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2003年2月5日作成

 戦後50年に考える現代史の扱いについて
      〜夜間中学での実践より〜
 
 
                       小尾二郎

(1)夜間学級の教科学習について
 春日中学校夜間学級は、毎日月曜から土曜まで午後5時30分から9時までの間に、4時間の学習を行っている。従って週当たりの授業時間数は、1日4時間の6日分で24時間となる。一方、同じ春日中学校の「昼」は、週当たりの授業時間数は、30時間である。「昼」と表現したのは夜間学級の「夜」に対してである。夜間学級内では、一般の中学校を「昼」の中学校と呼んでいる。「昼」の中学校の週当たりの授業時間数は、文部省の指導要領に従ったものである。
夜間学級の週当たりの24時間というのは、それで指導要領から外れてしまうが、従うことが先ず無理な話である。夜間学級の一週間の授業時間数の割り振りだが、国語と算数に重点が置かれ、理科、社会、音楽、体育、などの時間は、週当たり1時間となってしまう。これは、夜間小学校のない現状では、仕方ないことである。夜間中学に入学後、文字の読み書きの初歩から始める人もおり、基礎教育としての、読み、書き、計算に重点が置かれるのである。この点から、夜間中学と識字との関連は深いのだが、「読み書き計算」以外の学習は、非常に制限された時間での教育活動になる。

(2)歴史教育への考え方
 本校で学ぶ生徒さんには様々な人がいる。年齢は10代から70代までと幅広い。入学後初めて鉛筆を持つ人、子どもの頃小学校の途中で学校に行けなくなった人、高校での勉強を目指し人など、多様であり学習の目的も異なる。さらに、中国からの帰国者や日本人と結婚したアジアからの人などが、生活のための日本語を学習している。このような生徒さんたちを学習目的が近い人を集めてそれぞれの学級を作っている。
 また生徒さんのまとまりとして、被差別部落の人、在日韓国・朝鮮人、障がい者といった人たちが挙げられる。この他にも子どもの時に戦争で学校に行けなかった人もいる。子どもの時に学校に行けなかったのは、貧困と差別が大きな理由である。そのような人が、40歳、50歳、更にその上の年齢になってから、夜間中学で学んでいるのである。
 今挙げた人々の中で、在日韓国・朝鮮人、中国からの帰国者は、日本の現代史との関わりが深い。平成元年度版の文部省『中学校学習指導要領』の、社会科の歴史分野の目標の(2)には次のように書かれている。「歴史における各時代の特色と移り変わりを、身近な地域の歴史や地理的条件に関心を持たせながら理解させるとともに、各時代が今日の社会に及ぼしている影響を考える。」生まれてから十数年の「昼」の中学生にとって歴史は、知識としての学習になる傾向がある。しかし、年齢の高い人の多い夜間中学では、現代史の部分では自分の人生と重ね合わせる作業となる。
 私が子どもの時に受けてきた歴史学習は、原始時代に始まって現代までと時間的に長いものをほぼ同じように続けていくものであった。1年間かけて学習するのだが、3学期には時間がなくなって、現代史を学んだという記憶は余りない。何百年も前の歴史上の人物は知っていても、数十年前の人物は知らない、といった奇妙なことが生じるのである。この現代史の認識の不十分さは、以前から指摘されてきた。
1982年に文部省の教科書検定で「侵略」の表現を「進出」と書き直させたことなどに対して、中国、韓国やアジアの国々から厳しく非難された。その後も、戦争や日本の植民地支配に関して、閣僚の問題発言が続き、批判されるたびに辞任を繰り返してきた。
 幼くして日本へ渡って来た在日韓国・朝鮮人1世やその文化の影響を受けて育った2世にとっては、日本の長い歴史の細部は重要な意味を持たないと思われる。また、関心のある人は別だが、重労働など毎日の生活が厳しい人にとっても自分との関連が薄く、興味を示しにくいと思われる。歴史が、現在ある夜間中学の存在を客観的に認識していくためにも、現代史を学ぶことが重要と思われる。それが立場の違うお互いを理解するための一つの方法にもなる。細かい歴史的な事実を知識を学ぶことは、自分の今の姿と掛け離れたものであるほど、覚えるのが困難と思われる。それよれも、現在につながる歴史の大きな流れをつかむことが重要と考える。だから、現代史中心の学習を考えてみた。

(3)夜間中学での歴史教育の実践より
 1994年度私は、一つの学級で1年間社会科を担当した。その教室には、父親が中国残留孤児で中国から引き揚げてきた人、日本国籍を取った在日韓国・朝鮮人、それに日本人といった人たちがいた。日本人の中には、親を戦争でなくした人、弟がビルマの戦争に行った人、戦後アメリカの進駐軍の駐屯地近くで生活していた人などがいた。つまり自分の人生が戦争と深く関わっている人達がいたのである。年代は20代から70代と広がりがあり、その中で歴史教育を行った。社会の時間は週に1時間と制限されたものであるし、生徒さんの中に、高校へ行くことを目指している人もいたので、どのような進め方をするかを4月に考えた。
 歴史学習である以上、教科書にある内容を一通り行うことにした。しかし、週に1時間という時間の制限があるために、日本史を中心とする学習とした。年間計画を作るところまでは行かなかったが、方向として江戸時代までを出来るだけ早く終わることにした。そして現代史となる1894年以降現在までの100年間を、時間をかけて学習することにした。この100年間の出来事が夜間中学の存在と関わってくること、生徒さんの人生と重なりがあること、などから関心を持って学習に参加出来ると判断した。
 学習の初めの頃は、遠い昔のことであり、年代がはっきりしていない。そのために大まかなまとめをした学習の内容を、生徒さんに提示した。(資料1)時代が進むにつれて、年代がはっきりしてくることもあり、年表からの学習が中心となった。(資料2)
 夜間中学の生徒さんは、仕事や家の用事また慢性的な病気などの自分の体調のこともあって、毎日確実に学校に来られるとは限らない。そのことから、話の内容が2週にわたるようなものは出来るだけ避けた。1時間の学習の中で一つのまとまりとなるような内容にした。歴史の前半は、一つの時代が1時間で終了出来るようなものにした。
 時代区分は次のようになりそれぞれを1時間で学習した。( )内の数字は学習の時間数を示す。
(1)原始時代 (2)縄文時代 (3)弥生時代 (4)古墳時代 
(5)飛鳥時代 (6)奈良時代 (7)平安時代 (8)鎌倉時代 
(9)南北朝時代、室町時代 (10)戦国時代 (11)安土桃山時代
江戸時代は、3つに分けた。それは、
(12)江戸時代@江戸幕府の成立(17世紀初め)から享保の改革(18世紀前半)まで(資料3)
(13)江戸時代A田沼意次の政治(18世紀後半)から天保の改革(19世紀前半)まで
(14)江戸時代Bペリーの来航(1853年)から戊辰戦争(1868年)まで
  江戸時代までを半年間で終えた。そして、後半の半年間で現代史の学習となった。
 明治時代以降は、次のように分けた。
(15)明治時代@明治維新(1868年)から第1回帝国議会の開会(1890年)まで
(16)明治時代A日清戦争(1894年)から関税自主権の回復(1911年)まで
(17)大正時代第1次世界大戦(1914年)から普通選挙制(1925年)まで
(18)昭和時代@金融恐慌(1927年)から太平洋戦争の敗戦(1945年)まで(資料4)
(19)昭和時代A敗戦(1945年)から自衛隊の発足(1954年)まで
(20)昭和時代B原水爆禁止世界大会(1955年)から大阪での万国博覧会(1970年)まで
(21)昭和時代C環境庁発足(1971年)から国鉄分割・民営化(1987年)まで
(22)平成時代消費税実施(1989年)から関西空港開港(1994年)まで
教科書の年表は1990年で終わっていたので、その後の内容は私が付け加えた。
 歴史の流れについては、全部で22時間となった。1年間の授業時間からすると少ないが、残りの時間は違った形の学習をした。その一つは、現代史の中の日本と中国、日本と朝鮮との関係である。教科書に年表にまとめたものがあったので、そこから教材を作成した。(資料5)歴史の全体の流れには、様々なことが混じっているので、二国間の関係は見えにくくなってしまう。それが分かるような教材とした。現代史の学習を豊かにする側面も持っていたと思われる。もちろん中国からの帰国者が教室で学んでいたこともあり、その人自身が自分と歴史との関わりを客観視するという目的もあった。そして学級の生徒さんたちがその人の立場を理解することも考えてのことである。
 同様のことが日本と朝鮮の関係においても言える。この二国間の関係の学習をしている時、一人の在日朝鮮人の人が、「子どもの頃父親がなぜあんなことをするのか、分からなかったが、その理由が今分かりました。」と言ったのが印象に残っている。この人は作文に、父が毎日酒を飲んでは母に暴力をふるっていた思い出を書いている。父の行動が理解出来なかったのが、歴史を学ぶことによって自分達の歴史を客観視して、当時の父の心を理解したのだと思われる。
また私の担当する学級にはいなかったが、他の学級にはフィリピン人が在籍していた。それで、彼らへの理解ということで、日本とフィリピンの関係史も1時間かけて学習した。(資料6)そこには、日本が期間は短いにしても朝鮮と同様に植民地支配をしたことの話をした。
夜間中学には様々な立場の人が学んでいるので、互いに知らないことから偏見や差別意識が生じることが見られていた。歴史学習を通して、そういったものを少しでも取り除いていくという、人権に関わる内容が入れられたのではないかと思っている。
もう一つ実施したことは、ビデオの活用である。例えば歴史学習の流れに合わせて、1991年12月に、NHKで放映された『映像記録史 太平洋戦争』というのがある。それを私が録画しておいたので、学習の中で見た。全体で2時間30分の長さであるが、4回ぐらいに分けて、連続して見た。生徒さんの出席の関係から、1時間でまとまりのある内容が適当と思われるが、そうもいかない場合もある。夜間中学には戦争体験者が多いだけに、「当時を思い出すので見たくない」と言われることもあるが、大切な学習と考える。「見てよかった」という声が多かったように記憶している。
 明確な年間計画がないまま始めた歴史学習であったが、自分がしようと思ったことは大体出来たと思っている。前半の半年間は、教員側から話すことが多かった。奈良に歴史関係の建物等が多いことは、学習の上の良い影響があった。また、テレビの歴史ドラマで見て、知っている話などが生徒さん側から出ることがあった。後半は、教員からの一方的な話になることは避け、生徒さんの体験を語ってもらうような展開にした。それが、現代史の様々な側面の理解につながったのではないかと思っている。

(4)今後の課題
 戦後50年の今年、日本の植民地支配に関しての閣僚の問題発言、そして辞任とまだ同じことを繰り返している。沖縄は、アメリカ兵の少女への暴行事件、そしてアメリカ軍基地の問題と大きく揺れ動いている。1991年12月に、当時のアメリカのブッシュ大統領が、日本の真珠湾攻撃から50年経ち、それは歴史になったと、述べたことを記憶している。同じ50年経ったところで、日本の場合は戦争はまだまだ過去ではなく、現在の問題である。現代史の扱いは夜間中学だからではなく、「昼」の中学校にも当然必要なことである。現在のアジアの人々と日本人の関係を考えると、過去をしっかり見ながら、未来へとつながっていくような、現代史に重点を置いた歴史教育を作っていかなければならないと思っている。
 また、アイヌ民族の問題に関心があって関連の資料を調べていると、明治以降の北海道の存在は日本国内の植民地的なものであった、との内容に出会った。同じことが沖縄についても言える。この延長として、台湾、朝鮮、中国があったと思われるのである。歴史の連続性ということから現代史をもう一度見つめ直して、次の機会にはまた違った学習を生徒さんとしたいものである。


参考文献
「中学社会 歴史的分野」 大阪書籍 1994年
「学校要覧」 奈良市立春日中学校  1994年
「中学校学習指導要領」 文部省 1989年
「歴史教科書と国際理解」 高崎宗司編 岩波ブックレットNO.231 1991年
「HISTORY OF THE FILIPINO PEOPLE  eight edition」 TEODORO A. AGONCILLO
            R.P.GARCIA Publising Co. フィリピン 1990年
「近代北海道史研究序説」 桑原真人著 北海道大学図書刊行会 1982年




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