身びしょびしょでここにいるって言うのか?

「ば、ばか!子供じゃあるまいし。早く着替えに行って!」
「そ、そうか・・?」

未だ行動に移さない手塚がはがゆくて

「あ〜、もうっ!!分かったよ。僕も戻るから!!」と手塚の腕を引こうとした瞬間、

「不二っ!!」いきなり大声で叫んで僕を思いっきり抱きしめた。

な・・に?

僕はちょうど足がつくかつかないかの様な状態、まさに宙ぶらりんな格好で手塚に抱えられていた。

「て・・づか?」
本当に同級生の身体なのか。がっしり抱きすくめられ身動き一つできない。
できないけど・・・大きな胸、なんとも心地がいい。
思わず手塚の背中に手を回してしまった。

「不二・・」
「ん?」
「・・・大丈夫だったか。」
「・・・は?」

意味不明な一言にすっと我に返る。
冷たい―――手塚の服から滴る水分を自分のそれがしっかり吸収しているわけで。

「ちょっ、ちょっと下ろして!」
足をばたばたさせると手塚は僕を地面にそっと下ろした。

「何処も怪我はないか?」

さっきからこの男は何を言ってるのだろう。

「怪我って何さ?いきなりあんなことしてびっくりするじゃないか。」
「でも、お前が転けそうだったから。」
「転けそうって、僕が?何時?」
「・・・違うのか?」

暫しの沈黙。

「すまない。」
「いや、気にしないで。」

手塚は僕がなかなか動かない彼の腕を引っ張ろうと急に動いたものだから、咄嗟に転倒すると思い込んだらしい。
そんな勘違いあるのか?と言いたいところだが、彼は池から出た時、眼鏡を外していた。
お陰で僕まで濡れることになり・・・。

手塚の服を借りて今、ダイニングでお茶を戴いていた。


「ごめんなさいね。全く何をやらかすやら。」
「いえ、僕を助けようとしてくれたわけですから。」
「制服、今乾かしてるから待っていて頂戴ね。」


おばさんはシャワーを浴びに行っている息子の失態を何度も謝って、申し訳なさそうにしている。
天下の手塚国光も母親にとっては幼い子供と同じなんだ。僕はおかしくてしょうがなかった。
それによく見えなかったとはいえ、あの手塚がこんな間抜けなことを仕出かすなんて。

「ホントに気になさらないで下さい。僕はぜんぜん平気ですから。それより手塚君の意外な面が見れて・・ぷっ」

失礼を顧みずとうとう声をだして笑ってしまった。

「す、すみません・・。でもあの手塚がって思うと、くっくっ・・」

おばさんは僕の笑ってる姿を見て、

「相変わらず、学校では堅物なようね。隙のない優等生ってとこかしら。」
「違うんですか?」
「うーん、違わないけど、違う。つまりそんな子なのよ。」

よく分からないけど、何となくそうなのかと納得している自分もいた。
もしかして手塚と言う人は初めから僕が思ってたような人物ではないのかも。

「ふふっ、あなたのような子が国光のお友達で嬉しいわ。」
「え・・。」
「だって、あの子、いっつもこーんな顔してるでしょう。でも不二くんの話をするときはすっと柔らかい顔になるのよ。」
「僕の話・・・ですか?」

僕が手塚の友達・・・確かに名目上はそうだけど、その実、単なる部活の仲間にすぎない。
だけど手塚はお母さんがそう思うような話をしてる?・・・ってことなのかな。

「ええ、あなたのことをよく褒めてるわ。テニスとても上手なんですってね。」
「いえ、そんなこと・・」

手塚が僕のテニスを褒めてる?

「あら、いつも言ってるのよ。身体が大きくない分見事な技術でカバーしているって。見ていて目が離せないんですって。」
「手塚がそんなこと・・?」
「それにとても協調性があって皆の心の拠り所でもあるって。」
「・・・」

言葉が出ない。
僕に協調性があって心の拠り所だって?
手塚はそんな風に僕を見てるのか?
疑問符がいくつも並ぶ中、なんだか急に恥ずかしくなった。
僕はただ胸の奥を見せず、適当に流しているだけ。
言い合いになるのが面倒で、さも何も思ってないという顔を作って。

「あまり多くを語る子ではないのだけど、きっと国光はあなたがとても好きなのね。」

おばさんの口から驚くべき台詞が吐かれた時、背後から咳払いが聞こえてきた。

「母さん、余計なことは言わないで下さい。」

手塚は難しい顔をしているが、よくよく見ると少しばつの悪そうな、目線が泳いでいるような。
手塚ってもしかしてそんな人・・?
僕を好き・・だなんて、すっかり僕の仕草に騙されていい奴だなんて思ってしまうような、そんな単純な人間なのか。
ちょっぴり融通が利かないだけで、ホントは素直で純粋で、凄く人が良いのかもしれない。
だとしたら、眉間の皺は照れ隠し・・?

「少し大きいな。」
僕が着ている自分の服を見てそんなことを言う。

「どうせ、僕は小さいよ。」と冗談半分ひねくれてみたら
「いや、そういう意味では・・。すまない、気にすることを言った。」とさして気にもしてない事を突っ込まれてしまった。

これも意外・・案外人に気を遣うんだ。

「母さん、それは『春日屋』の・・。」
「ええ、丸ごと栗一個饅頭よ。」
「何故出すんです?」

どうやら僕の前にあるお饅頭に議論しているようだ。

「何故って。お客さまにお茶菓子をと思って。心配しなくてもあなたの分もあるわよ。」

お饅頭を心配だって?
ブッ!!
またもや僕は吹き出しそうになった。


「違います!不二にそのような・・。」
「あら、おかしい?あなたも好きでしょう?『春日屋』の丸ごと栗一個饅頭。」

この会話何とかならないだろうか。
狙ってるわけではない。それは十分分かっているけど。
いや、真面目な会話だからこそお腹が捩れそうになる。手塚と丸ごと栗一個饅頭だなんて。

「そういう問題ではありません。不二にそれは似合わないかと。」

君にもぜんぜん合わないよ・・・じゃなくてどういう意味?

「せめて洋菓子か何かなかったんですか。」

おばさんはちらっと僕を見てから、僕の前に出された丸ごと栗一個饅頭をじっと見据えた。

「・・そうね。確かにあなたの言うとおりだわ。今取り替えて・・」
「ちょっ、ちょっと待って、これで十分ですからっ。っていうかとても美味しそうなのでこれがいいです。」

お皿を下げようとするおばさんを僕は慌てて止めた。
正直、和菓子でも洋菓子でもどうでもいい。わざわざ取り替えてもらう方が気を遣うってもんだ。

「不二、無理をすることはない。丸ごと栗一個饅頭はその名の通り丸ごと栗が一個入ってるんだ。」
「そ、そう。でもそれが売りなんでしょ。」
「だが、造作なく栗が丸ごと入ってるんだ。お前にはあまりにも不釣合いだ。」
「そんな真面目に語ることでは・・。い、いや、僕、お饅頭大好きなんだ。こう見えても、あはは。」

どう見えてるんだろうか。自分で言っておいて疑問だった。

「そうなのか。じゃあ、俺も一緒に食べよう。」
「どうぞ・・」

僕の隣で丸ごと栗一個饅頭を食べだす手塚をまじまじと見つめてしまった。
手塚って・・・面白すぎ・・ないか?
面白すぎて、それでいてとっても優しいんだ。

そう、僕が池に落ちないように・・・とか、転ばないようにとか。
一人は心細いなんてずぶ濡れのまま一緒にいてくれたり。
お茶菓子なんて何でもいいのに、僕が好みそうなものをって思ってくれたんだね。
ちょっと、っていうかかなりずれてるような気もするけど、それは彼の優しさで。
勉強ができて、スポーツ万能で、堅物で隙がなくて、確かにそんな彼は凄いけど、目の前で丸ごと栗一個饅頭を食べている手塚の方が僕はよっぼど魅力的だと思った。

丸ごと栗一個饅頭は手塚の言うとおり中に大きな栗が丸ごとどかっと入っていた。
栗にコロッと固さがあり餡を練りこんだ周りの生地がぽろぽろと剥れて、なかなか一緒に切り取るのが難しかった。

「食べにくいか。そのまま噛り付けばいい。」
「でも・・」

他所の家でいくらなんでもそんな食べ方・・

「気にするな、俺もこの方が食べやすい。」
そう言って手塚は手づかみで丸ごと栗一個饅頭をぱくりと食べた。
上手に食べていたくせに・・。

僕も続いて同じように口に運ぶ。

「あ、おいしい。」

情緒なきネーミングとは異なって餡と栗との何とも言えないハーモニーが口の中に広がった。

「だろう。甘いものは苦手だがこれだけは好きなんだ。」
「うん。おいしいよ。甘さも控えめだね。」

中学生の男同士の会話がこれかと思うとかなり危ないものを感じるが
でも僕は素直に楽しかった。
彼との何のたわいもない会話も本当に楽しくて、同時に嬉しかった。

手塚が優しい目をしてふっと笑う。
おばさんと同じ―――
さっきは似ても似つかないと思ったおばさんの柔らかさと手塚が重なる。
似ていないと思ったのは僕の偏見で手塚はお母さんに似てるんだ。
ちょっと不器用なだけで、本当は優しくて柔らかくて気持ちが温っかい、そんな人なんだ。

知りたい―――
僕はもっと手塚国光を知りたいと思った。




「すみません、結局夕飯までご馳走になってしまって。」
「こちらこそ遅くまで引きとめちゃって、でも是非また来てちょうだいね。」
「ありがとうございます。またお邪魔させてください。」

今日を振り返れば一体何をしにきたのかと疑問だ。
手塚に持ってきたファイルは渡しただけでそのことはおろか部に関する会話すらしなかった。
でも・・・

『またお邪魔したい』

社交辞令でもなんでもなくそれは僕の本心だった。
また手塚と何の目的もなく一緒に過ごしたいと思う。
そしてそんな風に思えるようになった今日の時間に感謝している。

「じゃあ、失礼します。」
頭を下げて玄関を出る。

手塚に『また明日』・・・といいかけたと同時に

「では、行って来ます。」
と手塚も一緒に外へ出た。

「あれ、何処かに行くの?もう結構遅いけど・・。」
「だからお前を送っていくんだろう。」
「ふーん。」

そう、僕を送っていくのか。
そのまま何も言わず僕達は並んで歩き出した・・・・けど、

「ねぇ?なんで僕を送っていくわけ?」
「なんでって、こんなに遅く一人で危ないだろう。何かあったらどうするんだ。」

僕はがっくり溜め息をついた。

「あのねぇ、僕は女の子じゃないんだよ。それに、仮に君の言う通りとして、僕を送り届けた後君が一人で帰ったら同じことだろ?」

手塚はちらっと上を見て一瞬考えてから

「そしたら今度はお前が送ってくれるか。」と言った。
「は?」
「それからまた俺が送ってやる。」
「ずっと送り合いっこするの?」
「そう、朝までずっとな。」

僕達は顔を見合わせてぷっと同時に吹き出した。

「あはは、明日の練習ボロボロだよ。部長自らグラウンド走るかい?」
「それは、まずいな。皆に示しがつかん。それなら家で話してるほうがまだいいな。仮眠も取れる。」

冗談なのに本気のような、全く手塚らしいや。
でも少なくても手塚も僕と話したいと思ってるってことだ。

「なら、今度家に泊まりにおいでよ。」
「俺がお前のうちに?」
「うん、歓迎するよ。僕も君と朝までじっくり話してみたいや。仮眠取りながらね。」

仏頂面が何度も笑顔に変わる。
その都度僕の心臓はトクンと音を立てた。
もっとこの時が続けばいいのに、もっと手塚といたい――
そんな想いが結局ずるずるとバス停まで送らせることになってしまった。

手塚は最後まで「本当に大丈夫か。家まで送ってやるぞ。」を連発発射していたが
それ以上は幾らなんでも男のプライドに関わる・・・として遠慮することにした。


バスに乗る時に
「僕ってそんなに頼りない?」と振り向きざまに言ってみる。
「そうじゃない。・・・・」

プシューッと音を立てて目の前のドアが閉まる。
席はいっぱい開いてるというのに、僕はその場所から動けなかった。
手塚の声が頭の中を木霊する。



『・・・お前は綺麗だから、心配なんだ。』





×××××







「おっはよ〜〜〜!!!」
いつものように元気いっぱいの声が近づいてきた。

ふぁあぁぁぁ〜〜〜〜

抱き付こうとする行動を止めてしまうほどの大きな欠伸がでた。

「どったの、不二。寝不足ー?」
「うん。ちょっと考え事してたら明け方まで眠れなくてさ。ウトウトしてきたと思ったら目覚ましがなったんだ。ふぁぁ。」
「考え事って?」
「ちょっと・・ね。」

昨夜ベッドにはいってからも手塚の家での一部始終を思い出していた。
現在稀に見る風流な佇まいの家屋敷。
異次元空間に居るような、不思議な魅力に取り付かれた。
けれど眠れなかったのはたぶんそれが原因じゃない。

手塚――

手塚は僕の作り上げていた彼とは全く違った人で、
二人で話すことが楽しくて、もっと本当の彼を知りたいそんな風にさえ思ってしまった。
誰かに対して『知りたい』なんて思ったことは未だ嘗てない。
人にそれほど興味を抱くなんて事はなかった。
それが今まで実は煙たく思ってた相手なんて、自分でも正直驚きだ。

そして別れ際に聞いたあの言葉。

一体どういう意味でそんなことを言われたのかは分からない。
綺麗なんて言葉も嬉しくない。まして相手は男で、あの手塚なわけで。
でも僕はずっとドキドキしていた。頬が熱くて何度も寝返りを打った。
この気持ちはなんだろう―――手塚の顔がちらついて離れない。
そして気付けば朝だった。


すっかり寝不足状態で朝練に向かい今に至る。


部室からすでに用意が終わった手塚が出てきた。
そしてその時僕の中ではっきり気付いたことがある。

会いたかった。
昨日別れてから時間にすれば幾らも過っていない。
なのにあれから僕はずっと手塚に会いたかったんだ。

この気持ちはなんだろう―――その答えがぼんやり見え出した。
試してみればはっきりするだろうか。
でも・・・ほんの少し、いやかなり勇気がいる。・・・・が
ええい!儘よ。

「お早う、手塚!」

英二がいつもするように僕は手塚に向かって跳びかかった。

「なっ・・・」
その突飛な行動に英二が目を丸めて絶句する。

当の手塚は・・・
何事かという表情はほんの一瞬。
その後すぐにいつもの仏頂面に戻って冷ややかに、

「ここは学校だぞ、不二。」

静かに響く手塚の声、深い皺も予想通り。
そして今、ようやく僕の気持ちがクリアになった。

「うん、ごめんね。でも抱きつきたくなったんだ。君が好きだから。」

くすくす――
僕は着替えに部室へ入る。
背後からカランとラケットが地面に落ちる音が聞こえた。




恋に落ちたら日常が変わる。
ぼんやりして注意されたり、勉強が手につかなかったり。
就寝前の考え事がいっぱい増えて、いつか遅刻してグラウンド走らされるだろう。
いい事なんてないけれど、


その時に刻まれる眉間の皺は、今日と同じ――

きっと愛おしく見えるんだ。


I'll falling love.



そしてそんな日がちょっぴり待ち遠しい。





end


いつもお世話になってるひろこさんへ、楽しんでもらえるものをって思ったんですが・・・撃沈。
嫌がらせのようなものが出来上がってしまいました(~_~;)。すみま・・・。
でも、書いちゃったから!ちょっと迷ったけど押し付けてしまいます^^;