漂泊者の紡ぐ望郷歌(T)
中井龍彦
唱歌「故郷」は誰の心にもしみる名曲である。「うさぎ追ひしかの山」で始まり、「水は清きふるさと」で終わるフレーズのなかに、百人百様の郷愁を浮かびあがらせる。この名曲にケチをつけるわけではないが、昨年の夏、山寺の本堂で、ある歌手により「故郷」が唄われた。観客は30人ばかり。歌手は「さあ、みんな一緒に歌いましょう。」と声をかける。ところが、あるフレーズになったところで、ほとんどの老人が口ごもってしまったように私には見えた。それは次の箇所である。「いかにいます父母」。また「志しを果たしていつの日に帰らん」。
よく考えてみると、これは私や80歳代前後の老人たちが口にする台詞ではない。なぜなら私たち土着民に帰るべき故郷などなく、志を果たす理由など見つからないからである。それでもこの歌に郷愁を覚えるのは、廃れゆく故郷、あるいは、消えゆこうとする近未来の故郷が、切々と瞼に浮かぶからでもある。
期を同じくして、原発で故郷を追われた人々の集会で、声を震わせながらこの「故郷」を歌っている人々を見た。ある日ふいに、帰るべき故郷を無くしてしまった人々。父母、友人、かけがえのない「日常」と「生きる場」を無くしてしまった人々。 私はそれら2つの「故郷」を聴いてから、自分にとっての故郷、人間にとっての故郷とは何かという問いを、何年かけてでも持ち続け、できるなら解き明かしてゆこうと思った。
自分が生まれ育った故郷を歌った歌は多い。歌謡曲や演歌、また、詩や短歌などの多くは地域性、もしくは風土に根付いている。一方で、故郷を持たない人たちもいる。都市で生まれ、お盆や正月に帰省先を持たない人、あるいはまた、何らかの理由で故郷を喪失した人も居ることだろう。
哲学者の内山節氏は「里を持たないのなら、里を作ればよい。」という。内山氏も東京生まれで故郷をもたない都会人であった。
「(里)は自然に生まれるものである。魂が帰ろうとする時間の世界を見つけだすとき、そこに里がある。」
じっさいに内山氏は群馬県上野村の小さな集落で古家を買い、畑を耕し、裏山の間伐をしたりしながら、村と村人たちとの間に土着的故郷を築いた。内山氏の哲学を醸成したのも故郷、上野村であり、「魂が帰りたがる場所」と位置づけている。
また、次のようにも言う。「定年が近づいてきた頃に、ほとんどの人はこのまま都市で齢をとっていく道を決意する。そのとき仏壇を買う人が多いのだという。都市で暮らしていても、先祖との結びつきをつけるのである。だが、それでもなお心の奥に(帰ろうかな)という気持ちは残っている。そして、ついにその気持ちを断ち切るときがくる。そのとき多くの人は墓を買う。そうすることによって、ここが自分の眠る場所だと決意する。」
この文章は故郷をもたない都会人の悲哀を言い当てている。
唱歌、故郷は大正3年に高野辰之によって創られた。98年も前のこの歌が、今でも唄い続けられるのは、故郷を無くした人、あるいは消えゆこうとする故郷に、しがみつき暮らす人々、とりわけ、戦争を生き抜いてきた高齢者たちの、どこにもゆけない(望郷の歌)なのである。
内山氏が言うようにそれぞれの人の「魂の帰りたがる場所」、それが、日本人の心にうかぶ普遍的なー故郷ーなのであり、その場所は決して、「墓」ではない。