・「マナの樹」となる選択
しょっぱなから物語のクライマックス部分に触れます。だってこれがメインテーマだしね。
ジュリアスを倒した後、枯れたマナの樹を復活させる為に、ヒロインはマナの樹と融合します。
姿は変わっても、あなたのことは忘れない、とヒーローと約束して。
この手の話には滅法弱いです。私。
どこかでも書きましたが(本館かな?)、LotRにもある意味似た部分があったりする。
自己犠牲と言うか。
本当に大切なものを守る為には、何かを引き替えにしないといけないという。
FF外伝・新約共に、世界を守る為にヒロインは自らを犠牲にしますよね。
あれに弱いんだな…。ストーリーの細部なんかどうでも良くなるくらいに。
ただ、今回の場合、ヒロインが「マナの樹」となる動機が薄かった気がするのが残念。
マナの一族の女性は他にもたくさん居るってことは、これから先も何かあれば新たな「マナの樹」となる資格を持つ者が現れるってことですよね?
じゃあ別にヒロインじゃなくても良いのかよ!…と思ってしまう。
再びジュリアスのようにマナの力を欲するものが現れて、マナの樹が枯れてしまったとしても
代わりは居るじゃん、って。別に枯れても大丈夫じゃないの、って。
何となく緊迫感が無いというか。
比較してしまって申し訳ないのですが、FF外伝の場合、ヒロインは「最後のマナの一族」だったので、彼女が滅びてしまえば本当に世界が終わってしまうと。だからそうならない為に、ヒーローやヒロインのことを知る人たちは、必死になって、ヒロインの想いに報いる為にマナの樹を守って行ったと思えるわけなのです。
しかし新約の場合は…そうではないわけで。
ヒーローがヒロインのことを忘れないで、「ごくあたりまえの」幸せを得る未来をヒロインは望んでいたのかも知れないけれど。その「幸せ」を得て欲しいが為に、マナの樹となる選択を彼女はしたのかも知れないけれど。
何だか、消化不良だと思ってしまったのでした。
ただ、新約・FF外伝共に、ヒロインがマナの樹となる選択をしたのは、ヒーローが居たからこそだと私は思っています。世界を救いたいとか、そういった聖人君子的な動機ではなくて。
(勿論そういう考えも多少はあったでしょうけど)
愛する人に生きていて欲しい。
その純粋な願いが、彼女達の選択の決定打となったのではないかな、と思いました。
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・ジュリアスの野望
新約ジュリアスの場合、マナの樹を欲する理由が「マナの女が欲しいから」というものでした。
世界を作ったと言う女に会ってみたい、そしてその女を自らに跪かせたい、と。
世界を征服するのも、マナの力を手に入れるのも、その最終目標を達成する為の過程でしかない訳で。
結局はプレイ日記の方でも書きましたが、ジュリアスが欲していたものは「母性」なのだと思う。
彼は魔族であり、恐らく母親の存在が無い(魔族の中でも特別な存在っぽいので、邪悪な意思や思念の凝縮したものから生れたのかな、とか思ってみたり)か、居ても薄い関係だったのではなかろうか。
で、無意識のままに母性愛を欲していくうちに、究極の母親=世界の創造主であるマナの女神を我が物としたいと考えたのではないかと思うのです。
新約ジュリアスの野望は、FF外伝のジュリアスの野望(バンドール帝国の復興・世界制服)よりももっと内面的で、個人的なものだったと捕えられると思います。
1週目プレイの段階では、かなりスケールダウンしたなーコノヤロウ!と思ったのですが(笑)野望の質が違うので単純に比較出来るモノでもないかも…と2周目プレイ時には思えてきました。
ある意味、今の時代に合った野望と言えるのかも知れません。
今更世界制服なんて言っても…と言う感じも多少するし。
「個性の時代」とか言われる現在ですから…野望も個性的に、ね(笑)
しかしだな。そう考えると、特別にヒロインやヒロインママに固執していたわけではなく、マナの女神となる資格を持つ者なら誰でも良かったわけだ。
…やっぱり、マナの一族がたくさん居るって設定は失敗だと思うわ…。
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・国王としてのシャドウナイト
シャドウナイトもFF外伝と新約では随分様変わりしたキャラクターの一人だと思います。
そこで私なりに、「グランス公国王」としての彼について考えてみます。
FF外伝の彼は…恐らく「暴君」と呼ばれても可笑しくない存在だったと思われます。
軍事力を拡大し、マナの力を手に入れて世界を征服するのが目標だったのですから。
ついでに奴隷達をモンスターと戦わせることが娯楽だったわけですしね。
しかし新約のシャドウナイトはちょっと違う。
彼はマナの力を「手に入れる」のではなく、マナ(魔法としての力、信仰の対象としてのモノ)
の存在を忌み嫌い、マナを信じるものを弾圧していたわけです。
力を手に入れるのではなく、葬り去る。そのために力を使う。
それが新約版シャドウナイトの行動であり、考え方であると私は思います。
この点から言っても、新約版の彼は「暴君」と言った存在からは一線引いた存在であると考えられます。
他のモノに頼るのではなく、自分達の力で国と世界を支える。
確かにこんな理念を持つ者ならば、国の代表者としての資格はあるように思えます。実際、ウェンデルの町の人も「若い人には人気だ」と言っていましたよね。革新的で、現実的。保守的な老人がたにはウケは悪そうですが。
また、モンスターバウト時の演説に対する反響から考えても、統率力もかなりのものだと思われます。FF外伝のシャドウナイトも統率力はありそうだけど…それは恐怖政治に近そう。
しかしながら、マナ信仰の弾圧が自分の恨み故であり、マナの力に頼らずに生きると言うのが大義名分に過ぎないとしたら…ちょっとどうかと思うな…。思いっきり私情丸出しだもの。
そんなわけで、新約版シャドウナイトは割と国王としての才覚はあったように思います。
思想弾圧はしていましたが、それ以外の面においては結構優秀であるように私は思いました。
でもね、内政に関しては新約版もFF外伝版も、文官任せっぽいですね。
本人、先陣を切って戦やら何やらに飛び出す肉体労働系っぽいから(笑)
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・ヒーロールートとヒロインルート
これは考察ではなく、ゲーム進行について思ったこと。
今回の新約では、ヒーロー視点とヒロイン視点でお話が見られるようになっていました。これは結構面白いやり方やと思うし、実際2周して全体がよりくっきり見えて、個人的には良かったと思っています(賛否両論あるでしょうが)。
しかしですね。それってどうよ?と思ったこともあったわけです。
一番どうかなーと思ったのがグランス城を目指す所と、聖剣を求めて浮遊岩の荒野から海底火山へ行く所。
ここは同じルートを別グループ(ヒーロー・レスターチームとヒロイン・ボガードチーム)で行くわけなのですが。プレイヤーチームが先行して、NPCチームが後から追いつく、みたいな雰囲気なのですけど…。
落ち着いて考えると凄く間抜けなんですよね、NPCチームが。
特に海底火山でヒロインが聖剣を手に入れてしまった場合。ヒーローとレスターはどこかで迷子になって、海底火山に辿り着けず(または追いついても先に見つけられていた)、なわけで。しっかりしろよヒーロー!男だろ!って感じを受けてしまったのですよ…。ヒロイン逞しすぎ、とも。
話の展開上、と言うかヒロインも聖剣探索に参加してしまった以上仕方ないのかも知れませんが。
何とも情けない…。
そこでですね。考えたのですが。
どうせヒロインが戦闘に参加してバリバリ戦っちゃう聖剣にリメイクしちゃったんだから、いっそ聖剣探索も2分割しちゃえば良かったんじゃないの?…とか思ってみたのですよ。
ヒーローがガイアの洞窟を探索し、ヒロインが飛空艇内を探索したように。
二手に分かれた意味がちゃんと出るように、ヒロインは海底火山ではなく、全く別の場所に何かを探しに行くようにすれば良かったのではないかな…と思ったのです。例えば、ダイムの塔を再び蘇らせるために奔走するとか(シーバがガラスの砂漠に沈めた説は却下)。
それか、あれですよ。
聖剣はヴァンドールとの戦いで二つに折れて、折れたる剣は別々の場所に隠された、とかね。
で、再び一本の剣に打ち直された聖剣は、マナの剣でもなくエクスカリバーでもなく、アンドゥリルと呼ばれちゃったりするわけだ!(LotRネタです…スミマセン。分かる人、お友達になりましょう・笑)
とにかく、追いつきも追い越されもしない同一ルートはどうかと思った、と言う話でした。
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・愛のカタチ
FF外伝が大好きな人間が、新約聖剣伝説をヒーロー編・ヒロイン編共に最後までプレイして違和感を感じる部分の1つとして、ヒーローとヒロインの関係の様変わりが挙げられると私は思います。
FF外伝での二人の間にあるモノは、互いが互いを愛しく思う、「愛」でした。
恋愛感情と言い換えても間違いでは無いと思います。
ヒーローは偶然出会ったヒロインと旅をし、彼女を助ける為に一人孤独な旅を続ける。
ヒロインもまた、彼を信頼し、彼が来ると信じていたと思います。
会えない時間が互いの思いを高まらせる、なんて陳腐な言葉ですがそんな感じです。
二人の関係は究極の悲恋として幕を閉じたと思うけれど、彼女の為に聖剣を振るい、彼の為にマナの樹となる選択をしたことを考えれば、二人の互いを思う気持ちは並々ならぬものだったと思います。そうあって欲しい。
新約の二人の関係は、そんなFF外伝の二人の関係とは随分違いました。
勿論互いが互いを思い、信頼し、大切な存在であることには違いないと思うけれど…それは「恋愛感情」とは違うものだと私は感じました。
確かにFF外伝の二人よりは劇的な出会い・再会をしている点では、互いの印象は強いとは思うけれど、恋愛までは至る感じじゃないなあ…と思うのです。最後のお別れシーンにしてみても、随分あっさり感が漂っていたし。(それも互いを信じあう度合が強いからかもしれませんが…。)
一緒に行動していない時も、それぞれにNPCが共に居たから、相手のことをそれほど思う時間も無かったのではないかと思いますしね。
そんな新約のヒーロー・ヒロインに私が想像する愛のカタチは『友愛』に近いものじゃないかと思うのです。
同じような境遇で、よく似た目的を持ち、共に戦う仲間としての愛。
「わたしはあなたを信じてる。」とヒロインはゲーム中でヒーローに言いますが、その言葉からも私は恋愛感情よりも同士愛を強く感じたのです。
新約の場合は「悲恋」と言う面はグランス侯とメドゥーサ、デュラックとパメラの方が当てはまる気がします。
ヒーローとヒロインの愛は、それとは違った愛…友愛、同士愛なのかな、と思いました。
描かれる愛の形は違えども、行き着く先はどちらも同じ。
どちらもはかなく、悲しく、美しい。
…書いていてかなり恥ずかしいな…この文章(苦笑)
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