路面電車 (東日本) 

  1960年代まではちょっとした町には路面電車の姿がありました。
  旅先で駅前に市内電車の姿を見ると、何となく心が落ち着いたものです。
  このページではそんな電車たちの一部を紹介いたします。


   なお、各線の路線長、廃止時期などは和久田康雄さんの私鉄史ハンドブックを
   参考にしました。


     註、 1、路面電車の定義はあまり厳密に考えていません。
         2、京都市電、京阪電鉄京津線、京福電鉄嵐山線、叡山線は 
           京都の電車 のページを御覧下さい。

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 北海道、東北 

    北海道と東北の路面電車の古写真から何枚かを取り出しました。
    
    ただ、ここに花巻電鉄の写真がないのは誠に残念です。花巻電鉄は見るだけで終わってしまいました。
    

 1973年の廃業まで日本最北の電車だった旭川電気軌道。

 郊外に向けて全線22キロ余。
 旭川市内など路面を走る区間も多く、貨物輸送もあって、御覧のような混合列車が路上を走っていました。

(旭川電気軌道 旭川四条付近 1957.5)
 旭川追分を発車し、旭山公園に向かう電車。

 旭川電軌には東川に向かう本線と、旭川追分で別れて、今評判の旭山動物園のある、旭山公園に至る支線がありました。

(旭川電気軌道 旭川追分付近 1972・7) 
 前面の一枚ガラスに丸みを帯びたボディと、札幌市電タイプが確立した全盛期の札幌市電の姿です。

 全盛期には25キロの路線があった札幌市電も今は約8キロを残すだけです。
 なんとか存続してほしいものです。

(札幌市電 一条橋付近? 1972.7)
 札幌の都心を行くデビューしたばかりの320形。

 昭和32年に出現したこの電車のスタイルは、その後の札幌市電の元祖ともいうべきものでしょう。

(札幌市電 三越前付近 1957.5)
 この300形は初の北海道産の電車だったと思います。

 かっては約18キロあった路線は近年まで縮小が続きましたが、最近、函館空港までの延長も計画されているとかで、大いに期待しています。

(函館市電 函館駅前 1957.5)
 独特の大文字の車両番号は函館市電独特です。

 最盛期には30両の在籍があり、戦後の函館市電の主力だった500形。
 今も1両が在籍しています。

(函館市電 函館駅前 1957.5)
 秋田市電は全線7キロ余。
 単線で専用区間もあり、乗っていて面白い線でしたが、1966年に廃業しました。

 写真のbQ6は元 旭川市街軌道の車輛で、同社が廃業後秋田に来たものです。

(秋田市電 秋田駅前 1963.5)
 写真のbU1は都電6000形のコピーで、秋田市電の中核でした。

 秋田市電は最後までポール集電でしたが、この写真ではポールの先端が切れてしまいました。

(秋田市電 大町2丁目 1963.5)
 仙台市電の新鋭だった400形。
 台車などが独特の構造の電車でした。

 今では地下鉄の走る仙台ですが、市電は1960年代までは16キロの路線があり、市内交通の主役でした。
 市電をもっと活用できなかったかと思いますが、1976年に廃止されてしまいました。

(仙台市電 大学病院前付近 1972.5)
 仙台市電の戦前製車輛の代表として、1934年製で総勢12両とまとまっていた30型をご覧いただきます。
 この時期にはポールとビューゲルを付けています。

 仙台市電は路線長に比べて、運転系統が非常に多かったことが印象に残っています。

(仙台市電 仙台駅前付近 1960.11)
 1961年に消えた秋保電鉄は、長町〜秋保温泉間16キロの私鉄で、路面電車と言えるのか疑問ではありますが、仙台市電に乗り入れたこともあったそうなので、ここに入れました。

 この電車で行った当時の秋保温泉はずいぶん山の中に思いましたが、今では仙台市内です。

(秋保電気鉄道 長町 1960.11)
 国鉄福島駅前間近の福島交通軌道線(厳密には飯坂東線というべき?)。

 この軌道線は福島の市内電車と、保原、梁川など近隣の町との交通機関を兼ねたような路線で、市内区間では12分ごと運転と、かなりの頻発だったように記憶しています。

(福島交通 福島駅前 1963.5)
 福島交通の軌道線ではご覧のように貨物列車の運転もあり、電動貨車が貨車を曳いて狭い道を堂々とやって来るのには驚きました。

 写真のモニは前面に「続行あり」との標識をつけ、旅客電車を従えています。

 この軌道線約32キロは道路事情や採算性の悪化から、1971年に廃止されました。

(福島交通 長岡分岐点 1960.10)




 関東、甲信越  

    関東の路面電車には東京都電という大物がありますが、このコーナーではそれ以外の中小私鉄を主に
    取り上げさせていただきましょう。ただ、東武鉄道日光軌道線は例外です。

    また、東急玉川線は乗っただけ川崎市電は見ただけで、写真の手持ちがないのは残念です。
    

 横浜市電は隣の東京都電に合わせたように、同じ1972年に消えてしまいました。
 最盛期には50キロ以上の路線網があった横浜市電ですが、残念なことに、私は初訪問が遅くて、あまり乗り廻っていません。

 市役所前という停留所はたくさんありますが、写真の市庁前というのは横浜のはかにもあったかどうか。

(横浜市電 市庁前 1969.10)
 まだ出来て間もない根岸線の鉄橋をくぐって来た1150形。
 1150形のスタイルは1500形に似ていますが、1500型のような高性能車ではありませんでした。もしかして更新車だったのかな?

 この1150形と1500形は路面電車には珍しく、左折右折指示のウィンカーランプが点灯するのが印象的でした。

(横浜市電 桜木町付近 1969.10)
 横浜市電のエースだった1500形。

 市内電車で正面を2枚窓にしたのは戦前生まれの大阪市電901形だったと思いますが、戦後ではこの1500形が最初ではなかったでしょうか。

 写真のトンネルは横浜市電の名所でした。

(横浜市電 麦田町 1969.10
 1962年まで甲府駅前から甲府郊外の青柳まで約20キロを走っていた、山梨交通の甲府駅前付近の風景。

 この鉄道は本来は郊外電車的な路線でしたが、甲府市内などには併用軌道区間がありました。

(山梨交通 甲府駅前 1961.4)
 車庫のあった貢川付近の専用軌道区間を行く山梨交通の電車。

 山梨交通の電車はヘッドライトが着脱式で昼間は装着していないため、こうしてに見ると何か間が抜けた感じがします。

(山梨交通 貢川 1961.4)
 松本電鉄の松本から島々に向かう鉄道線は北アルプスへの登山客にはおなじみの鉄道です。
 しかし、浅間線の方はあまり知られていません。
 
 浅間線は松本駅前と浅間温泉を結ぶ約5キロ、併用軌道と専用軌道の入り混じった路線でしたが、私は松本駅前付近でしか撮影していませんでした。

(松本電鉄 松本駅前 1958.5)
 松本駅前のターミナルから浅間温泉行が出てきたところ。
 1964年に廃止されるまで、浅間線は松本の市内電車の役割も果たしていました。

 松本電鉄では車輛番号を軌道線は偶数、鉄道線は奇数と区分しています。

(松本電鉄 松本駅前付近 1958.5)

 1966年まで走っていた茨城交通水浜線。

 水戸の市内電車と、水戸から大洗までの郊外電車を兼ねた鉄道でしたが、私が乗れたのは水戸駅前から上水戸まで約3キロだけでした。

(茨城交通水浜線 水戸駅前 1963.5)
 水浜線の終点上水戸で発車時間待ちの131号。
 上水戸は赤塚〜御前山間の茨城線(旧茨城鉄道)との連絡駅でした。

 専用軌道区間が多かった水浜線のうち、路面電車らしい区間だった上水戸〜水戸駅前は、全線廃止に先立って1965年に廃止されています。

(茨城交通水浜線 上水戸 1963.5)
 日光の名所 神橋の横を渡る馬返行の日光軌道線100形。

 東武鉄道日光軌道線は日光見物ではお世話になった電車ですが、1968年に廃線となりました。

(東武鉄道日光軌道線  神橋 1963.11)
 東武鉄道日光軌道線と、この線の終点馬返から明智平へのケーブルカーが残っていれば、中禅寺湖方面への交通はもっと便利なはずで、早まった廃止が惜しまれます。

 日光軌道線廃止後、岡山電気軌道に移ったこの100形の一部は現存しています。

(東武鉄道日光軌道線  神橋 1963.11)
 訪問した安良沢車庫の一隅に、以前は客車を牽いて活躍していた電車、デ12が止まっていました。

 かなりの勾配がある日光軌道線で、こんな小柄な電車がよくトレーラーを牽引できたものです。

(東武鉄道日光軌道線 安良沢車庫 1963.11)
 このコーナーでは珍しく現役の路線の登場です。

 100形を改造して連接化した300形。
 単行だった江ノ電に連接車が使われだしたのはこの300形から。

 江ノ電は法規上は鉄道のはずですが、雰囲気としては路面電車だと管理人の勝手な判断で路面電車のページに入れました。

(江ノ電 江ノ島 1957.5)
 江ノ電の代表的車両だった500型が登場して間のない頃の姿です。

 初めて見たとき、まずそのユーロピアンスタイルには目を見張りました。
 今見ても新鮮なスタイルではありませんか。

(江ノ電 江ノ島 1957.5)



 東海、北陸  (3月1日 名古屋市電、名鉄600V線など 追加)

    東海、北陸の路面電車には名古屋市電、名鉄岐阜市内線、北陸鉄道金沢市内線、等々
    消えた路線が多いのは残念です。

    しかし、富山ライトレールもこの地域。これに続く新しい動きを期待したいところです。


 電車と線路が写っていなければ江戸時代とさして変わらない風景です。

 1906年開業と古い歴史のあった伊豆箱根鉄道の軌道線ですが、台風で黄瀬川の橋が流れたのが原因で1963年に姿を消しました。

(伊豆箱根鉄道軌道線 黄瀬川付近 1961.4)
 終点 沼津駅前に近づくbQ02。

 この200形が軌道線の主力でした。この車輛の前身は西武鉄道杉並線の車輛だったはずですが、車体はかなり改造されていたと思います。

(伊豆箱根鉄道軌道線 沼津駅前付近 1961.4)
 静岡鉄道静岡市内線は元々は静清線と一本の路線だったのを、新静岡〜安西間を分離して静岡市内線としたもので、約2キロの短い区間の路線でした。

 私の見た静岡市内線の車輛は50形ばかりでしたが、不勉強でこの車のことは何も知りません。

(静岡鉄道静岡市内線 新静岡駅前 1961.4)
 静岡市内線は短い区間でも、いくつかの撮影ポイントがありました。
 写真は駿府城の堀に沿った辺りだったと思いますが、50年近く前のことで記憶も薄れてしまいました。

 この線は1962年に廃止されたため、訪問したのはこの写真を撮った日だけです。

(静岡鉄道静岡市内線 呉服町? 1961.4)
 こちらは静岡鉄道清水市内線。
 港橋〜横砂間4.6キロの区間には複線の併用軌道区間も単線の専用軌道区間もあり、東海道本線との並走もありと、面白い路線でしたが、1975年に廃止されてしまいました。

 清水市が静岡市に含まれた今なら、ここも静岡市内線になるところです。

(静岡鉄道清水市内線 新清水駅前 1961.4)
 清水市内線の車輛は60形に区分されていましたが、その形態はとりどりで自社で更新したらしい無骨なスタイルの車輛が混在していました。
 この線の電車はステップの段差が大きく、現在なら「バリヤフリーを考えてない」と文句を言われそうです。

 私はこの線は二度訪問していますが、1970年に訪ねた時は外装が白に変わっていました。

(静岡鉄道清水市内線 新清水駅前 1970.5)
 国鉄袋井駅前の新袋井と遠州森町の間12キロ余りの路線だった静岡鉄道秋葉線。通称 石松電車 です。
 元は馬車鉄道だったという古い路線ですが、静岡鉄道になったのは1943年、戦時統合の結果でした。

 写真は車庫のあった山梨での列車交換風景です。

(静岡鉄道秋葉線 山梨 1961.4)
 秋葉線の車輛はバッファーとピンリンク連結器が特徴でした。
 車庫にトレーラーもいた所を見ると、この連結器はただのお飾りでは無かったようです。

 この長閑だった路線は静岡市内線と同じ1962年に廃止されました。

(静岡鉄道秋葉線 山梨 1961.4)


 豊橋鉄道市内線(東田本線)は他社で廃止が相次ぐ1982年に路線を延長した稀有な鉄道です。
 また頻繁な運転や豊橋駅前ターミナルをJR駅に隣接させ乗換えの便宜を図るなど、路面電車の範とすべき鉄道でもあります。

 写真の小型車は元名古屋市電。
 豊橋鉄道へはこの頃から名古屋市電の転入が続いていました。

(豊橋鉄道東田本線 豊橋駅前 1961.4)
 連接車3000型と2600形が行き交う50年前の名古屋駅前。

 名古屋市電は1898年に日本で二番目に営業を始めた電車で、全盛期には100キロを超える路線がありました。

 今の名古屋市にはかなり充実した地下鉄ネットワークができましたが、それでも地下鉄の路線長は昔の市電に及ばないことを思うと、失われた路線がもったいなく思います。

(名古屋市電 名古屋駅前 1957.11)
 名古屋市電の代表的な車輛、1400形。

 と言うと、他の車両たちから「2000形もアルデヨー」と怒られそうですが、台数といいスタイルといい、私には1400型が一番名古屋市電らしく見えるのです。

(名古屋市電 名古屋駅前 1957.11)
 名鉄岡崎市内線は1962年に廃止されるまで、国鉄岡崎駅から市街の中心部を通り、名鉄三河線とを結んでいました。

 国鉄岡崎駅が町の中心から離れているのは鉄道建設反対運動があったから・・・というのは伝説のようで、勾配に弱い蒸気鉄道のルート計画上、岡崎市街から離れざるを得なかったのが本当のようです。

(名鉄岡崎市内線 岡崎駅前 1962.3)
 大正、昭和、平成と働き続けた510形が岐阜市内を行く岐阜市内線の景色。

 2005年、美濃町線、揖斐線と共に消えた岐阜市内線は1911年に美濃電気軌道として開通した古い路線でした。

 余所者の無責任な意見かもしれませんが、岐阜市内線が廃止されるまでの行政当局の態度は都市交通や都市計画について、余りにも後追い的、傍観的だったように思います。

(名鉄岐阜市内線 徹明町付近 1973.5)
 2005年に廃止された美濃町線の沿線風景はローカル色が強く、鉄道ファンがよく訪れた所です。

 ただ、鉄道とは鉄道ファンのためにあるものではなく、地域の利用者のためのもの。
 「社会の公器」など古いかも知れませんが、鉄道ファンが心得ておくべき言葉だと思います。

(名鉄美濃町線 上芥見付近 1960.25)



 富山大橋を渡る富山地方電鉄市内線。

 市内線のこの付近は単線ですが、中心部は複線で約8分ごとの運転は立派です。

 冨山市内線は過去に一部区間を廃止しました。
 しかし、今では富山ライトレールを直通させる計画があり、その成果が期待されます。

(富山地方鉄道市内線 安野屋付近 1970.7)
 今は万葉線と呼ばれる三セクとなった加越能鉄道高岡市内線。
 走っているのは富山地方鉄道にも同形車があった5000形です。

 高岡と新湊の市内交通機関として、最新鋭の低床車を導入し15分ごとに運転するなど努力はされていますが、商業地の郊外移転など悪条件が重なる中での経営は苦しそうです。

(加越能鉄道高岡市内線 高岡駅前付近 1969.5)
 金沢市内には約20キロの路線の北陸鉄道金沢市内線がありました。
 この線は城下町特有の交通事情と度々の雪害などから、1967年に意外に早く廃止されました。

 金沢市内線廃止後、一部の車輛は名鉄岐阜市内線に移り、最近まで見ることができました。

(北陸鉄道金沢市内線 兼六園下付近 1962.8)
 金沢市内線というと写真の小型車300形が緑色のボディを揺らして、金沢城の濠跡の線路を走る姿が印象に残っています。

(北陸鉄道金沢市内線 兼六園下? 1962.8)