ネパ−ルの運動会 (1) A Record of Nepalese life
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頁:デザインMr.6 1998年4月8日作成.

ある青年海外協力隊(JOCV)員の記録

ネパ−ルの運動会 その

小尾 二郎 

1、 川
 朝からの雨で目が覚めた。網戸を通して部屋に雨が入ってきている。網戸の内側にある木製の開きを閉めた。部屋が真っ暗になった。再びベッドにごろりと、ねっころがった。ネパールの雨期の終わりで、降れば大雨となる。近くの川からごうごうという音が聞こえてくる。濁流となって流れていく。乾期には透明な流れで、私の下宿から少し下流で水は地下へと入る。ここに来た頃に、水なし川を見て不思議に思った。同じ場所が今では、太ももまでの高さの水が流れている。雨期と乾期ではまったく違う自然の表情がある。ヒマラヤのスケールは大きいが、それにより気候も大きく変わる。ここはネパール西部、私が生活者となって半年が過ぎようとしていた。

2、ネパールへ
 ネパールはインドの北東に位置し、北側は中国である。二つの大国に挟まれた小さな国である。世界最高峰のエベレスト(ネパール名サガルマタ)を初め、ヒマラヤの高峰がある。そのために山の国と思われがちだが、そうではない。インド国境沿いには、標高200mにもならない所がある。国は東西に800km余りで、南北には約200km。この200kmの間に、高さで8000m以上の差になっている。もちろん一つの山で高くなっていくのではないので、山また谷を繰り返している。緯度から見るとネパールは亜熱帯にある。標高がその場所によって違うので、気候も様々である。ネパールでは、と一口で語れないことが多い。
 私は1984年1月21日に、青年海外協力隊の隊員としてネパールの首都カトマンドゥに着いた。出発前の東京は大雪で、予定していた飛行機が飛ばなかった。20cm位の積雪の中をネパールではこうと買った登山靴が役立った。成田までの交通機関も確保が大変で、なんとか夕方に空港に着いた。東京からバンコクに行った。バンコクは常夏だから、冬から夏になった。夜中について翌日はまた早朝にカトマンドゥへ向かったのだった。ネパールは日本と同じような気候と思って冬の用意をしてきたが、春のように暖かい。この一、二日でいろいろな季節を経験している。カトマンドゥのは国際空港と言えども、荷運びなどの作業は人の手による。周囲を山に囲まれて、日本の地方の町へ来たようである。昼は暖かいが、夜は冷え込む。ホテルの部屋に暖房具がなく、風邪をひいてしまった。朝は霧の中で迎える、昼近くまで晴れない。霧の中に人が浮き沈みして、神秘的である。
 ネパール到着後、カトマンドゥ郊外の村で語学訓練のため、ホーム・ステイをした。これといってすることがなく、毎日ぶらぶらしていた。近所の子どもをつかまえては、ネパール語で話す。またホーム・ステイ先の家族との会話からネパール語を覚えていくのである。
 2月のある日の夕方、散歩をしていて道に迷った。少女が薪集めをしている。その横を通り過ぎると家があった。犬が一匹ほえて近づいてきた。その声に合わせるように他の犬も、計三匹。無視して前に進んだが、犬は足元に来て一匹が左足のアキレス腱の上を咬んだ。振り返ると、犬は散り散りに逃げていった。とっさに、どうすればいいのか分からなかった。狂犬病に気を付けるように言われていた。狂犬病は犬だけでなく他の動物も持っている。予防法は動物に咬まれないようにするのみで、狂犬病にかかるとまず助からない。焦る。でも様子からして、野良犬でなく飼い犬のようだ。さっき前を通った家のものだろうと、戻り人を呼ぶ。おばさんが出てきた。犬が私の足を咬んだことを話す。病気のことも聞く。犬に病気はないから心配するなと言うが、やはり気になる。薪を集めていた少女が来た。この家の娘のようだ。彼女も大丈夫だと言う。ここに居ても仕方ないので、その家から離れた。歩くにつれて見覚えのある場所に出た。ホーム・ステイ先で今日のことを話す。飼い犬なら大丈夫だろうとの話だった。手持ちの薬がなにもないので、気にしながらもそのまま寝た。
 翌朝、
「ゆうべ、傷は痛まなかったか、熱は出なかったか。」
と聞く。
「どちらもなかったよ。」
と答えると、
「それじゃ、大丈夫だ。」
と言う。気になるので、青年海外協力隊の事務所へ行き、顧問医に相談した。犬が狂犬病の予防注射を受けているかどうかの確認がまず必要とのこと。10日後、犬が元気ならばそれ以後注射の必要はないとの事だった。念のためにホーム・ステイ先から引き揚げることになった。そして一本目の注射を打った。日本で狂犬病の予防注射を受けているが、狂犬に咬まれたらその後も注射を打たなければならない。その後、二回注射を打ったが、犬に異状がないということで治療は終了した。
 また2月の末、この日はヒンドゥ教の祭り、シバ・ラットリだった。カトマンドゥにある寺パシュパティナートは大変な人込みであった。私はその群衆の中で、ショルダーバッグが体から離れた時に、中に入れてあったカメラを盗まれた。その場では、ただ唖然とするだけだった。翌日その話をネパール人にしたところ、パシュパティナート近くのテントの仮説の警察署へ行けと言う。半信半疑のまま行った。一人の警察官が何度もカメラの機種を聞いた。やがて、一台のカメラが出てきた。私の物であった。直ぐにカメラのカバーを取りに帰った。カバーがぴったりだったので、私の物と確認できた。カメラは出てこないものとあきらめていた。ネパールの警察も頼りになる。助言してくれたネパール人に、なぜ警察へ行くように言ったのかを聞くと、インドからの出稼ぎスリ団が多数つかまったこと、盗品にカメラがあったことが、新聞に出ていたとの話であった。

3、スルケット
 私の生活場所であるスルケットへ行ったのは、3月10日であった。ホーム・ステイを終えた後、カトマンドゥでしばらくネパール語の訓練があった。私を含め同じ方面に行く三人の隊員がいた。東隣の県に行く下田隊員と同じスルケット郡の村に行く野山隊員である。三人とも学校の教員で、日本で一年以上の教員経験があった。中学や高校で理科や数学を教えられる教員がネパールには少ないことから、我々は来たのである。
 ネパールには14の県がある。県を小さく分けたのが郡でネパール全体で75ある。スルケットもその一つで郡の名前である。ネパールの南西部、山間部からインドへと続く平原に出る途中にある。インドのガンジス川へつながるベリー川が流れている。スルケット郡の中心の町はビレンドラナガールと言う。ビレンドラというのは現国王の名前である。ナガールというのは町を表す。でも以前からの習慣か、スルケットと言うとビレンドラナガールの町を意味することで使われることが多い。ネパールを、東部、中部、西部、中西部、極西部の5つの地方に分け、国の開発を進めている。ビレンドラナガールは中西部の中心地である。政府関係の事務所が多く、ネパール各地から役人が来ている。
 私がここに来る少し前には、国王が一カ月間この地で生活をした。町のはずれに仮の王宮を造り、役人、警官などがカトマンドゥから多数移動して来たとのことである。仮の王宮跡は、公園になっている。種々の草木が植えてあり、憩いの場である。水場があり、水浴び洗濯をする人でにぎわっている。
 町のある所は周辺を低い山に囲まれた盆地である。地図上ではインド国境から北へ60kmの位置。標高は約700m。盆地内にいくつか集落があり、水田が広がっている。ヒマラヤは見えない。北にある山に三時間かけて上れば見える。ビレンドラナガールから北へ向かう道で、車の通れるものはない。ここは北の町や村へ向かう拠点となる。
 10月から5月までが乾期。3月後半で最高気温は35℃を越え、夏である。朝夕は涼しいから、一日のうちに春から夏になりそして秋になるようなもの。それを繰り返しながら気温が上がっていき、一番暑いのが五月で最高気温が40℃に達する。この頃の最低気温は23、4℃。たまに、強風を伴った雷雨が降ることがある。しかし、乾期にはまったくと言っていい程雨が降らない。一カ月に一回降ればいいほうである。雨期は6月から9月まで、ほとんど毎日雨が降っている。日本の梅雨のように一日中降ることは少ない。1、2時間降った後、曇っていたり晴れたりする。雨期の気温は最高が30℃を越えるぐらい。最低は21、2℃。10月、11月は秋で、気温も下がり、過ごしやすい。12月、1月は冬。最低気温は0℃近くまで下がる。最高は15℃ぐらい。冬は盆地で朝霧が発生し、太陽が顔を出すのは昼頃になる。それまでは寒い。2月、3月は春だが、気温は日に日にぐんぐん上がる。
 街の東に空港がある。そこまで歩いて40分。カトマンドゥからの飛行機は乾期で週に1、2便。雨期で週に3、4便、山間部へは飛べなくなるので、その分が増便される。19人乗りの小さな飛行機が飛んでくる。定期的にはくるが、日が暮れる前に来ればいいというところで、昼下がりの定時には滅多に来たことがない。12月から5月までインド国境の町のネパールガンジからバスやトラックが来る。この間はインドから運ばれてくるので、物が豊富である。ベリー川には、バスが一台かろじて乗れるフェリーがある。もう一つ川があるが、そこは車が川の中に入って渡る。六月になると雨でベリー川が増水し、フェリーが使えなくなる。しばらくの間は、ベリー川まで車が来る。丸木舟で川を渡り、対岸で待機しているトラックに荷物を積み替えて、ビレンドラナガールまで運ぶ。もう一つの川が増水して川の中に車が入れなくなると、車が来なくなる。雨期の後半には、町の品物が極端に少なくなってしまう。9月に雨期は終わるのだが、水がなかなかひかないのと、いたんだ道の修復に手間取り、11月まで車が通れない。飛行機も雨が降ったり雲が厚かったりすると飛べない。時々飛んで来ないことがあり、あまり当てにならない。
 街の中心に大通りが7、800mあり、両側に商店が並んでいる。大通りといっても舗装されていない。食料品店、雑貨屋、食器屋、布屋とその前に仕立て屋、茶店、飯屋兼宿屋、などが多くそれの繰り返しで百件余り。その他に電気屋、置いてあるのは日本製のカセットデッキが少しに、ラジオ、電球、コードぐらい。自転車屋、新車はほとんどなく修理中心。薬屋、インド製の物ばかり。本屋、学校の教科書が中心。ラジオや時計の修理屋。金物屋、インド製の釘は不揃い。街角には靴や傘の修理屋が数人座っている。大通りの北側に小さな市場がある。近くの農家が畑で採れた野菜などを売りにくる。ここで大概の食材は手に入る。雨期に入ってトラックが来なくなると野菜が少なくなり、じゃがいもとタマネギだけになる時がある。



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