08.
デビアスの館は、ジャドの街の北に巨大な影を落としていた。
ジャドにある他の建物とは違い、この砂漠には存在しないはずの黒い石で造られたその屋敷周辺は、街中以上に重苦しい沈黙を纏って佇んでいる。
門柱に掲げられたただひとつの灯火が、今にも闇に飲まれそうになりながら弱々しく辺りを照らしていた。
デュークはひとつ大きく息を吐き、沈黙の館の堅い石の扉を叩いた。
しばしの沈黙の後、重い音を立てて扉が開かれた。中から顔を出した取次ぎの者に、面会を申し込むと、さもデュークの訪問をすでに知っていたかのように、すぐに中へと通された。
足を踏み入れた黒い館の中は、外以上に不気味な重苦しさを湛える空間だった。
言い知れぬ不安が服を通り抜けデュークの肌に突き刺さる。
室内は煌びやかでありながらも品のある調度品が収められ、柔らかな間接照明がそれらを幻想的に彩っているにも関わらず、闇の気配がそこかしこに感じられた。
―― 一筋縄では行かないようだな ――
厚い絨毯を踏みしめ、長い回廊を案内されながら、デュークはこの館の主について、そのような印象を持った。
ふとデュークが窓の外に目をやると、細い月の光が砂漠を照らしていた。
その青白い光だけが、現のものであるような気がした。
回廊の奥にある、一際大きな扉の前まで来ると、取次ぎの者は横に置かれた燭台に灯を移し、何も言わずにその場を立ち去った。
デュークはその男の背中を見送ってから、黒く光る石の扉を二度ノックし、鈍く光る真鍮のノブに手を掛け、開いた。
扉の奥に広がる部屋には、さながら一国の主が座るような黒い石造りの椅子が置かれており、そこに一人の男が腰掛けているのが見えた。
今まで感じたことの無い種類の威圧感がデュークを襲うが、男を真っ直ぐに見据えたまま、前まで進む。
無意識に握り締めた掌には、いつの間にかじっとりと汗が滲んでいた。
「……こんな夜分に面会か。しかも小僧、見掛けぬ顔だな。さては余所者か。」
デュークが目の前まで来ると、椅子に腰掛けた男から声が発せられた。
それは館の黙した空気を震わせ、聞く者にまた新たな畏怖を喚起させるような声だった。
デュークは理由の分からない不気味さを感じ、背筋に怖気が走るのを覚えた。
「あなたがこの館の主、デビアス殿ですか。」
「余所者にこの街では好きなようにはさせん。用が済んだらさっさと出て行くのがお前の身の為だ…。」
デュークの問いかけには答えず、男は辛辣な言葉を言い放つ。
その言葉をデュークは肯定と取り、かの男にここへ来た理由である質問を投げかけた。
「僕はある人を探してこの街に来ました。
デビアス殿、ここにアマンダと言う名の、赤い髪をした女性が尋ねて来ませんでしたか?」
デュークがその言葉を言い終わるか否か、不意に鋭い鳥の鳴き声と、激しい羽音が室内に響き渡った。
良く見ればかの男の腰掛ける椅子の脇に、黒い宿り木が立てられており、そこに一羽の鳥が繋ぎ止められていた。
この暗闇の屋敷には似つかわしくない、緑と赤の色鮮やかな翼。
澄んだ瞳は、何かを訴えるかのようにデュークを見つめ、重い足枷をじゃらじゃらと鳴らしながら暴れ回る。
その様子を見て、かの男は忌々しげに手にした錫で鳥の留まる木を打ち倒した。
繋がれた鳥は、成す術も無く宿り木と共に床に倒され、叩きつけられた。
それでも尚、かの鳥は微かに翼を羽ばたかせ、デュークをしかと見つめ続けていた。
「アマンダ……そう言えばそんな小娘が居たな。砂の迷宮に行くと言っておったか。
何の用かは知らぬが、あそこは一度入れば生きて出ることは叶わぬ。もう戻ってくることもあるまい……。」
館の主は、手にした錫を弄びながら独り言でも呟くかのようにそう答えた。
その声色には幾分喜色が滲み出ているように聞こえ、デュークは眉間に皺を寄せた。
そんなデュークの顔を見て、かの男はさも愉快そうに言葉を続けた。
「追うなら追うが良い。今なら間に合うやも知れぬぞ?
最も、すでに砂漠の獣たちの餌食となり、その体は獣の腹の中かも知れぬがな。
追わぬならばさっさとこの街を後にするが良い。我の術にかかり、獣の姿に成り果てたくはあるまい……。」
この館を、そして街を包む闇と沈黙は、この男が根源だ―――。
デュークは楽しげに残酷な言葉を口にしながらも、油断無い鋭い眼で自分を観察するかの男の、底知れぬ暗闇を目の当たりにして、そう痛感した。
しかし、妄言かも知れないが、実際にアマンダが砂の迷宮で迷い果てている可能性も少なくは無い。
デュークはぐっと男を睨みつけたまま一礼し、その場から立ち去った。
「ふん……さすがにシャドウナイト陛下とジュリアスからの通達があった男だけあるようだな……
久しぶりに我を楽しませてくれそうだ……。」
デュークの去った後の沈黙の部屋に、館の主の独り言が反射した。
微かな笑い声と共に。
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