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駆け足で青年が立ち去った後、長い間大賢者シーバはその場で佇んでいた。
賢者の脳裏に蘇るのは、かつてバンドールの野望を打ち砕く為、共に戦った一人のジェマの騎士と、マナのしるしを胸に光らせた女性の姿。
その二人の面影が、今この場を去った青年と、マナのしるしを持った少女の影に重なる。
また、あの時のような悲しい出来事が繰り返されるのか―――
大賢者は、重く長い溜め息を吐いた。
バンドール帝国との長く激しい戦いは、聖剣を手にしたジェマの騎士と、マナのしるしを持つ女性の手によって終止符が打たれた。
人々はシーバを始めとする騎士たちを褒め称え、マナへの感謝を新たにした。
しかし、そんな喜びの渦の中に、悲しい別れがあったことを知る者はごくわずか。
誰もが勝利と再び訪れた平和に酔いしれる中、マナのしるしを持つ女性と、聖剣を持つジェマの騎士はひっそりと姿を消した。
ジェマの騎士の活躍は多くの詩に詠まれ、今でも吟遊詩人たちが歌い継ぐが、そのジェマの騎士が誰であるかを知る者は居ない。
そして、ジェマの騎士たちを導いたかの女性については、詩に詠まれることすらない。
シーバは真実を知る一握りの存在だ。
あの戦いが、英雄談として語られているような華々しいものではなかったことを。
光の象徴、善なるものの象徴として詠われる聖剣が、ジェマの騎士の心に癒えることのない傷を残していったことを。
大賢者と呼ばれる自分は、最後に待ち受ける出来事を知りながら、見守ることしか出来なかった。
青年が聖都を離れて数日後、シーバの元に予期せぬ来訪者が現れた。
すっかり年老い、顔には男の重ねてきた悲しみの年月が深く刻まれては居るが、眼光にはかつてのジェマの騎士に宿る炎がそのまま残されていた。
「久しぶりだな、シーバ。」
「……ボガード。」
あの頃のままシーバは変わらないな、老いたのは自分ばかりか、と皮肉げに笑い、ボガードは賢者の手を取った。
最もシーバはボガードが壮年であった頃から老人の姿をとっていたのではあるが。
シーバは手短に、マナの娘がグランスに攫われたことと、青年が単身後を追ったことを告げた。
そして聖堂での儀式のことも。
ボガードは、恐らく聖都の様子からある程度の状況を察していたのであろう――さして驚くこともなく黙って話を聞いていたが、かの娘の母の話になると表情を一瞬、強張らせた。
一通り話を聞いた後、ボガードが一言、尋ねた。
「……あいつは、あの頃のままだったか?」
「ああ。あの頃のままの姿で、あの頃のように微笑んでおったよ。」
憂いを帯びた笑みで。
それを聞いて、ボガードはそうか、と呟いた。
あの笑みには、己の娘がこれから進む道が見えていたのだろう。
彼女も恐らく、シーバと同じく、結末を知りながらも導き、見守るしかないのだろう。
大いなるものを守るために、引き替えとなるものが分かっているのだろう。
「わしも、後を追おう。」
不意にボガードがそう言った。その言葉を聞き、シーバは頷いた。
「そうしてもらえるか。済まぬな。こちらからも頼もうと思っていた所じゃ。」
「なに、まだこの剣も鈍ってはおらんしな。
……あの男が、新たなジェマとなるのならば、少し手助けをしてやっても良いだろう。」
そこでボガードは言葉を切った。
言葉にせずとも、シーバには彼が言いたいことは良く分かった。
自分と同じ痛みを、悲しみを、出来るならば味わわせることのないように。
かの女性の忘れ形見である娘にも、新たなジェマの騎士となるやもしれない青年にも。
ボガードは、飛空艇の予想される行路を聞いた後、足早に聖堂を去った。
夕闇の迫る中、次第に遠ざかる影が見えなくなるまで、賢者は男を見送った。
聖剣を振るうジェマの騎士を見守り、導き、マナの樹を守ることが己の務めだと思ってきた。
しかしそれは同時に、一人の人間に消えることのない痛みを与えることでもあった。
「大賢者などと呼ばれてはおるが、人ひとり救えぬ者が果たして賢者なのであろうか…。」
シーバは嘆息する。
時は再び、かつてと同じ進路を辿りつつある。
それでも、今はまだ迎える結末が同じだと決まったわけではない。
あの時のような悲しい出来事を、出来ることならば繰り返すことのないように。
白百合の冠を頂くかの女性を思い浮かべ、そっと祈りの語句を唱える。
しかし、例え同じ結末が待ち受けているとしても。
「私には、聖剣の振るい手を、見守ることしか、出来ぬ……。」
大賢者の言葉は、誰に聞かれることもなく、夜の闇に溶けて消えた。
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シーバはマナの種の負う使命を恐らく知っていたでしょう。
なので、ジェマの騎士を導きながらも、どこかで苦悩している(していた)のではないか、
と思ったところから出来た話。
2005/06/16
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