漂泊者の紡ぐ望郷歌(U)

中井龍彦

東京マラソンが行われた2月24日、東北地方は数メートルもの記録的な豪雪下にあった。また、3月のはじめ、東京ではオリンピックの招致セレモニーに浮かれていた10日間、北海道は風雪地獄のような寒波に見舞われていた。いずれも、死者が出ている。同じ日本でもなんという違いなのだろうと思いながら、テレビを観ていた。

北国の空は、春だというのに例年になく暗い。震災、放射能汚染、風評被害、TPP、気象災害、どこよりも先んじて進む過疎高齢化。かつて、寺山修司は北国の暗さを若き日の短歌に詠んだ。

吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず

村境の春や錆びたる古車輪ふるさとまとめて花いちもんめ

暗闇のわれに家系を問ふなかれ漬物樽のなかの亡霊

60年代の寺山のこれらの短歌は、日本の近代化、都市化政策と深い関わりがある。日本の近代化史をさかのぼれば、明治の初年にまで行き着くであろうが、近くには戦後の60年代から始まる団塊世代の都市への流入が大きな始動要因になった。寺山の歌集「田園に死す」とともに歌謡曲では「ああ上野駅」や「南国土佐を後にして」などの望郷歌が近代化路線の背景で歌われていた。「どこかに故郷の香りを乗せて、入る列車のなつかしさ」で始まる「ああ上野駅」は、地方から集団就職で出てきた「金の卵」たちの涙と郷愁を誘ったであろう。1965年になって、東京の人口は1000万人を超え、翌66年、はじめて「過疎」という言葉が登場する。都市化の裏側で「故郷」では、すでに過疎化の忍び音が聞こえていたのである。

  さらに90年代に入ってからも、都市への流入は留まることがなく、都市の繁栄とともに、疲弊する田舎という図式が、いびつな日本の人口地図として定着した。地方の財と蓄積によって育てられた人材は都市に吸収され、その活力と彼らが落とす税金によって都市が組み立てられたと言ってもいい。しかし、その一方で置き去りにしたふるさとへの思いは測りがたい郷愁になり、または後ろめたさとなって「ふるさとの唄」が歌われ続けた。そこには、見方を変えれば「故郷喪失者」もしくは「漂泊者」的意識が垣間見える。

  前述した寺山の短歌はまさしくそのような歌なのである。彼にとっての北の故郷、青森は暗い雪空の下で「望郷」を拒み、花ならば「いちもんめ」ほどのの儚さしかなく、ましてその地には亡霊さえ棲むという。憧憬と郷愁がないまぜになった故郷への想いと、都市化といううねりの中で故郷を離れ、あるいは追われ出た人々にとっての望郷歌は、必ずしも懐かしさばかりではなかった。

 繰り返すが、望郷歌の背景にあるのは、隠れた漂泊流離の心情である。室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」という有名な詩を持ち出すまでもなく、「北国の春」や五木ひろしの「ふるさと」などの歌謡曲にも漂泊流離の心情が汲み取れる。そこには寺山や犀星の詩のように故郷への呪詛はないが、ただ言えるのは、都市化、近代化の渦中にさらされた者のせつなさ、心細さが漂泊者としての望郷歌を創りあげた。

 そして現在、「祭りも近いと汽笛は呼ぶが」で始まる五木ひろしの名曲、その汽笛の先の「ふるさと」から、日本が壊れ始めようとしている。


2013年5月29日