★☆★ 闘病記を読みにきて下さった皆様へ ★☆★
私は2000年の10月に、悪性リンパ腫と告知されました。
私の病名は、
非ホジキン
低悪制度
濾胞性 b型細胞
悪性リンパ腫瘍
ステージ スリーです。
2001年の5月22日に息子のサポートで、ホームページを開設しました。
息子から私のホームページを作成しないかと言われた時は、右も左も分からなくって、
しばらくどぎまぎしていました。
息子からホームページを作成してあげると言って、私のページを作ってくれました。
あれから丸6年余りの月日が、過ぎて行きました。
いろんな事情があって今年の6月一杯で、息子が作成してくれた、ホームページを
閉じました。
今日までパソコンがウイルスに侵されたり、抗癌剤治療のために体調を悪くして
何も書けなくなったりと、のろのろ歩きながら過ごしてきました。
このページに来ていただいている皆さんには、本当に申し訳なく思っております。
何も私の闘病記から得ることのない、ページだと思っているからです。
悪性リンパ腫という病気になってから、順番をおって記録しているページでは
ありません。
これからも何年か前に戻ったり、最近のことを書いたりするかもしれませんが、
どうぞ、気長にお付き合いくださいますように・・・。
今日まで私が『悪性リンパ腫』と、告知を受けてから7年足らずの間に、
抗癌剤治療や、毎年のように再発を繰り返しておりましたので、リツキサン単独治療を
受けるためなどで、7回の入退院を繰り返してきました。
私の娘は、私が悪性リンパ腫と告知された最初のころ、ネットで同じ病気の人たちの
サイトを、よく見に行っていたようです。
それでこんなことを言いました。
「悪性リンパ腫の患者さんが今日も元気で、何か文章を
書いておられたり、掲示板で皆さんと心のキャッチボールしておられるのを見ると、心が癒されホットするのよ。」と・・・。
「どんな種類の病にかかったとか、どんな治療を受けたとか、血液検査の結果が
どうだとかいう情報も大事かもしれないけれど、その人が今日も元気でホームページに
登場していることが、家族の者にとって一番励みとなるのよ。」って、アドバイスして
くれました。
娘のそんな家族としての気持ちを聞いてから、きちんと整頓されていない闘病記でも
いいんじゃないかなと思っています。
私の娘と同じ考えの、家族の方もいらっしゃるかもしれないと思って、頑張って掲示板に来て下さる人たちに、返信を書いていました。
そして、今日という日にはるかが生きた証として、足跡を毎日残して行きたいと思って
います。
私の診察日には、必ず私の血液検査の結果を印刷したデータの紙を、
tせんせいからいただいて帰っていました。
そんな血液検査の結果や、ct検査の結果などを残してきませんでした。
私自身の目で見ることも出来なかったからです。
そんなわけで、とてもいい加減な闘病生活を送ってきました。
だから、データとしての資料を、闘病記にアップすることは出来ませんでした。
そんな闘病記のページですが、気軽に立ち寄って見て行って下さいませ。
それから、私は先天的な視覚障害者で、文字が分からなかったり、文章の書き方が
乱雑になったりすることもあります。どうか、誤字脱字があれば、お許し下さい。
こんな悪性リンパ腫患者の私ですが、どうぞ皆さん、これからのお付き合いよろしく
お願いいたします。