九重桜 常照皇寺  
H18年 4月 17日

京都は北のはずれ、樹齢600年と言われる九重桜の写真を目にした時からずっと魅せられていた。
週末を避けて、桜の開花とお天気をずっとチェックしてその甲斐あって雅な香り漂う九重桜に出会えた。
京都から高雄を過ぎ北山杉の周山街道をひたすら北へ走る。
高雄の桜、川沿いの桜並木、山あいを染めるツツジと目的地に着くまでに車窓からも充分花見が出来る。
常照皇寺は貞治元年(1362年)悲運の光厳法王が世俗を離れ、終の棲家と開山された皇室ゆかりの古刹で、北山を背にひっそりと建つ寺院と古木の枝垂桜はまさに侘び、寂びの世界だった。
山門。

九重桜 (エドヒガンザクラの変種)
淡い、小ぶりの花のむこうには哀しい歴史が垣間見える。

根元4.4m 樹高10m、何本もの杭で支えられている。法王が都を偲んで手植えされたと言う枝垂れ桜で国の天然記念物に指定されている。

苔に落とす桜のシルエットも風情がある。(左近の桜)

方丈の廊下に座り、もう長い時間そうしているらしく陽がさしてきた桜を見て「おぅ、咲いてきた、咲いてきた」とつぶやいて、尚じっと動かず桜を見ている男性がいた。
この桜とはそのように対面したいものと思う。

中庭

舎利殿には瓦が敷かれている。

根を見ると痛々しい。よくこれで花を咲かせていると思う。花は咲き続けて欲しいけれど、その反面もう休ませてあげたいと思わないでもない。
桜と言うと、とかく陽気で華やかなイメージが強いけれど、華やかさのない雅び、荘厳と言った方が似つかわしい。

御車返しの桜
もう花をつけていない。一昨年までは花をつけていたとか、深い眠りについたのだろうか?
後水尾天皇がその美しさに魅かれ何度も何度も車を返して別れを惜しんだことからこの名がついたとか。
花がなくても存在感のある古木。

バスが着いたのだろうか、急に参拝客が入って花の下は人だかりになった。大混雑の花見客はふさわしくない。
裏山に自然散策路がありそちらに避難する。
階段の続く散策路はツガ、モミ、スギなどの自然林で冷気がとても心地良い。

裏山から戻ると人波も引いて元の静けさが戻っている。

悲運の主を偲んで600年の歴史をその木肌に刻み、季節がめぐって花をつけ、その生き様を語る古木は荘厳で人の心を魅了するにあり余る。
いつまであの花を見せてくれるのだろうか…
名残惜しい思いいっぱいで苔むす参道を下る。
清清しさが漲る。
常照皇寺を後に美山萱葺きの里まで足を伸ばす。のどかな山里は流れる時間もゆったりして、今日は癒しの1日。

愛用のデジカメが故障して修理に出したので娘のカメラを借りたけど、使い慣れないせいもあり思ったような写真が撮れなかった、とカメラのせいにしておこう