光芒


「もうすぐ一年、か。」

不意にエルディの発した言葉に、フィーは小首を傾げた。
その言葉の意図するものが理解出来ず、フィーはふわりと彼の目線にまで舞い降りた。
フィーの通った後に、ほんのりと青い軌跡が空中に描かれ、薄れていく。

「イルージャを出て、もうすぐ一年になるんだな…。」
「…そうね、もう一年になるのね。」

フィーは納得し、エルディの伸ばした指先に手を掛けた。

深々と冷え込む砂漠の夜。
薪のはぜるかすかな音さえも大きく響くと思えるほどの静けさの中、二人は一年という時間の重さを噛み締めた。

「たくさん、旅をしたね。」

焚き火の周囲で飛び交うサラマンダーと、夜の闇にひっそりと佇むシェイドの姿をぼんやりと目で追いながら、
フィーが言った。
その言葉にエルディも頷く。

「ああ。……いろんなことが、あったな。」



魔界の扉が開かれて、もうすぐ一年が経つ。

かの島は、今だストラウド率いるロリマー軍に占領されたままだ。
開かれた扉からは、今この瞬間にも邪精霊タナトスが呼び込まれているのだろう。

扉が開かれたその時、命からがら島から脱出した二人は、この一年の間ファ・ディール各国を渡り歩いた。
イルージャ島の開かれた扉からこの世界へとやって来た夥しい数の邪精霊は、瞬く間に世界中を覆い尽くした。
そしてその闇の力に多くの人々が飲み込まれ、魔の生き物と化した。
しかし、何とかタナトスに飲み込まれず生き抜いた者たちは、自分たちの国を、世界を守ろうと必死の抵抗を続けている。
エルディとフィーはそんな人々と共に戦い、いつの日かイルージャ島へと進軍してもらえるよう協力を呼びかけて来た。
その努力が実り、イシュ・トップル・ウェンデルの各国は現在ロリマー軍の本拠地となっているイルージャ島への行軍の際には手を貸すと約束をしてくれている。
世界を自分たちの手に取り戻すためには、かの扉を再び閉じる他に術はないのだから。


「……今度、ジャドの戦が片付いたらイルージャへ帰ろう。
 島を、俺たちの手で取り戻すんだ。」

そう言ったエルディの目は、どこか遠くの誰かを見ているようにフィーには思えた。
きっと彼の目線の先に立つのは、優しく微笑む樹の巫女なのだろう――。
そう気付き、思わずフィーは、エルディの指を握る手に力を込めた。



―――いまのエルは、こんなにちかくにいるのに、とてもとおい。

わたしがどんなにねがっても、手のとどかないところにいるんだわ……。



一年前、強くて明るい光に引き寄せられ大樹の祠で自分が“フィー”であると気付いたその時、
エルディと一緒に居たかの人の姿が鮮やかに蘇る。
自分に微笑みかけるその人は、とても自分に近くて、似た存在なのだとすぐに気が付いた。
理由はわからなかったが、自然とそう悟ったのだ。
それは自分だけでなく、彼女も同じく気付いていただろう、とフィーは思う。
ほんの少しの交流しか彼女とは持つ時間が無かったが、いつかその理由が分かる日が来るのだろう―――
そう、ぼんやりと思ったことを覚えている。


そしてもうひとつ、すぐに気付いたことがあった。
彼女と一緒にいた、ほんの僅かな時間だけで気付いたこと。



それはエルディにとって彼女は特別な存在なのだということ。

また、彼女にとっても、エルディは特別な存在なのだということ。



イルージャ島を出るまでも、出てからも。ずっとエルディは彼女を思い続けている。
それは彼女がかの扉を再び閉じる力を持つ巫女だから―――世界を、イルージャ島を元の姿に戻す力を持っているから、という理由からではない。
それは、たった一年の繋がりである自分とエルディの間には無い、深く強い絆なのだと改めて知ったフィーの胸が、
ほんのすこし、痛んだ。

どれだけ似た存在であっても、“わたし”は、“かのじょ”ではないのだ。



―――もし、リチアがいなかったら。

エルは、わたしのことをもっとみてくれるのかな……



ふと、フィーの脳裏にそんな思いが浮かび上がってきた。
その瞬間、フィーの背に悪寒が走った。
重く粘着質な何かが、闇の底へと引きずり込もうかとするようにこちらへと手を伸ばす。
どす黒く暗い力がフィーを取り囲み、視界を奪う。


―――いけない!


とっさにフィーは目を瞑り、どこからともなく響く呼びかけから意識を逸らした。
手から伝わるエルディの温もりに意識を集中し、闇から伸ばされた黒い思念を断ち切る。
それはほんの一瞬の出来事だったが、フィーにとっては長く、苦しい時間に思えた。

黒い力が去ったと悟ったフィーは、知らず大きく溜息をついた。
そして自分の身勝手な考えが、タナトスを呼び寄せたのだと気付き、唇を噛み締めた。



そんなフィーの小さな変化に気付くはずもないエルディは、彼女の枯葉色の髪をそっと撫で、笑った。

「今までの一年は、大変だったけど。一年後には、リチアも、レックも、村のみんなも。
 一緒に、前みたいに過ごせるようになるよ。そうなるように、あと少し頑張ろう。」
「いちねんご……。」
「そう。一年後。
 一年後はこんな……みんながいろんなことに怯えたり、苦しんだりしないで済むように。
 普通の、暮らしが出来るように。」
「そう……そうね。
 いちねんご、みんなで、みんながわらっていられるように、ね。」

エルディの久しぶりに見せる明るい笑顔に、心の内がまたちくりと痛んだが、フィーはそれを悟られぬよう、笑顔を返した。



これまでの一年。エルディと共に過ごしてきた一年。

では、この先の一年も、同じように彼の傍で過ごすことが出来るのだろうか。
彼の願うように、彼の傍で笑っていられるのだろうか。

フィーの中には、まだ答えは見えてこなかった。
後ろを振り返れば闇の中に、己の辿った軌跡が青い光となって描かれている。
しかし今より前の世界は、今だ黒く塗り込められたままだ。
それは、先程一瞬包まれた邪精霊のもたらす闇のように、一点の隙も斑もない真の黒。


―――でも。


フィーは傍らで浅い眠りに落ちたエルディを見つめる。


エルがのぞむなら、わたしはそばにいる。
わたしをひつようとしてくれるかぎり、わたしはエルのそばにいる。
そのさきにあるものが、わたしのいない、みらい、だとしても。

それが、わたしのねがいだから。



知らず浮かび上がった涙を拭い、フィーは顔を上げた。
そして自分に言い聞かせるように、深く頷いた。



彼の望む未来が得られるよう、自分の持てる力を捧げよう。
少しでも彼の進む道を明るく出来るよう、闇の中へと飛び立とう。
例え小さな光でも、それが戦い続ける彼の手助けとなるのなら。

そう思いながら、フィーもまたエルディの腕の中で眠りについた。



目覚めた朝が、彼にとって優しい未来であるようにと願いながら。




―――――――――――――――――――――――――

書き出した時のテーマは「一年」でした。これまでの一年と、これからの一年。
そこにフィーの葛藤というか、生まれはタナトスと同じようなもの、
という設定資料のあたりから想像が転がってこんな文章になりました。
フィーはリチアに嫉妬なんてしない!と仰る方もいると思いますが、
まあ、寛大にそんなこともあるかもね、と見てもらえれば幸いです。

聖剣4、1周年おめでとうの気持ちを込めて。

2007/12/21

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