愚者の道、希望の道



あの時、あなたは自らの行く道を選んだ。

大樹の巫女として、大樹の封印のため自らの命を鍵として扉を閉じることを。

世界を滅亡から救うために、大樹と共に、滅びのこだまと共に石となることを。

それが結論を先延ばしにするだけだとしても、わずかでも希望の残る道を残すために。

不完全だと分かっていても、あなたは自らの役目を果たす道を選択した。




最後の瞬間にあなたの見せた姿があまりにも哀しげで――その顔はまだ生きることも出来た命を捨て、人のため、世界のために自らを犠牲にすることに対する諦めの表情にも見えて――私は、目を見張った。
あなたが呼んだ私の名前には、甘く優しく、そして悲しみの響きが含まれていた。
私が呼んだあなたの名前を、あなたは耳にしてくれたのだろうか。
光に溶け消えてゆくあなたの姿に向かって、すべての思いを込めて叫んだ私の気持ちを、あなたは受け取ってくれたのだろうか。


あなたが私の創りだした剣と共に消え、大樹が石と化した後、私は呆然とその場に立ち尽くし、声も無く泣いた。
この手に二度とあなたのぬくもりを感じることは無い――私の手の中に残るのは、この手で貫いた彼女の体の重みだけ。

世界を救うために、そして何より、彼女を守り助けるために、持てる力の全てを注いで創りだした剣は、滅びのこだまを無きものにする力は持ち合わせてはいなかった。
こだまを永遠に封じるために私の全身全霊を傾け生み出した剣は、ひとりの人の命を奪うだけのものに過ぎなかった。

私は、愛するものの命を、この手で奪ってしまった男なのだ―――。
そう気付いた瞬間に、私もまた行く道を選び取った。
いつか必ず、あなたを大樹の巫女の責務から解放するために。


それが、聖剣の振るい手としての道から外れることであったとしても。

それが、世界の破滅を招くことだとしても。

そしてそれが例え、あなたの望むところではなかったとしても。

私自身の望みのために、私はその道を選択した。



ただ、あなたにもう一度会いたい。その愚かな願いを叶えるために。



いつの日か、かの人を救い出したい。その思いだけが私を突き動かしていた。
絶望に駆られた私の想いはいつしか悲痛な叫びとなり、誰も居ない空間に響き渡った。
己の力量不足を呪い、彼女にばかり科せられた過酷な重責を呪い、運命を、世界をも呪い喉が潰れるまで叫び、吼えた。
人々の生み出した暗く冷たい負の力を、何故彼女だけが背負わなくてはならないのか――。
ひとり孤独に、果て無き永劫の刻を滅びのこだまと共に生き続けねばならない彼女を思い、私は泣いた。
出来ることならば私がその責を代わって背負いたい。
せめて、彼女と共にその荷を負うことが出来れば、と。


いつしか私の周りには、大樹に宿る精霊たちが集まっていた。
私の底知れぬ怒りを、悲しみを少しずつ吸い取るように、彼らは控えめにそっと私に触れていった。
仄かな精霊の光が、闇に沈んだ私をゆっくりと引き上げていく。
私は泣き腫らした虚ろな目で私を取り巻く輝くものたちを見ていた。
長い間、彼らは私の心の中に吹き荒れる負の感情を否定することなく、静かにただ肯定し続けた。


私の錯綜した意識が落ち着き始めた頃、精霊たちは小さな声で語りかけた。


――あなたの気持ちは良く分かりました――
――もし、あなたが本当に望むのなら――
――あなたが、あなたの愛した大樹の巫女と同じ時を生きたいと願うのなら――
――我々が力を貸しましょう――

「……わたしは…アニスと、生きたい……。」

――それが、あなたがあなた自身で無くなる道であったとしても?――

「……構わない…。」

――それが、確かな未来でなかったとしても?――

「……構わない…。」

――あなた自身が闇に染まるとしても?――

「構わない!わたしは……アニスを救うためならどこまででも堕ちてみせる!」



――それが、未来の大樹の巫女と、聖剣の振るい手を傷つけることだとしても?――
――あなたとアニスと同じ痛みを、まだ見ぬ彼らに与えることだとしても?――



「……わたしは…、
 わたしは、それでも、アニスにもう一度会いたいのです……。」



長い沈黙のあと、喉から搾り出したその言葉に、精霊たちは一瞬、深い悲しみを表した。
それでも彼らは私を責めることなく、私を包み込んだ。


――わかりました――
――あなたは今まで、己を犠牲にして戦い続けてきてくれました――
――今度は、あなたの願いを叶えるため、私たちも力を貸しましょう――
――そのために、まずは眠りなさい 来るべき時に備えて傷ついた魂を癒しなさい――



精霊たちは私を大樹の扉の前から連れ出し、誰にも気付かれない場所へと導いて行った。
そこで私は体を横たえ、静かに眠りについた。

深い眠りに落ちる前に、私はそっとアニスの名を口にした。
愚かな道を進む私を許して欲しい、と願いながら。
ゆらゆらと揺らめく意識の中、精霊たちが私を暖めてくれるのを感じた。
彼らの浮かぶ光の軌跡が、閉じた目蓋の裏にいつまでも灯り続けた。

それはまるで、私を未来へと導く光の道のようだった。



私は待った。
時々浮かび上がる意識の中、遠く深い大樹の下で生きるこだまと、アニスの意識を感じながら。
世界はゆっくりと遷り変わる。長い時を私は夢と現を行き来しながら、密かに待ち続けた。

アニスを大樹の巫女の責務から解放するためには、新たな巫女の誕生を待たなくてはならない。
扉の封印を解き、再び閉じるだけの力を持った巫女が生まれる時を。
そして、大樹の巫女と対を成すだけの力を持った、聖剣の振るい手の資格を持つ者の誕生も。

長い月日が流れた。
私は資格を持つ者達の出現を待ち続けた。
およそ一千年の時が流れた頃だろうか――その時が、訪れたことを私は悟った。
聖剣をその手に持つ資格を得るであろう者がイルージャに漂着した時、私は眠りから覚めた。



一千年ぶりに目覚めた私の体は、以前のものとは全く異なっていた。
変わり果てた己の姿を見て、私は自嘲するように笑った。
精霊たちの力に守られ、その力を吸収した体はすでに人とは呼べないものであった。
しかしそれに嫌悪を覚えることも無かった。
人でも無く、妖魔でもないどっちつかずの存在――
己の望みのためだけに生きる今の自分には相応しい立場だと思えた。


――本当に、後悔は無い?――


目覚めた私に、一言だけ問いかけて来た声に私は答えた。

「後悔など無い。わたしは、もう立ち止まることは無い。」

自分に言い聞かせるように発したその言葉を聞き、私を包んでいたぬくもりは消え去った。
私は過去の自分を覆い隠すように、手近にあった仮面を手にした。
精霊たちの加護を失った私には、進むべき道はひとつしか残されていない。



「さあ、始めましょう。」



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仮面の導師は、かわいそうな人だと思います。
彼が大樹の扉を開こうとしたのは愛する人を救うためだと語っていましたが、
それがどんな思いから生まれた考えなのかということを自分なりに考えてみました。
解体真書が出たら、彼の真意がわかってしまうのかな、とも思いつつ。

2007/02/09


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