最近の話

  このページでは最近に乗った路線、出会った車輛などの画像をアップしています。

     内容は管理人の思い付きで随時入替えています。

目 次  (2013年8月10日現在)
 1、遠回りの旅   (8月10日 追加)  8、久々の九州 
 2、近鉄特急  9 関東寸景
 3、JR奈良線  10、富山のトラム
 4、京阪 石坂線 11、琴電散歩
 5、近鉄ナローライン 12、福井鉄道
 6、さよなら京阪カラー 13、豊橋鉄道
 7、弘南と津軽の今

1、遠回りの旅  (8月10日 追加)



(紀勢本線 和歌山 2013年4月)
(阪和線 和歌山 2013年4月)
(和歌山線 和歌山 2013年4月)
(和歌山線 和歌山 2013年4月)
(和歌山線 和歌山 2013年4月)
(南海電鉄高野線 橋本 2013年4月)
(和歌山線 吉野口 2013年4月)
(関西本線 木津 2013年4月)
(奈良線 木津 2013年4月)
(片町線 木津 2013年4月)



2、近鉄特急   (7月20日 追加)

  このところの暑さで何処へも出掛けておらず、今回は手持ちの近鉄特急などのアルバムで
  穴埋めさせていただきます。

  近鉄沿線で暮らして50年近くの私にとって、近鉄特急は馴染みの深い存在ではありますが、
  こうして見ると飽きもせずに、ロクでもない写真ばかり撮っていたものです。

 壺阪山で列車交換中の阿倍野橋行特急、16000系。

 近鉄の1067ミリゲージ線の特急は1435ミリゲージ線の特急のバリエーションのような車輛ばかり、ぱっと見ると見間違えそうです。

(近鉄吉野線 壺阪山 2011年11月)
 関屋峠を越えて大和八木に向かう名阪特急。

 残り少なくなった古参車の12200系ですが、この日はゴールデンウィークの多客時とあってか名阪特急のトップに立っての力走でした。

(近鉄大阪線 関屋 2013年4月)
 この20000系は厳密にいえば特急車では無いのですが、二階建て車輛と言うことで、出させてもらいました。

 この車は私のような運転情報に疎い人間には、偶然でないと出会えないものです。

(近鉄京都線 寺田 2012年5月)
 大阪難波に向かう名阪特急21000系、アーバンライナー。
 この車などはつい最近に出たように思っていたら、デビュー以来25年にもなっています。

 デビュー早々はバブルの時代だったからか、デラックスシートから席が埋まると言われたものですが。

(近鉄大阪線 関屋 2013年4月)
 河内国分を通過するアーバンライナープラス。

 この21020系は21000系の増備車的な車輛で、前面スタイルが少し変っており、人によって好き嫌いがあるようです。

(近鉄大阪線 河内国分 2008年2月)
 22000系は近鉄の言葉を借りると「特急ネットワークの主力となる汎用車輛」ということで、「しまかぜ」や「アーバンライナー」などとはワンランク違う感じでしょうか。

 2連と4連を組み合わせて、他系列の汎用特急車輛と併結して走る姿はユーモラスでもあります。

(近鉄京都線 寺田 2013年4月)
 22600系の京都線特急。

 22000系の増備車ともいうべき車輛です。
 この蜻蛉の目玉のような風貌は近鉄特急の中で気にいっている部類です。

(近鉄京都線 寺田 2012年5月)
 伊勢志摩ライナー、23000系。
 この車両も登場以来20年近くになりました。

 平成25年の伊勢神宮式年遷宮に合わせて、3編成が黄色から赤に塗り替えられましたが、私はこの写真のカラーの方が好みです。

(近鉄大阪線 関屋 2013年4月)
 南大阪線、吉野線のスター、26000系、さくらライナー。
 近鉄特急の中で私の一番好きな車輛です。

 ただ、観光シーズン以外の吉野線内ではガラ空きで気の毒ですが。

(近鉄吉野線 壺阪山 2011年11月)
 近鉄名物 2階建て特急として誕生以来のベテラン30000系は、今も更新を重ね「ビスタカーEX」として活躍中です。

 この系列の2階建車のエントランスの構造は秀逸だと思うのですが、写真を撮っていません。

(近鉄大阪線 関屋 2013年4月)
 今年の春にデビューした50000系、しおかぜ。

 大阪線、名古屋線それぞれに一日一往復とあっては、お目にかかるだけでも厄介です。
 その点、撮影地の関屋は行きやすい場所で助かりました。

(近鉄大阪線 関屋 2013年4月)

3、JR奈良線 
 
   先日、JR西日本と京都府が奈良線の複線化について合意したとのニュースを聞きました。
   京都〜城陽間の完全複線化と玉水付近の部分複線化を図るようです。
   ただし、工事の完成はかなり先のようですが。

   そんな話を聞いて、今回は最近のJR奈良線の写真を103系を中心に集めて見ました。

 京都で発車を待つ奈良行普通電車。

 奈良線と名乗っているものの、奈良線の起点は木津、終点が京都で、奈良県内は全く走っておらず、”看板に偽りあり”です。

(奈良線 京都 2013年3月)
 東福寺・稲荷間で京阪電鉄と並走する区間の奈良線。

 この付近は1921年までは東海道本線の一部として複線だったのが、東海道本線が現在線に移行後、奈良線に転用されたときに単線化され、2001年にJR奈良線になって複線に戻った区間です。

(奈良線 東福寺・稲荷間 2012年9月)
 ここは京都市内の奈良線にしてはめずらしく、直線の中に列車が撮り込める場所です。
 ただ足元が草で隠れていることが多いのが難ですが、この日は除草直後で助かりました。

 複線化されればこの付近も側壁などが立ち、写しにくくなりそうな気がします。

(奈良線 JR藤ノ森・桃山間 2013年6月)
 通りすぎる103系。

 今のJR奈良線は103系の溜り場という感じですが、整理が始まれば103系の終末も意外に早いかも知れません。
 その時は何が来るのか楽しみです。

(奈良線 JR藤ノ森・桃山間 2013年6月)
 この場所は時間当たり6往復が走るので退屈せずにすみ、近鉄丹波橋からも近いので、気に入ってました。

 ところが最近ネット上でここがお立ち台として紹介されたからか、同業者を見掛けることが多くなりました。

(奈良線 JR藤ノ森・桃山間 2013年6月)
 桃山を出て六地蔵に向う城陽行。
 桃山はサミットにあり、ここから六地蔵方にはかなり長い下り勾配が続きます。

 昔話になりますが、蒸気機関車が走っていた頃はこの勾配を登って来る時のドラフトはすさまじかったものです。

(奈良線 桃山 2012年4月)
 朝の六地蔵駅。
 この駅が出来てからもう21年になるとは・・・。

 JR六地蔵は京都地下鉄とつながっていることもあり、今では先輩の京阪宇治線六地蔵駅を抜く存在感を見せています。

(奈良線 六地蔵 2013年3月)
 奈良線と宇治橋との並行区間。
 ここは桜の眺めのいい所ですが、沿線の桜が自動車の排ガスで傷まないか気になります。

 橋の欄干の手前に見える植込みは宇治名物のお茶です。

(奈良線 黄檗・宇治間 2012年4月)
 宇治川橋梁を渡る103系。
 103系のグリーンは宇治の辺りにはちょうど似合っています。

 でも、103系のこうした姿もいつまで見られることでしょうか。

(奈良線 黄檗・宇治間 2012年3月)
 上狛で交換待ちの奈良行。

 現在のJR奈良線は新田以南すべてが単線で、複線区間は全線の約1/3。
 一部の駅は一線スルー化されていますが、やはり単線では輸送力や速度に制約が大きく、複線化が待たれます。

(奈良線 上狛 2013年1月)

4、京阪 石坂線

  GWの一日、好天に誘われ京阪電鉄石坂線に出掛けました。

  花の季節は終わっていましたが坂本方面への乗客はかなり多くて、石坂線のためには
  御同慶の至りです。

  当てもない乗り歩きでしたが、日差しが強い日だったので帰宅したら少々草臥れました。

 定番の撮影場所に行ったら、ちょうど出会った旧京阪特急カラーの600形。

 この編成は何時まで走らせる予定なのか知りませんが、出来るだけ残しておいてほしいものです。

(京阪電鉄石坂線 三井寺 2013年5月)
 京阪本線の普通車に使われていたこのカラーは派手さはありませんが、落ち着いたいい感じです。

 この塗分けも本線からは消えてしまい、石坂線に残るだけとなりました。

(京阪電鉄石坂線 三井寺 2013年5月)
 浜大津と三井寺の中間、レトロな街並みの中に大きなマンションが建築中。

 工事が終われば、若い頃から親しんできたこの付近の雰囲気も様変わりしそうです。

(京阪電鉄石坂線 三井寺 2013年5月)
 賑やかなラッピングの「きかんしゃトーマス」2013号。
 毎年デザインを変えている集客努力には頭が下がります。

 この角度で見ると比叡連山が見えますが、高層建築が増えて山々が見えなくなれば、この付近の石坂線の魅力も消滅です。

(京阪電鉄石坂線 三井寺 2013年5月)
 石坂線にはいろいろとラッピング車が多く、この編成も一年近くになりますか。
 
 白と黒のラッピングはコントラストが強く写真には撮りにくいものですが、子供には意外に人気があるようです。

(京阪電鉄石坂線 三井寺 2013年5月)
 石坂線の近江神宮前〜坂本間はまだこんな田園景色が残っています。
 そのかわり、この区間の電車は15分ヘッドになりますが。

 この日この付近は田植えの準備中で、写真を写している横では耕運機が水田を均していました。

(京阪電鉄石坂線 滋賀里 2013年5月)
 たった二両連結とはいえ、懐かしい京阪特急色を見ると嬉しくなります。

 思い返せば、昔々には本線特急にも3輌編成などの短い編成もありました。

(京阪電鉄石坂線 滋賀里 2013年5月)
 坂本ケーブルのPRに坂本ケーブルの車輛と色を合わせた編成。

 比叡山延暦寺参詣には坂本から登るのが本来のはずですが、今ではドライブウェイ経由の観光客の方が多いでしょう。
 このケーブルは乗って見ると中々面白く、もっと利用されたらいいのですが。

(京阪電鉄石坂線 滋賀里 2013年5月)
 新緑の中の緑の車輛。
 往年の京阪本線を思い出すような風景です。

 石坂線のこの付近、近江神宮前から穴太の辺りはカーブが少なく、電車は快走出来るところです。

(京阪電鉄石坂線 滋賀里 2013年5月)
 日本昔ばなし号。
 このラッピング車ももう2年。そろそろ模様替えの時期でしょうか。

 ちょうど田に水が張られた所で、水鏡が綺麗でした。

(京阪電鉄石坂線 滋賀里 2013年5月)

5、近鉄ナローライン 

  近鉄内部線、八王子線はナローゲージの鉄道として貴重な路線です。
  ところが最近、近鉄はこの線の廃止の意向を表し、存続が危ぶまれる事態になりました。

  難しい話はさておき、三月末の桜日和に誘われ、久しぶりにパステルカラーの電車が走る
  内部線と八王子線を訪ねました。

 起点の四日市に到着した八王子線の列車。
 乗客はどれ位か・・・と、見ていたら意外にたくさんのお客が降りてきました。

 ただ、ナローラインのホームは本線と離れているので、乗換の不便さが乗客の減少にもつながっているように思います。

(近鉄内部線 近鉄四日市 2013年3月)
 日永に到着した内部行列車。
 内部・八王子線の列車は小型車とはいいながら、ほとんどが3連です。

 武骨な顔のク115ですが、この色を見ると一瞬総武線の電車を見たような錯覚を起こしました。

(近鉄内部線 日永 2013年3月)
 日永では必ず内部線と八王子線の列車が連絡します。
 写真は右方の八王子線下りと左方の内部線上りの列車列車交換風景です。

 もう一つのパターンは八王子線上りと内部線下りが連絡していますので、八王子線と内部線の乗り継ぎはきわめてスムースです。

(近鉄内部線 日永 2013年3月)
 日永に到着して、連絡する八王子線西日野行列車を待つ内部線四日市行。

 この駅の八王子線と内部線に挟まれた扇形ホームには、桜も咲いていてよい雰囲気でした。

(近鉄内部線 日永 2013年3月)
 パステルカラーの電車達が行き交う日永駅。

 四日市〜日永間は1時間に4往復の運転があるので、ナローラインとはいっても日永駅は賑やかです。

(近鉄内部線 日永 2013年3月)
 内部線の交換駅 泊。 この駅は何故か右側通行です。

 内部線では日永と泊が交換可能駅ですが、日永では八王子線との連絡があるため、内部線内は泊で列車交換を行なっています。

(近鉄内部線 泊 2013年3月)
 この日は車庫でお昼寝中のモ263編成。

 内部車庫所属の車輛は3連4本、2連1本で、日中はその内の3本が使われるようです。

(近鉄内部線 内部 2013年3月)
 桜の蔭から顔を現したモ265。こう見るとJR103系のようにも見えませんか?

 と言ってもナローゲージの列車ですから足は遅く、写真が撮りやすい点は楽ではありました。

(近鉄内部線 赤堀〜日永間 2013年3月)
 内部線の沿線には古い家々も多く、この付近には江ノ電や嵐電に似通った趣もあります。

 乗客もそれなりにあるようで、公共交通機関としての役割は果たしているように見えましたが。

(近鉄内部線 赤堀〜日永間 2013年3月)
 この日は沿線の桜がちょうど見頃でした。

 ブルーのク162が来たので桜と組合わせて見たのですが、中々旨くは行きません。

(近鉄内部線 赤堀〜日永間 2013年3月)

6、さよなら京阪カラー

  京阪電鉄の特急に赤と黄色に塗り分けた車が誕生して60数年、テレビカーが登場して約60年に
  なるそうですが、どちらもこの3月でお別れとなります。

  テレビカーはともかく、伝統の京阪カラーが消えることについては、ファンとして哀惜の念が尽き
  ません。

  今回は旧3000系など伝統のカラーを纏った電車達への賛辞です。

 五條付近の疏水端を行く50年前の京阪特急。

 「最近の話」のコーナーにこんな古写真をアップしたのは、京阪特急のカラーリングは古くから今の8030系まで受け継がれてきたことを見て頂きたかったからです。

 ただ、この写真の色も経年変化しているため、どれだけ正しいか疑問はありますが。

(京阪電鉄 五條 1961年3月)
 中書島に到着する特急。

 特急が京阪間ノンストップ(実際は七条・京橋間ノンストップでしたが)の時代には、ここ中書島では特急は通過を見送るだけでした。

 調べてみると、中書島に特急が停車するようになって20年にもなるのですね。

(京阪電鉄 中書島 2013年2月)
 濃淡の緑色の塗分けが落着いた感じの普通車も旧3000系と一緒に姿を消しそうなので、アップさせてください。

 赤系の特急に対して、普通車の緑系塗分けも良いものでした。

(京阪電鉄 藤森・墨染間 2013年1月)
 水鏡に映った3000系。
 上の写真と同じく琵琶湖疏水を渡るところです。 

 ちょっとイタズラして、上下反転して見ました。

(京阪電鉄 藤森・墨染間 2013年2月)
 伏見辺りの京阪電鉄沿線は家が建て込んでいて撮影しにくいのですが、写真の付近だけは少し空間があります。

 と、いっても、列車全体を一望するのは無理ですが。

(京阪電鉄 藤森・墨染間 2013年1月)
 特急のダブルデッカー車に描かれている時代祭の絵も見納めの日が近づきました。

 この絵は近くで見るとずいぶん丁寧に描かれていることが分かります。

(京阪電鉄 藤森・墨染間 2013年1月)
 琵琶湖疏水を渡る1000系。

 現ダイヤではこの付近で特急と普通が離合するので、あわよくば旧3000系と旧塗色の普通列車が出会わないかと期待していたのですが、そんなに旨くは行きませんでした。

(京阪電鉄 藤森・墨染間 2013年1月)
 新、旧、3000系の離合。

 こうして見ると旧3000系の車体は美しく見えますが、よく見ると車体に腐食した所もあるようで、老朽化は隠せません。
 やはり引退の潮時なのでしょうか。

(京阪電鉄 深草 2013年1月)
 旧3000系と共に去就が気になる旧塗色の1000系。

 特急車の塗分けが旧3000系のように決まった時代、普通車の塗分けについてはベージュと茶色など何種類かがテストされていたように覚えています。

 結局、緑系の塗分けに落ち着いて60年ほどが過ぎたわけです。

(京阪電鉄 深草 2013年1月)
 宇治川派流を渡る鉄橋は下路橋のため、写真に撮ると電車がホームに停車している様に見えてしまいます。

 サヨナラが近い旧3000系なればこそ、こんな所でも写してみたのですが。

(京阪電鉄 中書島付近 2013年1月)
 テレビカーのTVも今でははっきり写りますが、登場当時の白黒テレビはチラついて見づらいものでした。

 私などは電車に乗ってまでテレビを見なくても・・・と思って、テレビカーへの乗車は避けていたのですが。

 右手の車掌室のようなスペースは公衆電話が設置されていた跡です。

(京阪電鉄 旧3000系車内 2013年2月)
 出町柳で発車待ちの旧3000系の車内。

 金属パイプの網棚など、さすがに作られた時代を感じさせますが、吊手や広告のない車内はすっきりしています。

(京阪電鉄 旧3000系車内 2013年2月)

7、弘南と津軽の今

 先日、念願だった東北新幹線八戸〜新青森間に乗車出来ました。
 その際、弘南鉄道各線と津軽鉄道も超駆け足で回って来ましたので、その時のスナップをお目に
 かけます。
 東北新幹線は乗っただけで、写真を撮る余裕がなかったのは残念でしたが。

 なお、「古い話」のコーナーには弘南鉄道と津軽鉄道の昔の写真ををアップしました。
 過去と現在を合わせてご覧いただければ幸いです。

 弘南鉄道弘南線の車輛基地 平賀の現在の光景です。

 昔は多種多様の電車がたむろしていた平賀の構内も、最近では元東急のステンレスカー7000系一色になり、写真を撮る張り合いも減りました。

 その中で元西武のED333だけが昔と変りなく、異彩を放っています。

(弘南鉄道 弘南線 平賀 2012年5月)
 7000系と言っても形態はさまざまです。

 この7152は運転台を付けて先頭車にしたものらしく、貫通戸や方向幕が無くて、方向幕の代りに「弘前ー黒石」のステッカーを張り付けています。
 こうすれば方向幕の操作も不要で、これもいいかも知れません。

(弘南鉄道 弘南線 新里 2012年5月)
 こちらの7023は貫通戸も方向幕もある前面に昔の面影を残しています。

 ところで、この写真を写した新里付近は町外れの長閑な田園地帯ですが、何故かこの地域とは関係なさそうな国鉄蒸機48640が保存されていました。

(弘南鉄道 弘南線 新里 2012年5月)
 以下は、弘南鉄道大鰐線の写真を。

 大鰐線のターミナル 中央弘前駅はメインストリートから引っ込んだ所にあり、私は来るたびに道を迷っています。

 いかにも小私鉄のターミナルらしいこの駅の風情は、昭和の雰囲気に満ちていて、中々好ましいものです。

(弘南鉄道 大鰐線 中央弘前 2012年5月)
 中央弘前駅の改札口を入った所には牡丹の植え込みが。

 大鰐線は弘前電気鉄道として1952年に開通した鉄道で、弘南鉄道とは別の企業だったため、ターミナルも弘南線と全く別の場所に作られました。

(弘南鉄道 大鰐線 中央弘前 2012年5月)
 それにしても、この駅は小さな川沿いに一面一線だけというささやかな規模で、いささか窮屈そうです。

 ただ、この駅の周辺は弘前の中心地で飲み屋なども多く、夜はJRや弘南線の弘前駅よりも賑やかそうですが。

(弘南鉄道 大鰐線 中央弘前 2012年5月)
 津軽大沢車庫に勢ぞろいした大鰐線の車輛。

 元は信濃鉄道出身の電機ED221や、すでに現役を退いたはずの元東急6000系の顔も見えます。

(弘南鉄道 大鰐線 津軽大沢 2012年5月)
 キ105だけは構内の奥に安置?されていました。

 ラッセル車が弘南鉄道や津軽鉄道に残っているのは多雪地帯だから当然と言えば当然ですが、こうした貴重な車輛はしかるべき施設で産業遺産として保存することも考えてほしいものです。

(弘南鉄道 大鰐線 津軽大沢 2012年5月)
 以下は津軽鉄道でのスナップ。
 これは金木から津軽五所川原に向かう、津軽21形です。

 津軽鉄道にはストーブ列車用の客車もあるものの、実質的には津軽鉄道の車輛はこの津軽21形だけと言ってもよいでしょう。

 この列車には親切なアテンダントが乗っていましたが、写真は遠慮しました。

(津軽鉄道 金木 2012年5月)
 津軽鉄道のダイヤは金木での列車交換が原則。
 というよりも今では金木しか交換可能駅はありません。

 駅舎は知らない内に建替えられ、売店や食堂も入っていますが、利用客はどれ位あるのでしょうか?。
 金木は太宰治の生地ではありますが。

(津軽鉄道 金木 2012年5月)

 このタブレットは津軽五所川原〜金木間で使われているもので、金木〜津軽中里間はスタフ閉塞だそうです。

 それにしても、このタブレットキャリヤは相当の時代ものですね。

(津軽鉄道 金木 2012年5月)
 起点の津軽五所川原駅風景。

 20年ほど前にも同じ場所でキハ24000形の写真を撮っていましたが、今度は車輛が津軽21形に変りました。
 さらに20年経ったら津軽鉄道はどうなっていることでしょうか?

(津軽鉄道 津軽五所川原 2012年5月)

8、久々の九州 

  九州新幹線 博多〜新八代間の開業に合わせて、久々に九州の土を踏みました。
  前に九州まで出かけたのは2005年3月、開業直後の福岡地下鉄七隈線に乗った時以来で、
  6年ぶりになります。

  私にしては手回しよく、3月の始めに指定券や宿などをセットし、鹿児島や熊本の市電、熊本
  電鉄にも寄る忙しいスケジュールを組みました。

  振り返ってみると、新八代〜鹿児島中央間が開業したとき、博多〜新八代間の開通するまで
  元気でいたいと思ったのが、ついこの間のように思い出されます。

 鹿児島中央駅に停車中のN700系「さくら」。
 800系は熊本までの運用になったのか、鹿児島中央で見たのはN700ばかりでした。

 800系「つばめ」は6連のため、ホームの端から列車全景が撮れたのですが、「さくら」は8連になったので、ホーム末端からでもご覧の通り、ちょっと写しにくくなりました。

(九州新幹線 鹿児島中央 2011年3月)
 熊本から博多に向かう「さくら」。

 「さくら」は8連なので、全体を撮り込むのは容易です。
 ただ残念なことに、屋内の照明や窓ガラスの汚れが写り込んでしまいました。

 ここは新幹線の手前に在来線の高架工事中で、それが出来れば新幹線は見にくくなるかもしれません。

(九州新幹線 熊本付近 2011年3月)
 鹿児島駅で肥薩おれんじ鉄道を経由して博多方面に向かう貨物列車が発車時刻を待っていました。

 ED76のラストナンバーED761023を先頭にコンテナ貨車が連なる、堂々とした貨物列車です。

(鹿児島本線 鹿児島 2011年3月)
 鹿児島駅に到着する、783系5連の宮崎発鹿児島中央行特急「きりしま」13号。

 博多〜鹿児島が新幹線で2時間も要しないのに、在来線特急は宮崎〜鹿児島間約120キロでそれ以上の時間がかかるとは、新幹線の威力を思い知らされます。

(鹿児島本線 鹿児島 2011年3月)
 新幹線開業のとばっちりで運用を失った485系が、鹿児島駅の側線に停められています。

 余談ですが、鹿児島駅に入ってその凋落ぶりに驚きました。
 鹿児島中央駅に繁栄を奪われ、乗客はポツリポツリといるだけで、博多方面への特急、急行が発車していた昔の面影はまるで見当たりません。

(鹿児島本線 鹿児島 2011年3月)
 815系2連の豊肥本線普通列車。

 豊肥本線の熊本近郊は都市化が著しく、電化され運転回数も増えています。
 ただ、走っている車両は815系がほとんどで、その点では面白味は少ないのですが。

(豊肥本線 新水前寺 2011年3月) 
 815系ばかりで・・・と言っていたらやって来たキハ185系。
 この列車は時刻表にない時刻に来たので、遅れていたのか臨時なのか正体が分りませんでした。

 今回気付いたのですが、豊肥本線は熊本の市街地を出てからは、阿蘇山地に向かって25‰勾配が延々と続いているのですね。

(豊肥本線 武蔵塚 2011年3月)
 鹿児島市電の鹿児島中央駅前乗り場。
 市電の軌道敷に芝を張った区間が増えています。 

 この日、鹿児島中央駅前から天文館通の間の乗客は随分多くて驚きました。
 鉄道ファンから見るとまことに結構なことですが、混んでいる時の後乗り前降りワンマン方式は乗降に時間がかかり過ぎます。何か工夫が要りますね。

(鹿児島市電 鹿児島中央駅前 2011年3月)
 一時期は松本電鉄や岳南などあちこちに生息していた青ガエルも、今では熊本電鉄に生き残るだけとなりました。
 そのうちに渋谷駅前の剥製だけになるかも知れません。

 後ろの元南海22000系は熊本電鉄に入る時に西鉄の工場で改造されたためか、西鉄の600系などに似ているように見えます。

(熊本電鉄 北熊本 2011年3月)
 今では熊本電鉄の主力の元都営地下鉄6000系。
 編成ごとに塗色や塗り方を変えているので、形式が沢山あるかのように見えました。

 私が初めて熊本電鉄に乗ってから54年。
 旧広浜鉄道からの小さな買収国電が活躍していた頃と比べると、車両は大きく変ったものです。

(熊本電鉄 北熊本 2011年3月)
 全国的に競争のような感じで路面電車の軌道敷きに芝を植えていますが、ここ熊本でもそうした区間が増えました。
 美観が良くヒートアイランド現象を抑えると言われていますが、その効果はいかに?

 電車は9200形。1920年のデビュー以来、早いも約20年になります。

(熊本市電 通町筋付近 2011年3月)
 熊本城を仰ぎ見る通町筋停留所からの眺め。
 ここの安全地帯は撮影に定番の場所ですが、車両侵入を防ぐ紅白縞のポールは少々目障わりです。

 威風堂々とやって来るのは熊本市電で2形式目の超低床車0800形。
 富山などに同類がいますが、塗色は独特のものです。

(熊本市電 通町筋付近 2011年3月)

 9、関東寸景 

  年に一度は乗りに出かけていた関東の鉄道も、身辺多事でこの1年以上ご無沙汰でした。

  それが先日久しぶりに内房線沿線まで出かけたので、僅かな時間ですが品川に寄り道しました。

  品川の八ツ山橋付近は駅から近く、やって来る電車は多様で、近くには休憩設備もあり、と、ちょっと

  電車を見物するには具合のよい所です。
  

 残り少なくなった房総のスカ色の113系。

 運用が分っているわけもなく、たまたま駅撮りを思い立って下車したら、すぐにこの電車が来たのは幸運でした。

 113系や103系などを写すのはフィルムの無駄だと撮影を見送っていた報いで、私はこれらの車両の古い写真は極めて手薄です。

(外房線 本千葉 2010年6月)
 113系の後釜 209系。
 ローカル線に4ドア車では・・・と思っていましたが、一部シートのクロス化やWC設置など上手く改造してあり、これはこれで良いのかもしれません。

 ただ、ちょっと引っかかるのは、”重量半分、寿命半分”とか言っていたはずの車両を、改造してまだ々々使っても大丈夫なのでしょうね。

(内房線 姉ヶ崎 2010年6月)
 汐留貨物駅は鮎川哲也のミステリー「黒いトランク」の冒頭に出てきますが、現地を見たことがありませんでした。

 まして、汽笛一声の時代の様子など想像の他でしたが、今回立ち寄って見たら、高層建築に囲まれながらも、それなりの存在感はあって、少しは昔を偲べました。

 ただ、スペースがもう少し広ければ・・・、との思いはしましたが。

(旧 新橋停車場 2010年6月)
 この場所に来たのは併用軌道時代の1957年以来では?。

 今では併用軌道もなくなり、電車の顔ぶれもすっかり変わっていますが、何となく昔の雰囲気はある・・・というのはオールドファンの思い込みでしょうか。

 料金不要で2ドア、クロスシート車に乗れる京急は、京阪贔屓の私に親しみを感じさせる鉄道です。

(京浜急行 品川・北品川間 2010年6月)
 この付近で電車を見物していて面白いのは、相互乗り入れ各社の車両が次々に現れること。

 この北総鉄道の9100系にも出会えたのは、半時間ほどの滞在にしては幸運ではなかったでしょうか?

(京浜急行 品川・北品川間 2010年6月)
 私は根性曲がりなのか、この踏切の付近では八ツ山鉄橋方の風景よりも、北品川方面から曲がりくねってやって来る電車の姿の方が面白く思えました。

 ただ、私が面白がっているだけで、写真はさっぱり面白くありませんが。

(京浜急行 品川・北品川間 2010年6月)
 都営地下鉄車5300系。

 この車両のように白をベースにした塗り分けの車両は、全国的にも少ないのではないでしょうか。

 軽快で中々すっきりしていると思う半面、この車両のようにスカートまで白いと、前面の白地が広すぎるような気もするのですが。

(京浜急行 品川・北品川間 2010年6月)
 京成 3700形。
 VVVF車だそうですが、気が付きませんでした。

 京成は都営地下鉄や京急との相互乗り入れの準備に、改軌など一番手間を掛けさせられた上、ダイヤ編成などにも乗入れの関係での制約が多そうで、何かと大変だろうと気の毒な気もする鉄道です。

(京浜急行 品川・北品川間 2010年6月)
 北品川を通過する600系快特。
 やはり、京急は赤い電車が・・・・・と思うのも、初めて見た時の印象が強かったせいでしょうか?

 余談ですが、この日のこの駅は京急の駅とは思えないほど空いていました。
 品川まで歩いても行ける距離だからかも知れません。

(京浜急行 北品川 2010年6月)
 北品川に到着する1630他の普通列車。

 こうした急カーブと勾配が混じった線形は、軌道線としてスタートした鉄道ならではのものでしょう。
 当事者としては困ったものかもしれませんが、ファンにとっては興味深い景色です。
 
(京浜急行 新馬場・北品川間 2010年6月)

10、富山のトラム 

  富山のトラム。
  語呂合わせのようですが、昨年12月23日、富山市に新しいトラムライン、富山都心線が開業して
  います。

  大好きなトラムの事なので早速乗りに行きたかったのですが、私が体調を崩したため訪問が延び
  延びになっていました。

  やっと訪問した4月8日は富山ライトレールと万葉線にも立ち寄ったので、忙しい一日になりました。

 「富山駅前」停留所を発車した富山都心線用の新車 デ9000形。
 将来は直通運転も予定されている富山ライトレールの車両とはほぼ同じもののようです。

 新設された区間は、軌道などの建設は富山市、運営は富山地方鉄道、という上下分離方式で作らてたそうですが、他の都市にもこの方式がうまく広がって欲しいものです。

(富山地方鉄道富山市内線 富山駅前 2010.4)
 訪ねた日の環状線には白電車と黒電車が運用されていました。

 写真は花吹雪で飾られた黒塗りの9003。
 黒い路面電車とは岡山電軌3000形くらいしか思い当たらない、変った塗色です。

 なお、環状線電車は内回り一方向の運転なので、9000形は写真の線路の上しか走りません。これには少し戸惑いました。

(富山地方鉄道富山市内線 富山駅前 2010.4)
 在来車デ7000形のうち、1両だけ登場時からの塗色で残っている7018。

 7000形は都電8000形をコピーして作られた市内線の主力ですが、近々新車が登場する予定なので、次第に減っていくでしょう。

 ところで、都電8000形はJR東の209系と同様、10年くらい使えれば・・・という考え方で作られたはずでした。
 しかし、富地鉄の7000形はずいぶん長持ちしています。

(富山地方鉄道富山市内線 富山駅前 2010.4)
 「丸の内」電停から右折する既存の線路を「大学前」終点に向かう8000形。
 左へ曲がるレールが新らしい環状線のものです。

 今回開業した区間は1973年に廃止された西部線の復活とも言えます。
 ただ、昔の環状線を構成していた線路は、もう少し直進してから左折して西町に至っていました。

(富山地方鉄道富山市内線 丸の内 2010.4)
 新設環状線の「国際会議場前」停留所に停まる9001。
 9000形の車両ナンバーは、連接車体のパンタグラフ付きの方をA、パンタ無しの方をB、としているようです。

 この停留所の辺りは単線のレールに石畳と、落ち着いたいい感じです。

 環状線は一方方向への運転だけなので、交換設備も無く安全地帯などもコンパクトですが、電車の接近予告など情報装置は整っています。

(富山地方鉄道富山市内線 国際会議場前 2010.4)
 デ9000形の車内。
 2車体連接車の後乗り前降り方式なので、車内の通り抜けが面倒な後方は空いています。

 デ9000形のように2車体連接車ならはまだしも、3車体以上の連接車になると、乗り口と降り口を分離して、料金支払いを運転士がいるドアで行う方式では無理があります。
 この点をどうするかが今後の日本のLRVの問題になりそうです。

(富山地方鉄道富山市内線 9000形車内 2010.4)
 環状線と本線の合流点、西町の風景。
 電車は環状線の車内から見た本線の南富山行きです。

 環状線と本線の富山駅前方面の線路は、ちょうど横断歩道の所で合流します。

 「西町」〜「丸の内」間が廃止されてから37年。
 ここがジャンクションとして甦るとは思いもよりませんでした。

(富山地方鉄道富山市内線 西町 2010.4)
 9000形と8000形が離合する「桜橋」停留所。

 近々、以前からの市内線にも3車体連接車が投入される予定ですので、そのときの離合風景が楽しみです。

 ただ、この付近は自動車の通行量が多く、電車に自動車が被らない様に写すのには根気が要ります。

(富山地方鉄道富山市内線 桜橋 2010.4)
 桜の名所 松川の辺りで出会った7000形の広告電車。

 富山市内線を見ていて気持がいいのは広告電車が目立たないからですが、この電車は中々派手でチンドンヤを思わせ、川辺の桜を圧倒していました。

 そういえば4月上旬の富山では恒例のチンドンヤ祭が行われるはずです。

(富山地方鉄道富山市内線 桜橋付近 2010.4)
 富山ライトレールの電車ポートラム。

 今のところ、この電車の利用状況は順調なようです。
 しかし、この線の起点「富山駅北」と富山駅の南側の間は長い地下道を延々と歩かなければなりません。
 この線の将来を考えると、早く富山地方鉄道市内線と直通運転することが必要だと思います。

 ところで、新しい交通機関であることをアピールしたい気持ちは分りますが、ポートラムとかセントラムと言った横文字の語呂合わせには、正直言って食傷気味です。

(富山ライトレール 富山駅北 2010.4)
 万葉線のLRV 深紅の1000形も導入以来はや6年。

 最初は初期トラブルが起き、脱線事故が多発して心配したこともありましたが、今では安定して沿線にも馴染んできたようです。

 ただ、富山などに比べて沿線人口が少ない万葉線です。沿線の人々が一人でも多く利用してほしいものだと思います。

(万葉線 高岡駅前 2010.4)
 深紅の1000形に合わせて、装いを変えた7075。

 万葉線を見ていると、大半の列車はアイトラムで運転されているようでしたが、時々はデ7070形にもお目にかかります。

 高岡駅前に近いこの辺りは日陰になる時刻が早く、撮影はやりにくい場所でした。

(万葉線 高岡駅前付近 2010.4)

11、琴電散歩

   春の18切符の旅で琴電を訪ねました。

   古典車が消え、すっかり車輛が置き換わった琴電に乗るのは久しぶりです。

   ただ、短い時間で全線に乗り、写真も・・・という欲張った計画ではロクな写真は撮れませんでしたが。

 元京王5000形の1100形。
 独特のパノラミックウィンドウは健在です。

 向こうに見える山の名前を知りませんが、琴電に乗ると目に付く山容です。

(琴電 琴平線 空港通付近 09年3月)
 元京急600から転じた1070形。
 2ドア車なのにラッシュ時の運用が主になっているようで、佛生山の側線で昼寝中です。

 琴平線はこの車あたりをセミクロス化して、1時間に1本位急行を運転してもいいと思うのですが。

(琴電 琴平線 佛生山 09年3月)
 菜の花と車体が色合わせしたような風景です。

 昔の琴電沿線は、このあたりまで来ると田園が多かったはずなのに、今では家が増えて写真を写しにくくなりました。

 ただ、この付近は15分ヘッドなので、撮影には好都合ですが。

(琴電 琴平線 空港通付近 09年3月)
 琴電の昔々には富士身延鉄道の買収国電で1201などを名乗る車もいましたが、今の琴電1200形は元京急700。

 今や琴平線の最大勢力で、写していてもこの形式にやたらに出会いました。

(琴電 琴平線 空港通付近 09年3月)
 これも元京急の1080形。

 琴電オリジナルの3000形と離合するシーンに見えますが、右の線路は佛生山の側線で、3000形は保存されているものです。

(琴電 琴平線 佛生山付近 09年3月)
 元京急車の並ぶ佛生山構内。
 現在の琴電を象徴する風景です。

 戦前に存在した塩江温泉鉄道の佛生山駅はこの辺りだったとか。

(琴電 琴平線 佛生山 09年3月)
 佛生山工場の側線に置かれた1000形のNo120。

 以前の琴電の形式と車輛番号の関係は独特で、不思議でした。

 この車はこうしてサイドから見るとモデル向きの感じです。

(琴電 琴平線 佛生山 09年3月)
 琴電開業時からの古典車3000形が、戸袋窓を丸窓に復元した姿で保管されています。

 車内からここに留置されているのを見付け佛生山で下車したものの、この場所への道を探すのに手間取りました。

(琴電 琴平線 佛生山付近 09年3月)
 久しぶりに乗った長尾線は車輛が様変わりしているばかりでなく、かなり速くなっていました。

 また水田付近の高架化も終わり、景観も変わっています。
 しかし、その先には田園風景が残っていました。

(琴電 長尾線 西前田付近 09年3月)
 長尾線は元名古屋市営地下鉄車だけでなく、元京急車の1200形も入っているのは目新しい点でした。

 写真の編成のボディカラーは少し簡素過ぎると感じましたが。

(琴電 長尾線 西前田付近 09年3月)
 志度線に走るのは元名古屋市営地下鉄車だけ。
 ファンには面白みの少ない路線になりましたが、昔の百鬼夜行のような電車の時代よりは、乗客サービスとしては良くなったと言えるでしょう。

 ただ、瓦町での志度線と他線の乗換えは面倒で、接続もあまり良くありません。

(琴電 志度線 沖松島付近 09年3月)
 志度線の撮影には志度に近い房前付近の海岸沿いが良いのですが、この日は楽な所でお茶を濁しました。

 やってくるのは名古屋市営地下鉄東山線から来た車輛ばかりで、形態的にはほとんど変わりがなく、撮影にも力が入りません。
 せめて、もう少し場所やアングルを考えるべきでした。

(琴電 志度線 沖松島付近 09年3月)

12、福井鉄道

   人から譲り受けた青春18切符で雪見に福井まで出かけました。
   雪は思ったほどありませんでしたが、健闘している福井鉄道にもご挨拶しておきました。

   名鉄が手を引き、地元自治体の支援を受けて、一種の三セクとも言える状態になった福井鉄道ですが、
   土日のフリー切符を発売するなど、集客には努力しています。

 

 武生新の側線で昼寝中の201。

 日中の乗客をさばくには元名鉄の880形や770形で十分ですが、やはり通学時間帯には収容力のある車輛が必要なようで、200形もしばらくは働き続けそうです。

(福井鉄道 武生新 2009.1)
 雪景色の中で名鉄から来た車両を見ることにも馴染みました。

 しかし、この880形のボディカラーの印象は夏向きで、冬季には涼し過ぎます。

(福井鉄道 西山公園 2009.1)
 福井鉄道名物のシェルター。

 これを初めて見た時は夏だったのでいったい何なのかピンと来ませんでしたが、大雪の時に見てなるほどと感心しました。

(福井鉄道 家久? 2009.1)
 雪の中をやってきた770形。

 ここは右手の竹藪の辺りまで行った方が撮影に良いのですが、積雪で踏み入れられず踏切から安直に写しました。

(福井鉄道 鳥羽中付近 2009.1)
 この日に見た所では日中の小駅でも何人かの乗降があり、結構利用客があるのは心強く感じました。

 私のようなファンにとっては空いているのは有難いですが、やはり交通機関は利用されなければいけません。

(福井鉄道 鳥羽中 2009.1)
 福井鉄道名所、市役所前のスイッチバック。

 福井鉄道のダイヤは何故か、駅前〜田原町間のシャトル便も合わせて、ここで離合するようになり、待合わせのロスタイムも発生します。
 ファンにとっては見ていて面白いのですが、利用者には迷惑なことでしょう。

(福井鉄道 市役所前 2009.1)
 市役所前で折り返す武生新行。

 福井鉄道は福井新〜田原町間の併用軌道区間が複線なのに、昼間の田原町〜市役所前は1時間に2往復しか走らないのはもったいない感じです。

 田原町駅を改良して福井鉄道とえちぜん鉄道が相互乗り入れし、併用軌道区間は10〜15分間隔くらいに運転出来ないかと思うのですが。

(福井鉄道 市役所前 2009.1)
 同志社女子大広告電車の700形。
 福井で京都の女子大の広告電車に出会うと、ここはどこ?と面喰います。

 確か琴電にも京都の大学の広告電車がありました。
 少子化時代になって、私立の学校は生徒集めにあの手この手と苦労しています。

(福井鉄道 市役所前 2009.1)
 福井駅前付近のヒゲ線に連接車の200形。いかにも福井鉄道らしい光景です。

 200形も広告電車でなくなり、3編成がそれぞれ違うカラーに塗られていますが、私はこのカラーが一番似合うように思います。

(福井鉄道 福井駅前 2009.1)
 除雪車として残っているデキ11。

 元来は単車の電動貨車だったこの車両は、ボギー車になり電気機関車になりと改造を重ねながら、ずいぶん長く使われています。

(福井鉄道 福井新 2009.1)
 何かの雑誌にも紹介されていたこの看板は今も健在です。

 擬音語というのは表現が難しいものですが、ここでは電車が近付くと文字通り”ジャンジャン”と景気よく鳴っていました。

(福井鉄道 福井新 2009.1)

13、豊橋鉄道 

   1月の中頃、青春18切符で豊橋を訪ねました。お目当ては東田本線(市内線)の新車 T1000。

   ついでに20年あまり乗っていなかった渥美線の高師から三河田原までを乗ってきました。

   その日の記録の何コマかをお目にかけます。

 駅前停留所から出てきた3501。
 元都電もすっかり豊橋になじみました。

 ところで、この停留所は豊橋駅前でなく、「駅前」となっています。
 他に「○○駅前」という停留所がなければそれで良いのですが、何となく落ち着かない気がしました。

(豊橋鉄道市内線 駅前 2009.1)
 お目当てのLRT、流麗なスタイルのT1000がやって来ました。

 今のところ、この車両は1編成が駅前〜赤岩口を56分ごとに往復しているだけなので、乗ろうとするとスケジュールを合わせるのが厄介です。

(豊橋鉄道市内線 駅前 2009.1)
 低床車のT1000は床下に機器を取り付けられないため、こうして見下ろすと屋根上に機器がいっぱいです。

 それにしても、T1000の窓や車体は鏡のように周りの景色を写しこむので、写真を見るとビックリします。

(豊橋鉄道市内線 駅前 2009.1)
 T1000の車内は見た目のわりに座席が少なく思いました。
 また、乗り心地は少々硬さと左右動を感じます。

 期待が大き過ぎたので短所が目につきましたが、この電車が現在の日本の路面電車でトップクラスにあることは間違いないでしょう。

(豊橋鉄道市内線 T1000車内 2009.1)
 名鉄時代の赤いボディと印象が変わった785。

 市内線にはこの付近のように単線区間があるので、現行の7分ヘッド以上に増発しようとする場合にはネックになるのではないかと、電車を見ながら余計な心配をしました。

(豊橋鉄道市内線 競輪場前 2009.1)
 こちらは黄色が主の外装の781。

 市内線は競輪場前から先が単線で、中でも競輪場前〜井原の間は赤岩口方面と運動公園方面の系統が重なるため、見ているのは面白いですが、運転士さんはダイヤ維持に気を使う事でしょう。

(豊橋鉄道市内線 競輪場前付近 2009.1)
 名鉄岐阜市内線580形だった3200形も影が薄くなり、この日に見たのはこの復元塗装の3203だけ。

 この車は岐阜市内線にいた時は車体幅がもっと狭いと思っていたのに、この色になるとぐんと幅広に見えます。
 この塗分けを見て、今は亡き西鉄北九州線を思い出しました。

(豊橋鉄道市内線 市役所前付近 2009.1)
 赤岩口で発車を待つ3504。
 今の市内線の車両は数の上では3500形と780形が主力で、T1000や880形を写そうとすると根気が要ります。

 赤岩口まで路線が伸びた時には、この付近には家がまばらでした。50年近く前のことですから変わっていても当然でしょうけれど。

(豊橋鉄道市内線 赤岩口 2009.1)
 渥美線の新豊橋駅は移転後、以前の1面1線から広くなりました。
 おかげで、着発のきわどい運転の心配は消えたようです。

 また、JR,名鉄とも乗換えには少し近くなりました。

(豊橋鉄道渥美線 新豊橋 2009.1)
 三河田原に停まる1800系3連。
 というより7200系と言う方がピンときますね。

 この列車、新豊橋では3連でいいなと思う位乗っていましたが、終点三河田原付近では見事に空いてきました。
 それでも全線15分ヘッド運転は立派です。

(豊橋鉄道渥美線 三河田原 2009.1)
 天気がよかったので豊島で途中下車し、少しだけ渥美線の列車を写してみました。
 15分ヘッドの運転だとこんな自由が利きます。

(豊橋鉄道渥美線 豊島付近 2009.1)
 この付近は気持ちのいい場所で、近くなら何度も行きたい所です。

 ただ、渥美線は車輛が1800系ばかりなので、その点は写していても面白くありません。前面カラーのバリエーションだけがせめてもの救いです。

(豊橋鉄道渥美線 豊島付近 2009.1)
 渥美線に乗ると何時も寄り道している高師の松林あたりも気分の良い所です。
 ただ、松林の影になる時間帯が長く、撮影には光線がいま一つ。

 右に見える線路は高師駅からの引上げ線で、ここは複線区間ではありません。

(豊橋鉄道渥美線 高師付近 2009.1)


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