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【ホームページ作成にあたって】 近年、大型店の進出が激しく、小売店等小さい商店にとっては、たいへんきびしい時代となっています。地域にとって、 郷土愛や伝 統を引き継いできたお店を、守って行かなくてはなりません。話題があり、ぬくもりのある人(お店)を、 ホームページで発信したいと、この事業が発足しまし た。素人手作りですので、満足なものは出来ていませんが 、これからも勉強し頑張ってゆきたいと考えております。尚、専従でホームページの管理が出来ません ので、 掲示板の設置や商連協同組合のメールアドレスは、公開いたしませんのでご承知願います。 担当者 仲川恵茂・平田敏雄
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このホームページは、Netscape Composerで作成しました。使いやすかったです。 |
デルパソコンと、ネットスケープ・コミュニケーター コンポーザー |
【編集後記】 2004.4〜11 ホームページ参加店を募集し店舗の写真撮影に行きましたが、各店の期待のほどが伺われました。 皆さん興味があったようで、自分のお店がインターネットで発 信されることを非常に喜んでもらっていました。 作成にあたっての熱意が尚わいてきました。何とか期待に沿えるよう全力を尽くさなあかんと思っています。 (Nakagawa,Hirata) |
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【取材よもやま話!!!!・・・前編・・・】 加盟店取材の中で、珍らしい商品がありました。 「アニマルキャッチー・、のらねこ、イッタチ捕り」! 巷では、機械にコインを投入し、ボタンにてクレーンを操作しぬいぐるみ等をつかみ取るUFOキャッチャーなるものが、 最近においては生きた「イセエビ」を 飼い、同様クレーンで捕獲するなど、趣向をこらせたものが街角に現れているこのごろ! そのように想像し、店頭でご主人に尋ねてみたところ、な んとなんと・・・ネズミ捕りの大判!! 見たい見たい!! ご主人に願い、見せてもらいました。 出たぁ・・・!!アニマルキャッチー!!! 確かに大きなネズミ捕りのようなもので、ワナだけがネズミ捕りの逆! ネズミ捕りはフックに餌をぶら下げ、ネズミが噛み付くと出入り口が閉まる仕掛け。 一方、のらねこイッタチ捕りは、装置奥に設置された葉書大のブリキ板の上に餌を置きおびき寄せ、 のらねこやイッタチの前足?(手)がブリキ板にさしかかっ た時、突然に閉鎖されるもの。 (本文中のイッタチはイタチのこと=方言) しかし、疑問がわいてくる。捕獲した有害アニマル駆除のことだが、のらねこが入ったなら異常な興奮をし暴れまわり、 仕掛けの中とはいえ取り扱い危険なのは 必至。 一方、イッタチ捕獲の場合は、やつらの必殺技で(イタチの最後っ屁)が待っている。私はイタチの屁を嗅いだことはないが、 嗅いだ経験のある友人から話を聞 いたことを思い出した。 鼻のひん曲がるごとく我慢ならん激しい臭いで、何日も続くほど臭いらしい! またイッタチは、昔、卵採集を目的に、庭先で家畜として 放し飼いにしてあったニワトリ狙い捕まえ、 凶暴にも尻の穴から血を吸うと聞いたことがある。イッタチについ ては、相手にしないほうが賢明かもしれない。 店のご主人も、イッタチを捕まえたとの報告は、未だ聞いていないとのこと。しかし、のらねこ捕獲はあったそうな。!! さて、いかに駆除するかは後編でのお 楽しみ!!(Toshio) |
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【取材よもやま話!!!!・・・後編・・・】 すごいぞ!! アニマルキャッチー、 イッタチ捕り 後編を書き込む前に、いたちが商店街を悪戯しまくるもので、意を決して捕獲することに決めた。 保健所に相談すると、「いたちは 保護しなければならない動物らしく、駆除をしてはならないとのこと」。 と言うことは、保護し自然に返す作業になるわけで、いたちは丁重に扱わねばならない こととなった。 店の商品は食い散らす!特に天ぷら・豚肉・ハム類が狙われる。 ゴミ箱もひっくり返すし、小動物を飼っている籠や容器も平気で開け、小鳥やハムスターなどを狙う。 インターネット等で 調べてみると、どうやら「チョウセンイタチ」のようである。体毛は黄土色、顔だけが黒く、雑食性らしい。 早速、保護籠(アニマルキャッチー)を設置。豚肉の美味しそうな脂身をぶら下げ、いたちの通り道に仕掛けることにした。 その日のうちに一匹目保護! 大きな ダンボール箱に入れ、人家のない自然のところに放つことにした。 「とにかく臭い。そして凶暴である。うかつに指を近づけようものなら、食いちぎられる 可能性もある。」 なんとか一匹を保護移動に成功。それから毎日仕掛け、親子と思われる家族四匹を保護! また、別の場所では、親子五匹をゲット!家族離散にならいように、 同じ場所へ保護移動し た。現在も、アニマルキャッチーは、商店街で活躍中である。 |
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奈良県の
田原本町に伝わる昔話によると、 イッタチ(イタチ)が道を横切るのを見かけることがあります。 右から左へ横切るとお金が懐(ふところ)に入ると言い、 その反対だと損をしたり悪いことがあるといって、 気をつけよというそうです。 また、さらに「イッタチのサイゴンベエ(最後屁)」といって、 追いつめられて絶対絶命(ぜったいぜつめい)になると 黄色い屁(へ)をこくといいます。 この屁はすごい悪臭(あくしゅう)で、 人がかけられると十二年間も臭いは抜けないそうです。 |
茨城県で
は、イタチと目が合うと眉毛の本数を数えられて、 全部数えられると死んでしまう 。対策としては、 イタチと見つめ合ったら眉毛を唾で濡らして 、数えられなくするのだそうです。との迷信があり 九州宮崎県高千穂町他たくさんのところでは、 「イタチが道を横切ると縁起が悪い」 と言い伝えがあるようです。 |
【昭
和36年生まれ・母に引かれた手と舌の記憶】 私は現在44歳! 幼少期、母に手を引かれ、日々のお買い物のお供をしたことを思い出している。約37〜8年前のことだろうと思います。大和高田市中心部の「池ノ丁(いけの ちょう)商店街」・池の側!アーケードの南側から入る。惣菜屋・豆腐屋・クスリ屋からはじまり、さまざまな業種の商店が集まり、食料品はほとんどそろう場 所であった。塩乾物屋さんでは、ハエを追っ払うものだと思うのですが、下向きにぐるぐる回るプロペラの先に20CMほどのリボンをつけた器具があって、そ の下には、茶色の極太線香が焚かれ、もっぱらレジスターは天井からバネにつるされたカンカン(カンカンとは洗面器のことである)であった。中ほどには、オ レンジ色や緑色に着色された飲料水自動販売機!とんがり帽子のような紙コップを飲料水抽出棚に置き、コインを入れ味の選択!おそらく甘味料はサッカリンで あったのではないだろうか?オレンジとメロンだったのだろうが、味の違いは記憶にない!最近の飲料水とはちがう味を、44歳の舌は覚えているのである。混 雑する道幅の狭い商店街を抜けると、突き当りには東西に広がる「天神橋商店街」。ここは生活用品が中心!中ほどには馬齢池と言う大きな池があり、入り口付 近には、傘の柄や靴底・川カニのボイル・回転焼き・関東煮(おでん)・薬師の方が出店する駄菓子屋やパチンコ・ゴム鉄砲の針金細工等々、子供の目が爛々と 輝く地域であった!おまけに猿もいた!天神橋筋を西に抜けると老舗昆布屋を経た出口のパン屋では、銀紙に包まれたチョコレートでコーティングされたコッペパンを買ってもらうのが楽しみ!東では、美味しいコロッケ(当HP内で紹介・仲川精 肉店)!当時珍しい生活用品量販店のスーパーがあり、2階奥にはうどんそば屋・お好み焼きとソフトクリーム。向かい側には寿司屋。なかでも、寿司屋には何 日か一度にカレーが販売される。現在の豆腐が入っているパッキングと同じようないれものにカレーが入っている。買ってもらったカレーを、家に帰る前に食べ るのだ!4つの隅の1箇所に穴を開け吸い付くのが誠に美味!温めてあるわけでもなし!ごはんにかけてあるわけでもなし!しかし、おいしかったのを舌が覚え ているから仕方がない!!なんでかわからないが、知らん間に完食するのであった!きっと、帰ってからはのどが渇いたのにちがいない!あの時代に1日でいい からもどってみたいものである。 いつかこのような思い出を書き記したかったのですが、毎日におわれ忘れていました。 |
【思い出の駄菓子】 前文にて、サッカリンナトリウムのお話をしました が、これについて少しだけ語ってみましょう!当時はチクロやサッカリン!チクロは食べた記憶ありません。サッカリンは少し後味が苦いような、貝汁の後味に 似てるまではないが、一種独特の甘味料であった!安物の飴、袋詰め飲料水やゼリー、チューブ詰めサッカリン等幅広く、最近では外国で「ダイエットシュ ガー」として活躍していると聞きます。今食べたいか?と言うと???NO!!です。最近旅行に行った添乗員の女性にこの話をしてみたところ、知らないとの こと!どないしても食べてみたいらしいので、中途半端が嫌いな私が買った暁には、彼女の口にサッカリンを投入!!!どんな顔をすのだろうと考えている このごろです。 話はかわり、約37〜8年前の駄菓子はブリキチューブ入りチョコレート・ポンせんべい・当選的(まと) 付芋飴・糸引き飴・ニッキ紙・ミルクせんべい・粉の炭酸飲料水・当選付ヨーグルト・型抜き・くろんぼ・ラムネ・王将ガム。アイスクリームにおいては、ホー ムランバーやチチ!当時は当選付が多かった。チチはヨーヨーフーセンのようなゴム風船のなかにバニラ味?のようなアイスクリームで、残り少なくなり溶けて きたときにはゴム風船の反動が待っていて、ブチュブチュと一気に口にほうり込まれる感触がたまらない!その他、はったい粉を舐めたり、たこ焼きを買って食 べたりした。当時チョコレートは高級で、「知らんおっさんがチョコレートあげるて言われても、ついていったらあかんねんで」と、学校でも教わったぐらいで ある。チロルチョコレートなんて相当新しい食べ物です。過日、インターネットでこのような記述を詳しく書いておられる方があり、懐かしい思いをしました が、文面から察すると年齢は先輩のような感じがしてなりません。昔話からは、そんなことまで感じるかと我が年の積み重ねを感じます。機会があれば、上記駄 菓子単体の記も書きたいです。 |
『なつかしの駄菓子屋オープン』 駄菓子について前記に思い出話をしましたが、とうとう大和高田市 商工会議所青年部メンバーによる「高田の星」がオープンしました。場所は大和高田市の片塩本通り商店街。メンバーの懸命なる製作で、昭和中期の再現となっ ています。中心メンバーは昭和30年代中ほどの生まれ。 彼らが少年時代のころの看板や物品を集め展示、なつかしいお菓子等を販売しています。 http://www.yamatotakada-cci.or.jp/yeg/takada_no_hoshi/ |