Confession of the last moment


ひっそりと静まり返った聖域に、白い衣を纏った女がただひとり立っていた。
つい先程まで彼女の傍に居て、彼女を守っていた聖剣の騎士も、大賢者も、この騒乱を引き起こした張本人であるバンドール皇帝ですら、すでにその姿はここには無い。
空に最も近い、聖なるイルージア山の頂で、彼女はこれから最後の務めを果たすことになる。
ふと後ろを振り返り、遠く遥か眼下に霞む大地を見る。ゆっくりと地平線が赤く染まり、夜明けの時が近づいて来ている。女がこの姿で居られる時間は、あとわずかしか残っていない。



まぶたを閉じれば、ジェマの騎士たちと共に戦ってきた日々が脳裏を過ぎる。
彼らは彼女を希望の光と讃え、ある種の崇拝を持って彼女に接していた。
しかし当の本人はため息をつき、誰にするでもなく首を振った。

――私はそんな彼らのことを、利用したにすぎないのかも知れない。

数刻前にこの場を立ち去った彼らを思い、女は唇を噛み締めた。




戦の間、常にマナのたねとしての記憶――脈々と受け継がれてきた多くのマナのたねたちの――が、
彼女に語りかけてきていた。

この戦いは、これから先に起きるもっと大きな危機の前兆に過ぎないこと。
今のマナの樹は失われる定めにあること。
バンドールに替わる新たな邪悪のたねが芽生えようとしていること。
打ち倒したはずのバンドール帝国は、密かに強大な力を秘めた後継者を隠していること。


そして、次のマナのたねを生み出した女の役目は、失われた樹の代わりとなること。


――今までの戦は、すべて次のマナのたねが“その時”を迎えるまでの間の時間稼ぎにすぎないのかもしれない。
――勿論それは、私自身の犠牲も含めて。


ぼんやりと目の前に広がる雲海を見ながら、彼女は思う。

勿論、彼女は自分が犠牲となることには厭いを感じては居なかった。
マナの樹となることは、死ではない。
今までの記憶は、過去の多くのマナのたねたちと同じく、密かに次のたねに宿り生き続けることが出来る。そしてこの身は、姿こそ変わるものの世界の中心たる場所で、この世に生きるすべてのものを愛し、すべてのものから愛される時を過ごすことができるのだから。
彼女は、これが自分に課せられた使命なのだと何の疑問も持たずに育ち、この時を楽しみに生きてきた。
しかし、女を守り、失われる運命にあったマナの樹を守るため、命を賭してくれたジェマの騎士たちはどうだろう。
彼らは自分たちがある種の“捨て駒”だったと知った時、それでもこの定めを喜んで受け入れただろうか。


無論、女も今までの戦いがすべて無駄なものだったとは思っていない。
バンドールがマナの力を手にしたままでは、後に訪れるはずの“その時”を迎えることもなく、世界は闇に沈んだだろう。
つかの間とは言え、人々が平和を取り戻したことは目に見える大きな成果だとも言える。

それでも、女がずっと彼らに真実を語らずにいたことに違いは無い。
女は彼らに「マナの樹が邪悪に染まれば、世界は滅ぶ」と語っていた。
彼らはその言葉を信じ、女と共に戦い、マナの樹を守るために全力を尽くした。
マナの樹は一度失われる定めにあることなど知らず、またこの先に待つ更に大きな闇の影も知らずに。


彼らは闇に染まった樹の代わりに、新たな樹を育てれば良いとは知らなかった。

知っていたのは、女と、恐らく千年の時を生きる大賢者だけだ。


かの大賢者も、知っていてそのことを口にしなかったのは、その樹が何から生まれるかを知っていたからだろう。
誰よりも厳しく、それゆえに誰よりも優しい大賢者シーバは、たとえそれで多くの命が救えたとしても、共に戦う仲間を世界に捧げることを由とは出来なかったのだろう。
いつも彼女に微笑み掛ける大賢者のまなざしが、悲しい色を帯びていたのは、恐らくそのせいだ。


――では、私は何故そのことを誰にも告げなかったのだろう。

思いを廻らせるうちに、突然女はあることに気付き、息を飲んだ。


私は知らず、この肉体を失うことを恐れていたのかも知れない――
人としての体を失い、私が私でなくなることが怖かったのかも知れない――


その思いが浮かび上がるのと同時に、つい先程まで隣に立っていた聖剣の騎士の顔が蘇ってきた。
彼の無愛想な表情の裏に潜む優しさや、逞しく暖かい掌、そして彼女の名前を呼ぶ力強い声が次々に思い出される。

知らず、女の目からは涙が転がり落ちていた。

この戦いが始まった当初は、心の底から、自分がマナのたねとしての使命を全うできることに誇りを持っていた。
幼い頃から夢見ていた瞬間が訪れる日が迫っているのだと、喜びすら感じていた。
それがいつしか、死ではない、永遠の時を生きる道から目を背けるようになっていたのだ。
自分自身ですら気付かない間に。

そのように考えるようになった理由は、“マナのたね”ではない彼女自身を愛してくれる人と出会ったからだ。
彼女自身はその愛情に気付かないふりをしていたが、与えられるその見返りを求めない深い愛に、知らず惹かれていたのだ。


もう、彼にこの姿で会うことはない。
彼がこの地に再びやって来たとしても、触れることも、言葉をかけることも出来ない。
それに今気付き、女は唇を噛み締め、涙を零し続けた。


「ボガード…私は、あなたを……。」




地平線の彼方から金色の光が零れ出し、夜明けの瞬間が近づいてきた。
女は泣き腫らした顔を上げ、差し込み始めた朝の光に目を向けた。
この、世界を満たす黄金の光を、この世界のどこかでかの男も見ているのだろう――そう思うと、彼女の心は少し、癒された。
彼女は緩く微笑みを浮かべ、瞳を閉じて記憶の一番奥底に埋められていた言葉を口にした。
その言葉が鍵となり、女の体が淡い光を帯びた。
ゆっくりと大地に溶け、ひとつとなりゆく体に、大きく暖かな力が足元から流れ込んでくる。
今まで以上にマナの力を間近に感じ取り、今まで経験が無い高揚感を覚える。
次第に薄れゆく己の意識の片隅で、彼女は静かに大切な人たちのことを思い浮かべた。
とりわけ、別れた時にはまだ乳飲み子であった我が娘――宿命を背負った“マナのたね”のことを思うと、彼女の心はひどく揺れた。
これが己に出来る精一杯のことだったとは言え、母らしいことのひとつもしてやれず、ただ自分が成し得なかった重荷を負わせてしまう結果となったことを密かに詫びた。
そして、後にかの娘が進むことになる道に、せめて灯りとなる人、娘のためのジェマの騎士が現れることを深く願った。



日の出の光と共に聖なる頂は揺れ、女が立っていた場所は地中深くへと落ち込んでいった。
激しい土埃の治まった時には、切り倒されたかつてのマナの樹の跡はなく、新緑の葉を茂らせた若木が一本、世界を見下ろしていた。
朝日に照らされた若木は、世界に訪れたつかの間の平和を象徴するかのように、誇らしげに金色に輝いていた。




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ヒロインママとボガードの関係はどんなものだったのか、と考えてみた結果です。
ヒロインよりも自分の“使命”についてちゃんと理解した上で、ジェマの騎士たちと共に戦っていたように私には思えます。
きっとボガードの好意にも気付いてはいたけれど、それに応えることは己の立場上してはいけないことだ、と自分を律していたのではないかなかなあ、と。
それがFF外伝の最後の最後、ヒーローに託した言葉になったのではないか、と思いました。

ヒロインママの名前は何となくは考えてますが、出さない方向で書きました。
公式には無いものですし、みなさんそれぞれに思い入れはあると思いますので。

2008/05/04


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