『悲しい酒』
私が美空ひばりさんが歌っていた、『悲しい酒』という歌と、出会ったのはいつ頃の
ことだったのか、はっきり覚えていない。でも、『悲しい酒』という歌との、忘れがたい
思い出は、私の今まで歩んできた人生の中に、大切な宝物としてたくさん残されている。
私は、独身のころに楽器屋さんで、安物のギターを買って持っていた。目の不自由な
私は、ルーペを使って楽譜の独学をしながら、ギターを少しずつ弾けるようになって
行った。今から思うと随分下手な、ギターの弾き語りをしていたようで恥ずかしい。
それでもあの当時の私は、懲りることなく下手なギター伴奏を弾きながら、
『悲しい酒」の曲を、何度も歌っていた。
昭和48年ごろのことだったと思う。そのころ一人住んでいたアパートの通りに面した2階に、カラオケスナックがあった。
夜になると何処からか私の部屋に、人の歌う歌声が毎晩のように聞こえてきた。
その歌声は、表通りのスナックから聞こえてくることが、後になってわかった。
私は家主さんの奥さんにお願いして、スナックという所に初めて、連れて行って
もらった。スナックってどんな感じの場所なのか、とても興味があったからだった。
その当時世間では、まだそんなに流行していなかったカラオケの曲が、そのスナックの
お店に置いてあった。スナックのママさんに勧められて、『恋あざみ』と『悲しい酒』を、二曲歌わせてもらったように記憶している。私が歌い終わってからママさんが私に、「あなた、恋したことがあるでしょう?」と質問された。
「恋したことがあるから、こんな歌が歌えるのよ。」とも言われた。「えっ?私恋なんてしたことあったかなあ…。」なんて、ふと深刻に思い出そうとしていた。家主の奥さんとそろそろ帰りたいのでママさんに、お勘定お願いしますと言うと、
「あなたの歌がお上手だったから、お酒はただでいいよ。」って、お勘定を取ってもらえなかった。その時の私は、単純に大喜びしながらルンルン気分で、足取りも軽く
アパートの部屋に戻って行った。今から思うと家主さんの奥さんと一緒だったから、
スナックのママさんが気を遣って、お勘定を取ってくれなかったのかもしれない。
それなのにあの当時の私は、私の歌った『悲しい酒』が、人の心を感動させたのだと、
自分かってに思い込んでいた。
そんなことがあってから何年か後に、お知り合いの人に頼まれてある場所で行われて
いた、納涼大会で『悲しい酒』を歌うことになった。私が歌った舞台は、自動車の駐車場に納涼大会のために、仮設された舞台だった。私がひばりさんの『悲しい酒』を歌い
終えて、舞台の階段をおりてくると、全く知らないおじいさんが、私に近寄って来て私の両方の手を握りながら、「わたしはひばりちゃんの歌が大好きなんや。おねえちゃん、
明日もここに来てひばりちゃんの歌を歌ってくれるんやろ?」って、おっしゃった。そのおじいさんの目から涙が零れていたように感じた。私のような素人の歌を聞いて、
これだけ感激してもらえるなんて、うれしいかぎりやなあって思った。そんなに私の歌を喜んでくれるのなら、また明日もここに来てひばりさんの歌を、歌ってもいいような
気持ちにさせられた。
美空ひばりさんの『悲しい酒』という歌は、その後いろんな場所で何度も
歌う機会があった。
お酒をただにしてくれたあのスナックのママさんのことや、私の手を握りながら、
「おねえちゃん、また明日もひばりちゃんの歌を歌いに来てくれるんやろ。」って、
言ってくれた見知らぬおじいさんのことを、今でも時々思い出している。
そして私にとって『悲しい酒』という歌は、わすれることの出来ない思い出の宝物の
一曲となっている。
2002/08/真夏の夜/