truth in quarternote


砂の海に、赤い陽が落ちる。

昼間はじりじりと肌を焦がすような灼熱の地だが、夜になればうって変わってひやりとした風が街中を吹き抜ける。
刻を知らせる鐘の音を合図に人々は一日の仕事を終え、家族の待つ家へ、仲間の集まる酒場へと散っていく。

ここは砂漠の中の都市、ジャド。

少し前は"沈黙の街"と渾名されたこの場所も、今はごく当たり前の賑わいに満ちている。
聖都ウェンデルが何者かに襲撃されたことも、強大な勢力を誇ったグランス公国が滅びたことも、この地に住む者にとっては遠い異国の物語に過ぎない。
かつてこの街を支配した者がいつの間にか姿を消していたことすら、庶民にとっては過去の出来事になっていた。
街の時間はただ平凡に、退屈に、平和に流れてゆく。




夜の静寂を縫うように、この街の酒場から少し哀愁を帯びた竪琴の音色が零れ出した。
酒場の隅で黙々と音を紡ぐのは、この街をよく訪れる吟遊詩人。
酒場の揺れる灯火が、竪琴の音と相まって、現を幻想的に彩ってゆく。

詩人は、男にしては柔らかで、幾分女性的な顔立ちをしている。
長めの髪は自然に流してあり、その上に幾重にも布を巻きつけている。
この地方では特有の暑さから身を守るためのごく普通の服装だが、異国ではその容姿も相まって、さぞかし持て囃されるだろうことが容易に想像出来た。
彼は元々出身がこの付近の村らしく、ふらりとどこかへ旅立っては折に触れてこの街へと立ち戻り、こうやって酒場や街角で歌を、物語を、詠っている。
彼のもたらす世界各地の話は、老若男女問わずこの街の娯楽のひとつであった。




「おい、詩人さんよ、何か新しい物語は無いのかい?」

宴もたけなわ、といった風の男たちに詩人は声をかけられ、酒場の隅から立ち上がった。
詩人は男たちの席の近くに腰掛け、そうですね、と弦を弾きながら思案した。

「では、まだ完成ではないのですが……新しい詩をひとつ、披露させて頂きましょうか。」

そう前置きし、ひとつ深呼吸すると、詩人は竪琴を爪弾き、歌い始めた。



それは、二人のジェマの騎士の物語。


一人は、かつて栄えたバンドール帝国の邪悪なる野望を打ち砕いた聖剣の騎士。

そしてもう一人は、グランス公国の世界征服を事前に食い止め、マナの樹を密かに守ったのだという。
この新たな騎士の話はこの街の人間にとっては初めて耳にするもので、いつの間にか酒場に居る者全てが詩人の声に耳を傾けていた。

詩人の朗々とした声と、澄んだ竪琴の音色が、夜風に乗り砂漠の空に消えてゆく。




グランス公国の剣闘士奴隷だったというかの騎士は、友人の死をきっかけに脱走し、マナの導きを得て世界を駆け回ったのだという。
彼は数々の別れと挫折を乗り越え、独り戦い続けた。
時に愛するものを自らの手で葬り、時に怒りに身を任せながらも、その旅路はかつての聖剣の騎士と同じ道を辿ってゆく。
そして彼は、ついにマナの樹の祝福を受け、聖剣を手にし、その力を得てこの世界を滅びの危機から救ったのだ、と。




「新しいジェマの騎士の戦いは、決してかつての聖剣の騎士のように華々しくも、多くの人に知られたものでもありませんでした。しかし、独り勇敢に戦ったかの騎士は、ジェマの騎士と呼ばれるに相応しいのではないでしょうか。」

吟遊詩人は詩の終わりに、竪琴を置き、そう締め括った。

聴衆者から拍手と賛辞の声、そしてぱらぱらとチップが投げられると、詩人は柔らかに微笑んでそれらを受けた。

「いい詩だったよ。  ……それにしてもあんた、その新しいジェマの騎士さんには会ったことがあるのかい?
 やけに詳しいみたいだが。」

ひとりの男が詩人にチップを渡しながら尋ねた。
すると、詩人は困ったような表情で、ゆっくりと首を横に振った。

「……残念ながら、お会いしたことはありませんよ。」

その答えを聞いて、客は豪快に笑った。

「そうだよな、あんたは吟遊詩人だもんな。全部が全部、本当のことじゃないんだよな。」

何にせよあんたの詩は良かったぜ、と男は言い、仲間と共に帰っていった。
詩人は客が三々五々散っていった後、酒場の主人から一日分の礼金を受け取り、静かに酒場を後にした。




宿の部屋に戻ると、詩人は窓を開け放ち外気を室内へ取り込んだ。
淡く光る月の空の彼方には、微かにマナの樹があるというイルージアの山並みが浮かぶ。
詩人は窓際に腰掛け、そっと竪琴を爪弾いた。

「詩人の詠う詩は、全てが全て、真実ではない…。」

酒場で言われた一言が、ぐるぐると渦を巻く。

「それでも、私は詠い続けます。」

虚構の中に、一握りの真実を。

作り話としてでもいい、少しでも多くの人に覚えていてもらえるように。
昔語りとしてでもいい、一人でも多くの人の心に残るように。

「あなたは、詩に詠われることを望まないかも知れませんが。」

新たなジェマの騎士となった青年を思い出し、詩人は呟く。
彼は今も、ジェマの騎士としての務めを果たすべく、たった独りで密かにこの世界を見守っているのだろう。
彼が永遠に失った、愛する人を守るために。

「…私は、私の詠う詩から、少しでも人々に真実を汲み取ってもらいたいのです。」

今の平和は、多くの悲しみの上に生まれたこと。
世界を支えるマナの樹は、絶対の存在ではないということ。

そして、英雄として称えられるジェマの騎士も、苦しみを背負うひとりの人間であるということを。




その夜、砂漠の街から竪琴の音が途切れることはなかった。

不思議な力を湛えたその音色は、眠る人々の心に安らぎと、少しの胸の痛みを届けた。



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すべてが終わった数年後の話。
タイトルが決まらなくて決まらなくて…。仮題は「とどきますように」「folkrore」でした。
2005/07/04


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