★☆★ 悪性リンパ腫の告知 ★☆★    

 あれは確か2000年の6月頃でした。そのころ私は、歯医者さんの治療に通って
いました。ある時左顎の骨に沿って、なんだかわからない腫れ物が出来て
いたのです。その腫れ物は、少し楕円形で痛くもなく痒くもありませんでした。
 この腫れ物以外にも首に何個かの、リンパの腫れが指に触れていました。
 私は歯医者の先生に、「顎の骨に沿って腫れている腫れ物は、歯の治療と関係
ありませんか?何処で診てもらえばいいでしょうか?」と、尋ねました。
 そしたら歯医者の先生は、「この腫れ物は歯の治療と関係ありませんので、
やはり内科で診てもらえばいいんじゃないでしょうか?」と、おっしゃいました。
 私はそのころホームドクターとして、お世話になっていた近くの開業医の先生に、
相談しました。開業医の先生は、「これは、顎の骨に沿っているので、大学病院の口腔
外科に行って、診てもらった方がいいでしょうね。k大学病院の口腔外科に紹介状を、
書きますので、これを持ってk大学病院の口腔外科で診察を受けて下さい。」と言って、紹介状を書いて下さいました。
 その当時、まだ創立して間もなかったkだいが句病院の、口腔外科に紹介状を持って、
2000年の10月5日に行きました。
 kだいが句病院は、とっても綺麗な病院でした。あの当時、まだ患者さんが少なかったので、その日1日かかって診察と簡単な検査を、受ける事が出来ました。
 夕方、主人と息子が私をむかえに来てくれました。口腔外科の女医の先生が、
「家族の人に診察室に、入ってもらって下さい。」とおっしゃったので、主人と息子の
2人が、私の診察結果を聞くため、口腔外科の先生の所に行きました。
 もう、その日に私の病気が口腔外科の先生には、『リンパ腫瘍』と分かっていた
ようです。
 それから何日かして私の左下顎に沿って出来ている、リンパの腫れ物の組織を
取るための簡単な手術を、耳鼻科の先生にしてもらいました。
 腫れ物の組織が、どんな物なのか結果が出て血液内科の、先生から病気の告知を受けるまで、約10日ほどかかりました。
 2000年10月20日、その日私の家族全員が、血液内科の診察室まで一緒に行ってくれました。血液内科のt先生は、パソコンの画面を見ながら、
「あなたの病気は、悪性リンパ腫瘍です。」と、坦々と告知され ました。
 私は、いったい誰のことを言っているのだろうなんて、一瞬頭の中がぼんやりして私の病名が、リンパの癌だなんて素直に受け止めることが出来ませんでした。それよりも私と同席してくれた、家族のみんなの心の内まで、考えが及びませんでした。
きっと、主人や2人の子供たちは、とってもショックを受けていたに違いありません。
 『癌告知』という事は、とても大切なことだと思いますが、人それぞれ受け止め方が
違って来るのではないでしょうか?
 『告知』されることで落ち込んでしまう人たちや、生きる目的を見失って、先行きに
不安を感じうろたえる人たちも、多いんじゃないでしょうか?
 少し前の時代なら『癌』に侵された患者さんに対して、「あなたの病気は癌です。」
なんて言わずに、周りの人たちが気を配って、黙って見守ることが、多かったように
思います。
 私が癌告知された時は、正直うろたえましたが、血液内科の主治医の先生から
「あなたの病気は、悪性リンパ腫瘍」と、はっきり告知されて今では、私にとって
よかったと思っています。
 私の家族は、この7年足らずの月日、どんな思いで過ごして来たのでしょう?
でも、主治医の先生や私の家族の人たちに、私の病名を隠して付き合われても、
いつも私が疑いの気持ちで、過ごさなければいけなかっただろうと思います。
その方が私にとってストレスがたまって、私の心や体には良くなかったはずです。
 現代、どんな病名でもほとんどの場合、患者本人にも告知されるようになりました。
 『癌告知』されて、この7年足らずの月日を、自分の命と向き合い、生きるために
一生懸命、治療を受けながら頑張ってきました。
それと同時に『生 死』について、真剣に考えるようにもなりました。
 悪性リンパ腫患者として、私なりにこの7年足らずの日々、充実した毎日を送る
ことが出来ました。生きることへの執着、死への不安について、考える時間は今日まで
たっぷりありました。

 血液内科のt先生から『病名の告知』を受けた時は、とても残酷なことだと思い
ましたが、私は『癌告知』されたことで 侵された病気に対しての覚悟が
出来たように思います。
 それと同時に、辛いであろう抗癌剤治療を、受ける決心もできました。