「…はぁ、はぁ……。」

グランス城から抜け出したデュークは、手近な茂みに身を隠すと座り込み、荒い息を吐き出した。


モンスターを倒し、場内の熱気が最高潮になった隙をついて、デュークはモンスター側のゲートに飛び込んだ。
脱走に気付いた何人かの兵が止めようとしたが、手にした剣で薙ぎ払い振り切った。
グランス城の位置関係には詳しくなかったが、何とか城壁へと辿り着き、物見塔に居た数人の兵を倒し、城外へ抜け出すことが出来たのだった。

「そろそろ追手が来るかもな……。」

呼吸が整った所で、デュークは呟き立ち上がった。
とにかく、この城から少しでも遠くへ。
どこかの集落にでも辿り着ければ土地勘も働くだろうが、今のデュークにはこの城周辺の地理は全くと言っても分からなかった。アマンダを始めとする牢の奴隷仲間たちのことも気にかかったが、まずは追手から逃げ延びるのが先決だ。
デュークは足の赴くまま、周囲から身を潜めつつ動き出した。




しばらく進むと、激しい水音が聞こえて来た。
―――確か、グランス城の近くには大きな滝があるとか言ってたな―――
誰かの言葉を思い出しつつ、喉を潤そうとデュークは水音のする方へと進んでいった。


「……この滝の上に、私の望むマナの樹があると言うのだな?」

不意に前方から響く声に、デュークは反射的に木の陰に身を隠した。
剣を握る手に汗がにじむ。
声の主はデュークの存在には気付いていない様だ。
デュークは息を殺し、そっと様子を伺った。

―――シャドウナイト、と部下のジュリアスじゃないか…!―――

そう。滝つぼの前に居たのはグランス公国王・シャドウナイトとその側近である魔道師・ジュリアスであった。

デュークがジュリアスを目にしたのはほんの数回だったが、良くも悪くも異彩を放つ、その風貌は見間違いであるはずはない。 短く薄い茶色の髪。額に着けられた金のサークレット。口元を隠し、その表情を伺い辛くしている紫のベールに、赤紫のローブ。そして何より、一度見れば忘れられないような冷たく鋭い眼差しを持つ若き魔法使い。
グランスが数年のうちに強大な勢力となったのは、彼の強力な魔道の力があったからだとも言われている――かの男は、切れ長の目を流れ落ちる滝に目を遣り、シャドウナイトに語りかける。

「はい。この滝の上には神殿があり、マナの樹はその中にひっそりと立っていると言います……。」
「しかし、その神殿へはどうやって行くというのだ。この滝を登れと言うのか?」

シャドウナイトはちらりと滝を見る。イルージア山の遥か上……頂上は雲に霞み、さながら天から直接落ちてくるかのように見える水の流れは激しく、その岩壁は垂直にそびえ立つ。
到底人の力で登りきれるものではない。

「登るのではありません。奇跡を起こすのです。」

さも当然のようにジュリアスはそう言い放つ。その言葉に、シャドウナイトは訝しげに若い腹心の部下を見た。

「奇跡だと?どうやって起こすのだ?」
「…私には見えます……。ひとりの、少女がその鍵を握っています……。」

ジュリアスは目を伏せ、遠くの何かに思いを馳せるかのようにゆっくりと言葉を口にする。

「なるほど。お前のその力、当てにして居るぞ。」
「お任せあれ。」

シャドウナイトは満足そうに頷く。
ジュリアスは目を細め、主君に一礼すると、ふわり、と赤紫の衣を翻し、姿を消した。



デュークは無意識に身を乗り出し、二人の会話を一言も聞き漏らすまいとしていた。

マナの樹。
ウィリーの言葉が耳に蘇る。
グランスがかの樹を手に入れれば、世界が支配されるのだ、と。
疑っていたわけではないが、ウィリーが言っていたことは真実であったのだと思い知り、同時に世界の危機が目前に迫っているのだという事実を突きつけられ、デュークの額には汗が浮かんでいた。

とにかく、この場を離れ、滝の小屋に住むボガードという男を探さなければ。
そしてこの事実を伝えなければ。
そう決意したデュークが密かに、その場を後にしようとした、その時。

「誰だ!?」

シャドウナイトがデュークの気配に気付き、こちらを向いた。
鋭い視線に射抜かれたデュークは、反射的に走り出した。

もはや身を隠しても無駄だ、そう判断したデュークは道に飛び出し、全速力で駆ける。
ちらりと後方を見れば、重い鎧と大剣を帯びているとは思えない程の身軽さで、シャドウナイトは追って来る。
―――これは、逃げ切れないかもしれない―――。
デュークがそう思った、その時には、すでに逃げ場のない崖に追い込まれていた。
崖の下を覗き見るが、そこは常人には下ることも上ることも不可能な切り立った断崖絶壁。激しく流れ落ちる滝の水の飛沫で下方は霞み、地上を見ることは叶わなかった。

「……貴様、闘技場からの脱走者だな。見覚えがある。」

いつの間にか追いついていたらしいシャドウナイトの声に、デュークははっと前を向く。
黒い大剣を手にした男は、少しも息を切らした様子も無くこちらを見ている。

「なかなか良い太刀筋の剣奴だと思っていたのだが―――。」

シャドウナイトはそこで言葉を区切り、ゆらり、と大剣を構えた。

「マナの秘密を知ったからには、生かしては置けん!」
そう言い放ち、瞬時に切りかかる。
「――――っ!!」
あまりの素早く、鋭い攻撃に、避けることも侭ならずデュークはシャドウナイトの剣を盾で受けた。
しかしその衝撃までは受け止めきれず、彼の体は宙へと弾き飛ばされた。



落下していく体。

空を切る腕と足。



次第に遠ざかる黒い騎士の、長い緑の髪と不敵な笑みだけが、何故か鮮明に見えた。





【第一章・了】

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