「随分と遅かったな。智盛」
 揺れる燈の向うで、色白の下膨れな顔がつぶやいた。現在の西八条第の主人、平家総帥、従一位前内大臣平宗盛は、目の前にあぐらをかく若者の目を見据え、その端正な顔がうつむき加減に逸らされるのを待った。
(全く、何故同じ父の血を継いで、こうも顔形が違うのだろう)
 それは、今目の前にいる智盛だけではなく、つい先ほど退出していった維盛でもつい浮かんでしまった思いだった。
(どうしてこいつらはこんなにも美しいのか・・・)
 自分も都の花と唄われた平家一門の中で、棟梁としての風格が出てきた、言われるようになってきた。だが、この智盛、それに小松三位中将維盛の、輝きがその内からあふれ出んばかりな美しさはどうであろうか。自分の、こぶを付けているのではと思えるようなたるんだ頬に比べ、二人ともすっきりと通った鼻筋に、引き締まった顎の輪郭が絵に描いたように美しい。光源氏の再来の名をほしいままにするだけのことはある輝かしさだ。それに引換え自分の顔立ちは、お世辞に言ってもみずぼらしさは拭えない。
 これも母の血の違いだ、ということは宗盛にも良く判っていた。平家の根拠地六波羅の奥、小松谷に居を構えた、兄、重盛に始まる小松一門は、亡き父がまだ昇殿も許されない下級貴族だった時分に愛していた女の血が色濃く伝わっている。また、智盛の方は、父が参議からようやく権大納言に上がり、権勢を著しく伸張させた頃に寵愛した、器量だけは古今第一級の、下賎の側女の顔そっくりだ。それに対して三男宗盛、四男知盛、など、今の平家の屋台骨を支える面々の母、平時子は、先の二人に比べればはるかに高位のやんごとなき身分の出ではあるが、美しさだけは残念ながら見劣りしてしまう。
 たが、単に美しいというだけなら、弟知盛が言うように、気にするな、の一言ですんだ。清盛の異母弟、経盛の息子、経正のように、評判の美しさを誇るものは他にも多かったからである。だがこの二人は、亡き父、平相国清盛公の寵愛を一身に受けたというところまで良く似ている。その点が宗盛にこの屈折したこだわりを覚えさせるのだ。
 孫の維盛は幼少の頃から、
「この子こそ将来の平家をしょって立つ男になるに違いない」
と言われ続け、末っ子の智盛も、
「平家に幸運をもたらす厳島神社の使いよ」
と溺愛されてきた。
 厳島神社は、瀬戸内海安芸の国に鎮座する、清盛の信奉篤い平家の守り神である。そして、確かに智盛が生まれた途端、参議から権大納言まで五年もかかった父がたちまちの内に昇進し、たった二年で従一位太政大臣という人臣を極めた。また、智盛元服と同時に、平家の将来を約束する現天皇、安徳帝が、清盛の娘、権礼門院徳子の腹より誕生した。このように、智盛の節目節目がそのまま平氏が一段と興隆する時にあたっているのだから、亡き父が縁起を担ぐのも無理はない。それでも、と宗盛は思う。今、平家の屋台骨を支えているのは、四年前に死んだ兄重盛でも、維盛でも、ましてや智盛でさえない。この自分、前内大臣平宗盛なのだ、と。
 智盛は、そんな宗盛の思いにまるで気付く事無く、真っすぐ視線を据えて宗盛を見返した。
「諸国駆り集めの兵がまた都大路で喧嘩沙汰に及び、それを取り締まるのに少々手間取りました」
「全く、そんなことは検非違使の連中にでも任せておけば良いものを」
「そうは申しましても、行き会ったとあれば放置する訳にも参らず・・・」
「何にせよ、遅参したのは事実だ」
 宗盛は、それ以上の言い訳は無用だ、と、智盛の言葉を遮った。
「・・・申し訳ありませぬ」
 宗盛は、消沈した智盛が頭を下げたことにとりあえず満足した。このように、いつも素直なら、宗盛とていらざる余念に感情を刺激されずにすむのである。宗盛は研の強く浮き出た視線を少し和らげ、用件を切り出すことにした。
「まあ良い。それよりも、今日出向いてもらった訳を話そう。智盛、そなた、夢の木、というものを存じておるか?」
「何です、急に。それより今日御呼び頂いたのは、北国下向の件ではないのですか?」
「木曾討伐なら、今し方、維盛に命じた」
「維盛殿に?!」
「正しくは、通盛と維盛を大将軍に任命することにした。それよりどうなのだ、知っているのか、おらぬのか?」
 宗盛は、こちらの質問に速答しない智盛に、一旦引っ込めかけた苛立ちをあらためて掻き立てた。智盛が気にしている木曾討伐の件は、宗盛にとってはとうの昔にかたの付いた話なのだ。だが、智盛にとってはそんな簡単に引き下がってよい内容ではなかった。これでは、何のために麗夢の行方を公綱に頼んだのか判らないではないか。智盛は、無礼を承知で食い下がった。
「兄上! 私は、私は木曾討伐に参加できないのですか?!」
「お前には別に頼むことがあるのだ。それより早く答えろ。知っているのか、おらぬのか?」
「別にって、それがその夢の木とやらの事なのですか?」
 智盛には、今の自分に木曾討伐以上の重大事があるとは信じられなかった。先鋒はまあ無理としても、号して十万という史上空前の大軍隊を催すこの一大決戦には、必ずなにがしかの役割を与えられるもの、と期待していたのである。宗盛もそんな智盛の気持ちを満更知らないわけではない。だが、いかに公家ずれしたとはいえ、本質的に武士である平家一門は、誰しも智盛と同じ気持ちを抱いている。そんな一門全員の期待をいちいち忖度していては、宗盛の方が身が持たない。宗盛は、そんな棟梁としての苦労も知らずにただ自分の希望をわめく若造に苦り切った。
 宗盛は、冷えきった目で智盛を見据えると、怒鳴り付ける寸前の唸るような低い声で智盛に答えた。
「そうだ。答えろ智盛」
 熱くなっていた智盛は、その口調の低温度に初めて気が付いた。しくじったか、と言葉を失った智盛は、しばし押し黙って宗盛の言葉を吟味し、やがて、あきらめたように答えた。
「・・・存じません」
「本当か? 良く思い出してみろ。夢の木について、亡き父上が何か言ってなかったか」
「父上が?」
 宗盛の意外なしつこさに、智盛も思わず考え込んだ。だが、結局何も思い浮かばない。
「やはり、そのようなものは存じません」
「そうか、お前も知らぬのか・・・」
 宗盛は、ふうっとため息を一つついた。
「念のために聞くが、兄重盛殿からも、何も聞いてないな? お前は、亡き兄上ともうまがあったようだったが」
「いいえ」
 智盛は訝しげに宗盛を見つめた。確かに生前重盛公は何かにつけ自分を暖かく遇してくれた記憶があるが、元々二七も年が違い、気のいい伯父のような感覚で接してきた積もりだった。まだ重盛の息子達、維盛や資盛の方が、歳が近いだけにうまがあうといえばいえるだろう。智盛は、木曾征伐の栄誉を担うことになる年長の甥の顔を思い出し、少し拗ねたように宗盛に言った。
「大兄様の事でしたら、小松家御長男の維盛殿にお聞きになられたほうがよろしいでしょう」
「維盛にはもう聞いた。だが、あれも知らなかったので木曾討伐にやることにした」
「そんな! では私も知らないのですから、行く資格があるはずです」
 あくまで軍旅にこだわる智盛に、宗盛は舌打ちして言った。
「遅参したお前が悪いのだ」
 遅れたのが悪い、と言われれば、智盛には返す言葉が無い。宗盛はとにかく智盛の反論を封じ込めると、軽くため息を吐いた。
「だが、父上の覚えめでたかったお前なら、何か聞いていたかも知れぬ、と思ったのだがな」
 宗盛は、一旦外した視線をもう一度智盛に据えた。
「実は夢の木が何であるか、わしも知らぬ。ただ判っていることは、夢の木は文字通りあらゆる夢が叶う木で、晩年、兄重盛公や父清盛公が相当入れ込んで探していた、ということだ」
 そして、志し半ばにして、謎の死を遂げた、という言葉を、宗盛は飲み込んだ。
「父上が?」
「智盛、お前も覚えているだろう。三年前の福原遷都を」
「もちろんですとも」
 智盛は、万感の思いを込めて宗盛の言葉を肯った。麗夢と別れる羽目になったのも、元はと言えばあの遷都の大混乱のせいだと智盛は思っている。
「あの遷都も色々と口実を設けてはいたが、実は都のどこかに隠されている、といわれた夢の木を捜すために、父上が無理矢理人々を都から追いだしたというのが真相だ、と言う説がある」
「そんな無茶な」
 智盛はあの混乱を思い出して唸った。あの時、自分たちの邸宅や法王、上皇、天皇の住まい、その外の大名、小名達の館を打ちこぼち、賀茂川に浮かべて福原まで運びだしたのである。あれがどれほど金と労力を費やしたか、想像するだけで気が遠くなるほどの苦労があった。しかも、六月にやっとのことで移った新都も、一二月にはこの旧都に帰ってくるという慌ただしさで結局全て無駄になってしまったのだ。だが、父上が夢の木というものを捜したいがためにやったということなら、半年もたたずに元に帰ったのもなるほどと合点が行かないでもない。
「それだけではないぞ。この年末に、重衡が南都を焼き討ちしただろう?」
「ええ。でもあれが・・・、まさかあれも?!」
 宗盛は、智盛が期待どおりに驚いたことに満足の笑みをこぼした。
「そうだ。何でも東大寺にその秘密がある、という密告があったらしい。そこで南都の行状改めがたし、と理由を付け、兵を出して邪魔な坊主どもを一掃したのだ」
 東大寺を始めとするいわゆる南都の僧侶たちは、平城京以来の歴史を誇り、結束の堅さや気位の高さが並みのものではなかった。その上荘園や僧兵などを多く貯え、経済力や兵力の上でもなかなか侮りがたい一大勢力だったのである。元々平安京遷都も、そんな寺の権力増大を時の天皇桓武帝が嫌ったのが理由の一つになるくらい、当時の権力者にとっては扱いにくい存在だった。そしてつい四年前の治承四年(一一八〇年)の夏にも、安徳帝即位でわく都のど真ん中で、以仁王と源三位入道頼政による反乱があった時、南都はこの朝敵に味方してその身柄を保護しようとしたこともあった。あの時は何とか事前に事が露見し、宇治川で反乱軍一行を取り押さえることができたから良かったが、もし万一奈良まで奔られ、諸国に檄を飛ばされでもしたら、あんなに簡単にけりを付けられたかどうか判らない。そんなこともあって同年一二月に平通盛、重衡を大将に大軍を差し向け、一挙にその組織的軍事力を壊滅させたのだ。だが今の宗盛の言葉どおりなら、これも夢の木を手にいれんと欲する父清盛の望みで行なわれたということになる。一体夢の木とはそこまでする価値があるものなのか、智盛は初めて知る亡き父の心の深淵をのぞき見たような気がして、軽く怖気をふるった。
「だが、結局都にも、東大寺にもそれらしいものは何も発見できなかったようだ」
「あれだけのことをして何もでてこないとは・・・」
「そこでだ智盛」
 宗盛は、少し身体を乗り出すように傾けて、智盛に言った。
「お前が、夢の木を捜すんだ」
「わ、私が?」
 突然のことに言葉がでない智盛に、宗盛は畳み掛けた。
「そうだ。亡き父上が、平氏の存亡はこれに在りと最後の情熱をかけられた代物だ。それを父上の寵愛深いお前が探しだせば、父上への良き供養になるばかりか、我が平氏一門にとっても計り知れない利益となろう。頼んだぞ、智盛」