『雪の香り』

 私が生まれた高原の村では、冬になると毎年のように雪が降っていた。
 そんなにたくさん積もるということもなく、朝起きて私の目に入ってくる銀世界は、
とても神秘的で新鮮だった。
全て汚れた周りの景色を、まるで雪は真っ白一色で覆っているかのように見えた。
雪が積もった日は、雪独特のなんとも言えない香りが、その辺り一面に漂っていた。
 幼いころの私は、そんな雪景色の中で雪だるまを作って遊んだり、他の人が1度も
歩いたことのない積もった雪の上を、自分の足跡を残して歩くのが大好きだった。
私は雪の香りに包まれながら、凍えそうな両手で幾つも幾つも雪の玉を作っては、
時間の経つのも忘れて雪と戯れていた。
雪が降ると母は竹箒で実家の庭から続いていた坂道の、雪かきを必ずしてくれていた。
そうでないと坂道に積もった雪が凍結して、滑ると転んで怪我をしてしまうからだ。
 幼いころの私は病弱だったので、何度も風邪をひいては、
咳が止まらなくなって難儀していた。
そんな私の咳止めの薬をもらうために、母に手をひかれて冷たい北風の吹く中を、
隣の在所にあった診療所まで、何度か歩いて通っていた。
 診療所の中にいつも暖かいストーブがあって、ストーブの上に置いてあった
やかんから、絶えず湯気が出ていたことを朧げに覚えている。
その診療所のストーブは、寒い雪道を歩いて冷え切っていた、母と幼い私の
体と心の中をふんわりと暖めてくれた。
お医者さんから甘い味のする液体の咳止め薬をもらって、再び元来た道を母に
手をひかれ、寒さのためにピーント張り詰めた冬の空気の中を、家に向かって
戻って行った。
 小学校に通っていたころ、雪が降ると登校途中に竹が何本もお辞儀していた。
私は竹の枝や葉っぱにほっぺを叩かれながら、竹がお辞儀して出来るトンネルの中を
潜り抜けるのが、楽しみの一つになっていた。
その当時、私が通っていた小学校の教室には、冬になると薪ストーブが焚かれていた。
その薪を生徒たちが順番に、学校に持って行くことになっていたので、
私は低学年のころから薪をなわで括ってもらって、危なげな格好で雪道を滑ったり、
寒風に飛ばされそうになりながら、なんとか学校に持って行った。
そうして、苦労して持って行った薪は、教室の薪ストーブの中であかあかと燃えていた。
 あれは確か、私が小学校三年生の三学期のころだったと思う。
それまでに積もった雪が溶けないで、あっちこっちに残雪として残っていた。
そんな寒い一月の末の冬の日に、私の一番上の姉が同じ在所にある、義兄の家に
嫁いで行った。
嫁いで行く花嫁衣装の姉の姿は、末っ子の私の目に、どこかまぶしく
とても美しかった。
そんな姉の晴れ姿をあこがれにも似た思いを抱きつつも、静かに眺めていた
私の心の中では、姉の存在が遠くなっていくようで寂しかった。
 それから何年か経った、雪の降る寒い1月の初めのころだった。
私は中学校から帰り道我が家の坂道を下った所で、何処かに出かけて行く母と出合った。
「おかあちゃん、どこに行くの?」と尋ねると、
「お姉ちゃんが産気ズいたので、ちょっとお手伝いに行ってくるわ」と教えてくれた。
母と私が立ち話をしている間も、雪がどんどん降っていて周囲は、真っ白一色だった。
いまでもその姪に会うたび、あの真っ白な雪のいろと、ほのかにただよっていた雪の
香りが蘇ってくる。
 雪にも香りがあった。どこかひんやりしていてなんとも説明の出来ない、
独特の雪の香りがあった。
小さいころから私はそんな雪の香りを感じていた。
雪の香りは、幼い私をお伽噺の怪しい世界に、いざなってくれそうな魅力のある
香りだった。私はそんな雪の香りが大好きだった。
屋根に積もった雪がドドドーンと、雪崩のように落ちる音にびっくりした日のこと、
木の枝に積もった雪が、ザッザ ザーと地面に落ちる音、雪のためにお辞儀していた、
竹が、ポーンと爆ぜる音などと共に、雪の香りが懐かしく蘇ってくる。
 今は鳴き母の手にひかれて、遠い雪道を診療所まで歩いていた、幼い頼りなげな
私と母との思い出。
凍結した雪道を滑ったり、転んだりしながら縄でくくった薪を、危なげな格好で
小学校に持って行った私。
姉の花嫁姿をどこか恥ずかしくまぶしいと感じながら、遠くから眺めていた
小学生のころの私。
次から次へとまるで走馬灯のように、雪景色と私との思い出の映像が映し出されてくる。
この辺では最近、雪景色を見る機会もだんだんと少なくなってしまった。
「地球温暖化」なんて騒がれているけど、それが原因なのだろうか?
あの冷ややかで何とも表現のしがたい、雪の香りが私の懐かしい思い出の彼方に
少しずつ消えてしまいそうで、とっても残念で寂しい。
許されることならもう1度幼いころの私に戻って、雪の香りの漂う中で
時間の経つのも忘れ、おもいっきり雪と戯れてみたい。

2005/冷たい北風が窓の外を吹き抜けて行った冬の寒い2月/