妖怪一本たたら(巨大な大猪のようかい)

牛石ケ原には、牛が寝そべっているような形をした「牛石」が笹原の中にポツンとあります。この牛石は、いまから三百数十年前、天台宗の丹誠上人が法力によってたくさんの妖怪変化を封じ込めた石です。しかし、一本たたらだけは、一年に一度だけ「果ての日」(12月20日)に自由に出てくることを許されたのです。以来「果ての日に伯母峰を越すな、越せば一本たたらに生き血を吸われる」と里人に恐れられるようになりました。この妖怪を何とか退治しようとしたのが、天ヶ瀬村の射場兵庫頭(しゃばひょうごのかみ)という人です。兵庫頭は鉄砲の名人でしたが、一本たたらは手ごわい相手で、なかなかしとめることができませんでした。しかし、お守り袋にいれていた「神仏祈願の魔除けのたま」のカでようやく退治することができました。その後何ケ月かたったある日のこと、湯の峰温泉(本宮町)に身の丈八尺(2.4m)もある修験者(しゅげんじゃ)が湯治(とうじ)にきました。その修験者こそが、大台で兵庫頭に退治された一本たたらだったのです。一本たたらは、い笹王という背中に笹をはやした大きな猪の仮身でした。その正体を盗み見てしまった宿屋の主人は、危うく殺されそうになりましたが、射場兵庫頭の鉄砲と名犬プチを買い求めてくることを条件に生命だけは助けてもらえることになりました。しかし、宿屋の主人は鉄砲とプチを大事に守るように、事の一部始終を村人たちに話したため一本たたらにむごたらしく殺されてしまいました。
その後も一本たたらは、亡霊となって相変わらず「12月20日」に伯母峰のあたりに出没し、旅人を悩ましたということです。この一本たたらの話は、古くから大台ケ原の伝説として北山郷で語り継がれてきたものです。十津川郷や熊野でも似たような話が伝えられています。たたらは、「大太郎」(大入道)がなまったものとか、「踏鞴」(足踏み式のふいご)のことで鉱山や冶金との関連があるのではないかと言われていますが、一本たたらの由来についてはっきりしたことは何ひとつわかっていません。
大台ケ原には、厳しい自然環境が生んだ色々な伝説があります。中でもこの「一本たたら」のお話は恐ろしい妖怪のお話です。

参考資料(吉野熊野国立公園管理事務所)


直接、このページを開かれた方は、 「吉野杉箸の製造販売専門店 新屋製箸所」ホームへもお越しください。