With thirst and darkness
物心ついた頃から、常に渇きを、闇を身の内に感じていた。
何を得れば、何をすれば、この心の渇きが静まるのか。見当も付かぬまま暗闇を彷徨うばかり。
幼い頃は、ただただこの闇を恐れ、閉じ込められた造りだけは豪奢な檻の中でもがき続けた。
誰も私の助けを求める声に応じることはない。誰も私を顧みることもない。母の面影は記憶にも無い。
父であるはずの王ですら、私に目を向けることはなかった。
人の温もりはいつわりのものだと知っていた。優しさは見せかけだけのものだと悟っていた。
私はひたすら孤独に戦い続けた。
その結果、闇を彷徨う日々はいつしか終わりを迎えた。明かりを得たのではない。暗闇に慣れた目は鋭く、闇に染まった体は強靭になった。
成長した私は闇を受け入れ、闇そのものの“影”となった。
私は自らをシャドウナイトと称し、その身を黒い鎧に包み隠した。
闇を恐れず克服し征服した私が次に求めたことは、渇きを満たすことだった。
王の息子である権力を翳し、私は欲望のままに奪い、破壊した。
領土拡大という名の下に、周辺の村々を襲い、殲滅して回った。逆らう者は容赦なく斬り捨て、剣闘士奴隷として捕虜にし、死ぬまで戦いを続けさせた。
見目良い娘は連れ帰り、慰みものとした。
しかしどれだけ人の死を玩ぼうと、苦しみの悲鳴を聞こうと、飢えは満たされることはなかった。
どれだけ美しい娘を抱いても、快楽は一瞬で過ぎ去り、渇きまでをも癒すことはなかった。
尽き果てぬ衝動が、私を蝕み身を内から焦がし続けた。
バンドール帝国の遺児と思われる子どもを引き取り育てたのも、ただの気まぐれではない。
憐れみでも、同情心などでもない。
マナの滝つぼの裏に隠された洞窟で仮死状態となっていた子どもを見つけた時は、子どもに対し何の感慨も持たなかった。
子どもがバンドールの王家の証と思われる腕輪を身に着けているとの報告を受けた際も、特に興味は持たなかった。
ただ、かの子どもが意識を取り戻し、初めて私の前に連れて来られた時に見せた暗い目が、私の興味を惹いた。
子どもの瞳の奥に広がる暗闇。
……かつての、幼い頃の私が恐れていた闇の色だ、と思った。
ただ、私と違いその子どもの陰鬱な暗闇の奥には、巧妙に隠され、氷の壁に守られた暗い炎が灯っていた。
その灯火の正体は私には分からなかったが……それもまた、面白いと思ったのだった。
滅びた帝国の遺児が成長した暁には、私の渇きを癒す術をもたらすのではないか――
不確かながら、そんな予感がした。
子どもがその身に隠した炎で私を喰らい闇を焼き払うなら――それはそれで、また一興だ。そうも思った。
バンドール帝国の遺児は類まれなる魔道の才を持っていた。
かの子どもはグランスの最高峰の知識を軽々と吸収し己の物とするばかりでなく、
バンドール帝国の遺した様々な文献を読み漁り、遥か昔に失われた技術を次々と蘇らせていった。
感情を凍らせた冷たい目をした魔導師は、いつしか私の片腕となり、その圧倒的な魔法の力を遺憾なく発揮していった。
私がグランス王を殺害し、自ら王の座についたのもこの頃だ。
王位に、権力に執着があったわけではない。
幼い頃より恐れていた存在が、いつの間にか取るに足らない存在に成り下がっていたと気付いただけだ。
王に刃を向けた時、かの者は醜く命乞いをした。
そして貴様は親を殺すのか、と玉座にしがみ付き罵った。その恐怖に歪んだ顔を見た時、
そして剣でその胸を貫いた時、私の心はほんの少し、揺れた。
哀れみではない。罪悪感でもない。
ただ、今までに感じたことのないざわめき――喜びに似た――を感じた。
しかしそれもほんの一瞬のこと。大理石の床に広がるおびただしい血を見ても、
目を見開いたまま息絶え床に転がる屍を見ても、あの瞬間のざわめきは再び訪れることは無かった。
王位に着いた私は、以前にも増して激しく領土拡大を押し進めた。
ある時、バンドール帝国の遺児である魔導師・ジュリアスからマナの樹の話を聞かされた私は、何時になくその話に興味を覚えた。
世界を支配する、絶対の力を持つ、永遠の命をもたらす――そんな、ありきたりで、夢物語のような話だと一蹴してしまいそうなもののはずが――
我が腹心の魔導師殿の口から語られるその言葉に、私は妙に心惹かれた。
ジュリアスと初めて顔を合わせたあの瞬間に感じた、私の渇きを癒すものの答えがそこにあるのではないかと感じた。
ジュリアスがその胸中に何か隠しているのは悟ってはいたが、そこにはあえて触れなかった。
触れる必要が無かった。……いや、私は無意識に怯え、触れることを恐れたのかも知れぬ。
触れてしまえば、喰らい尽され、私の渇きは永遠に癒えることが無くなってしまうと感じたのかも知れぬ。
そんな私の心境を、目の前の魔術師殿は察しているのだろうか。
お任せあれ、と言い置き、ジュリアスは私の命に従い、その場から姿を消した。
その話を聞いていた時に、薄汚れた一人の男が会話を盗み聞いていたのも今思えば偶然ではなかったのだろう。
刃零れした粗悪品の剣を構え、ぎらぎらと目ばかりが輝く脱走者――その瞳の純粋な輝きが、気に入らないと思った。
そう言えば見覚えのある顔だった。数ヶ月前に辺境の村へ攻め入った時、兵士たちの囲いを掻い潜り、私に剣を向けた顔だ。
あの時も、今と同じように曇り無き怒りの視線で私を睨み付けたのだ。
取るに足らない存在のはずのその剣闘士奴隷が、自分とは対極の存在に思えた。
私には生涯手に入らないものを、男はその身の内に抱いていた。
私の抱えた渇きなど、衝動など、目の前に立つ男は生涯知らぬままに終わるのだろう、そう思った。
一閃の元に男は視界から消え去ったが、かの奴隷の姿は私の脳裏から消えることは無かった。
かの男が万が一生き永らえていたならば――いつか、私の目の前に再び現れるだろう。
そしてその時は、何かが起こる。遠く水飛沫に霞むマナの滝を見ながら、そう予感した。
その後しばらくして、ジュリアスが飛空挺と共に一人の娘をグランス城に捕らえ戻った。
聖域への鍵を握るという簡素な白い服姿の小娘は、黒く重々しい城の謁見の間には不釣合いで、儚い幻のように見えた。
怯えた様子を必死に隠そうとする細い体。
金の髪を揺らし、馬鹿正直な程真っ直ぐにこちらを見る青い瞳。
歪みを知らぬ強い意思を秘めたその視線が、いつかの剣闘士奴隷とそっくりで、私は苛立った。
渇いた私の心とは正反対の、瑞々しく光にあふれた存在。世界を支えるマナの樹へと続く道を知る者に相応しいのかも知れぬ、などとぼんやりと考えた。
一通りの問答の後、娘はその曇りの無い瞳でじっと私の目を見て言った。
「あなたが求めるものを、わたしは差し上げることが出来ません。
あなたが求めるものは、マナの樹の元にはありません。
どんなに人を殺めても、どれ程の破壊を続けても、その先には一層の悲しみと苦しみが待つだけです。」
と。
憐れみのこもった口調で語られたその言葉を聞いた瞬間に、私は思わず娘に手を上げた。
傍に控えていたジュリアスは重い溜息をつき、冷ややかな視線を私に投げかけた。
その無言の重圧に、私は拳を握り締め玉座に腰を落とした。
苛立つ私を尻目に、ジュリアスは床に倒れ伏した娘の手を取り謁見の間から連れ出した。
私は歯噛みした。
分かっている。
分かっている。
自分でも十二分に理解していることを、あのような小娘に指摘されたこと。
また、動揺してしまった己自身に腹が立った。
それでも、この身を焦がす衝動が私を突き動かすのだ。
渇いた心を癒す術を求め、目の前に広がる闇を、私は本能の赴くまま、進むしかないのだ。
私には、それだけしかないのだから。
それから一月程経った頃、ジュリアスから以前私が滝つぼへと落とした剣闘士奴隷がこのグランス城を目指し奇岩山を抜ける道を進んでいるとの
報告があった。何度かかの男についての報告は受けて居たが、あのデビアスをも倒す程の腕に成長しているとは思いもよらなかった。
かのマナの娘を追ってのことだろう。
ジェマの騎士の再来か。
私の脳裏に遠い昔、闇に怯えた幼少期に聞いた伝承が思い浮かんだ。
それならば、あの時の純粋な怒りに燃えた瞳にも納得がいった。
聖剣を手にするジェマの騎士。私はその対極にある影の騎士。
マナの娘は頑なに口を閉ざし、天上の聖域へと続く道は未だ開かれてはいない。
傍らに控えた魔導師は私をも駒のひとつとし、その眼差しの先に何を見るのか。
私の心は躍った。先代のグランス王を殺めた時に感じた、あのざわめきが再び私に訪れようとしていることを感じた。
王位に執着は無い。権力にも、国家にも、執着は無い。
私が求めるものはただひとつ。私の闇を満たし、渇きを癒すその瞬間。
それがついに訪れようとしている。
「ウィリーの仇、取らせてもらうぞ。」
グランス城の最上部で、私はかの男と対峙した。
マナの娘は青年の言葉に背を押され、玉座の間へと下がった。
一端のジェマの騎士気取りか。私はあまりにも実直な目の前の青年の行動に思わず笑みを洩らした。
青年は驚くべき速さで奇岩山を抜け、ジュリアスの呼び出した魔物を物ともせずグランス城内でマナの娘を救い出した。
かの男をそれ程までに突き動かすものは何なのか。
答えは分かりきったことだが、本人からその答えが聞きたくて、私は待った。
腹心の魔導師は私に逃げるようにと勧めたが、私は娘から取り上げたペンダントを揺らしながら、二人が現れるのをただ待った。
マナのしるしは不思議な力を湛え、私の闇を仄かに照らした。
静かに柔らかに煌く宝石が反射する光が、私の心の暗闇を吸い取っていくように感じた。
大いなるマナの恩寵は、全てのものに平等に与えられるものなのか。ペンダントを玩びながらぼんやりとそんなことを考え、その時を待った。
青年の正面に立ち、黒い刀身の両手大剣を無造作に構え私は笑った。
遥か空の彼方から降り注ぐ、マナの樹の恩恵を受けたはずの光も、私の漆黒の鎧に吸い込まれ輝きを失う。
目の前に立つ男とは何と対照的なことか。私は目を細め、光の中に立つ赤い鎧姿の青年を見た。
私のそんな考えを知るはずもない青年は、何を笑うと憤慨した。
その愚かなほどの正直さに、私はまた笑った。
今頃、ジュリアスはマナの娘と何を話しているのだろう。
恐らく、バンドール帝国の遺児は、己の野望を実現させるためにグランスも、兵士たちも、
私すらも捨て駒とするのだろう。かの凍った瞳の奥に隠した暗い炎が、燻りついに燃え上がろうとしているのだろう。
それも、また一興だ。私にとっては世界を支配すること、マナの樹を得ることよりももっと欲しいものがある。
それが、今手に入ろうとしているのだから。
幼い頃から待ち望んでいた瞬間が、訪れようとしているのだから。
「娘をこの場から立ち去らせるとは、なかなか良い心掛けだ。
いつかの時よりは少しは剣捌きは上達したようだが……果たして、私に通用するかな。
さあ、かかって来い!」
私が両手で剣を構えるのと同時に、赤い鎧姿の青年は気合の声を発しながらこちらへと走りこんで来た。
幾度も打ち合い、弾かれた剣と剣、鎧と鎧が激しい金属音と火花を散らす。
黒い刀身と鈍い赤紫の輝きを秘めた刀身がぶつかり、離れ、またぶつかる。
かつての剣闘士奴隷は私も驚く程の剣技をこの短期間に身に付けたようだ。
正式に習ったものではなく、実戦から会得したのだろう。
型にはまらないながらも無駄の無い剣捌きに、私は内心舌を巻いた。
今まで無数の者と剣を交えて来たが、これ程までに心が高揚する相手に巡り会ったことは無かった。
それでもまだ、その力は私には及ばないものだ。
がむしゃらにひたむきに男は攻め入り、無数の傷を私に負わせるが全て致命傷には程遠いものだ。
私は冷静に男の剣を受け流しながら、一撃を与える瞬間を待った。
男の動きの端々には疲労の色が見え隠れするのを私は見逃さなかった。
男の突きをかわし、男がバランスを崩した瞬間に、渾身の力をこめて大剣を真横に一閃した。
反射的に男は盾で受け流したが、衝撃をまともに受け、その体は後方へ大きく吹き飛んだ。
石造りの城壁に叩きつけられ、鎧が悲鳴を上げる。青年は盾を取り落とし、短く苦痛の声を洩らした。
「どうした、もう終わりか。」
私は男にゆっくりと近づきながら声を掛ける。
いつの間にか空には雲が湧き、雲間から弱く差し込む光の筋が、黒い石の床に斑点を描く。
項垂れたままの男は、その光に導かれるように顔を上げた。
こちらを真っ直ぐに見る目は鋭く、まだ闘争心を失ってはいなかった。
そうでなければ。私は思わず口の端に笑みを浮かべた。
荒い息を繰り返し、切れた唇から滲む血を拳で拭きながら男は立ち上がった。
「何が、お前をそこまで動かすのだ。」
私は、目の前の男に問いかけた。問われた男は、少し目を伏せて言葉を選び、言った。
「……あんたの娯楽に付き合わされて死んで行った、多くの人たちの想いに、僕は応えなければいけない。
約束したんだ。ウィリーや、アマンダや、この城の牢で倒れていった仲間たちに。」
そこで青年は言葉を区切り、剣を構えた。
「……それに、もう少しで分かりそうなんだ。
……僕が、何のために戦うのか。その答えを知るためにも、僕は、シャドウナイト、あんたを倒す!」
そう言い放ち、青年は再び猛然と剣を振るい始めた。
強い意思の力、決意の力が、男の動きを変えた。
つい先程まで見え隠れしていた疲労感から生じる動きのぶれや太刀筋の揺れが無くなり、鋭く激しい攻撃が繰り返される。
私にも余裕が無くなり、必死で攻撃をかわし、攻撃を加える。
私は今まで感じたことの無い気持ちに襲われていることを悟った。
――この私が、影をも恐れぬシャドウナイトともあろうものが、
かつて私の玩具であった元剣闘士奴隷に、恐怖心を抱いている――
剣を振るいながらも男の眼差しはひたむきに私を見る。
その目には、私とは対極の赤く激しく輝く炎が宿る。
バンドールの遺児の瞳の奥に宿る、暗い炎とはまた違うその輝き――純真さという光で、私の闇を暴こうとしている。
私の身を守る影が、男の身の内から発する光で一枚、また一枚と剥がされてゆく。
不意に、今まで視界を遮っていたものが無くなった。
視界に飛び込んだ眩いばかりの青い空。初めて感じる涼やかな風の香り。
そして私は見た。イルージア山の頂上に息づくマナの樹の姿を。
私の知らないはずの、私には縁のないはずの、限りない生命の輝きがそこにはあった。
「シャドウナイト!」
鈍い痛みが胸から脳へと伝わった。気付けば、青年の手にした剣が私の胸に突き通っていた。
口内に血の味が広がり、堪え切れず生ぬるいそれを吐き出した。
大剣を握る手から力が抜け、ガラン、と大きな音を立て剣は滑り落ちた。
複雑な表情を浮かべた青年が、私の胸から剣を抜くと、私は己の体を支えきれず仰向けに倒れた。
呆然と天を眺めながら、私は笑った。
血が流れ出し、黒い床を染めていくにつれて、私の心はじわじわと満たされていくのを感じた。
今見上げる空は、曇りなく闇のかけらも見えない。私はゆっくりと澄んだ空気を肺に入れた。
「……止めは、刺さんのか。」
感情の読み取れない顔をしたまま、私の傍らに立ち尽くす青年に声を掛けた。
「もうすぐ、あんたは死ぬ。今更止めを刺したって一緒だ。
……あんたが苦しみたくないと言うなら話は別だけど。」
「ふっ……甘い男だ。」
私はまた笑い、視線を再び空へと向けた。
そっと目を伏せると、閉じた瞼の上に柔らかく暖かな日差しが落ちた。
その温かさに、私の心の暗闇が溶け出し、幼い頃から私の魂を閉じ込めていた檻が静かに崩壊していった。
その時私ははっきりと理解した。
私はついに得たのだと。
今まで求めて已まなかったもの――いつわりの温かさではなく、真実の温かさを。
もう、闇を彷徨う必要はない。影を身に纏う必要もない。
誰にも、何にも怯える必要の無い、縛られることもない、真実の自由を手に入れたのだ。
私の渇きは、ついに癒された。
白く消えてゆく視界の先に、優しく輝くマナの樹の幻が見えた。
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シャドウナイトが何故影の騎士を名乗ったのか。
シャドウナイトにとっての“reason”は何だったのか。
自分なりの解釈で書いてみました。
本編をタロウ城のタロウさまへ贈ります。6周年おめでとうございますの気持ちを込めて。
また、ヒーローシャドウナイト戦について考えるきっかけを下さったMさんに最大級の感謝を。
2006/06/02(2006/06/05 若干追加修正)
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