風土のない東京の街
                                          中井龍彦

  久しぶりに東京に行った。われわれ田舎者が感じるところは皆同じらしく、友人らは口を揃え、とてもここでは暮らせないという。私もうなずいた。なぜ暮らせないかというと、まず景色が違うからだという。さらに私もうなずく。山や河や草木、鳥や鹿の声、水の流れる音と共に暮らしている田舎者には、東京の街そのものが異質な風景として映る。江戸時代の町並みを思わせる皇居の石組みもあるし、堀端には見事な松並木、桜並木もある。それなのに過去の時間を感じることができない。圧倒的な歴史の封殺のもとにつくられた都市だからであろう。

  スカイツリーに昇る。あいにく東京は雨。何も見えない雲の下で日本の人口の1割、1300万の人間が暮らしている。人々の暮らしはおもにサービス労働とその消費である。私たちの眼には、そのありさまはずいぶん豪奢でバラエティーゆたかなものに見える。しかし、よく観察すると観覧車のような巨大な輪ぐるまが巡っているだけであることに気づかされる。それが大都市、東京の「風景」と気づくのである。

  美しい「景色」はそれなりの歴史と時間によりもたらされたものだ。抽象的な言葉かもしれないが、それを「風土」と呼ぶ。たとえば日本の風土、東北の風土、北陸の風土、沖縄の風土というふうに、大きなエリアでくくられた気候、風土があり、小さくは日陰の村と日当たりの良い村の風土もある。東京の景色にはその「風土性」がない。あるのは「経済」という貨幣論理の日々のなりゆきばかりである。時間の積み重ねがない限り、文化と呼べるような意匠もない。たとえあったとしても、それはどこかから持ってきたショウケースのサンプルとして置かれている。東京全体が地方文化のショウケースなのだ。したがって文化を生み出そうとするインセンティブも働かない。意外に思われるかもしれないが、東京の出生率がどこよりも低いのは、「風土性の欠如」に起因するからだと思う。子を育て、世代をつなごうというめんどうな創造力は、この都市の機能には不向きであり不都合である。

  哲学者の内山節氏は 東京と群馬県上野村を行き来する立場から、次のようにいう。「景色もまた上野村と東京とでは、違うものとして存在している。東京では私にとって景色は、漠然とした他者である。私の外に存在しているものにすぎない。ところが上野村にいるときは、景色は他者ではなく、むしろ私の存在の一部としてくいこんでいる。略。市場経済に主導されたグローバル化の進展は、標準化していく経済の時間を世界の中心にさせ、経済活動を中心にした社会をつくってゆく。その動きがすべての地域をのみこもうとする。それが、今日の資本主義の姿である。」

  資本主義の姿はそのまま、大都市、東京の「風景」でもある。「地方創生」の課題として、政府は都市から地方への人口移動に焦点を当てているが、都市機能、政治機能、情報機能の分散がなければ、東京が地方をのみこもうとする今までの構図はかわりえないし、地域格差はますます拡がるばかりだ。そしてそれが、今日の経済活動を中心にした「資本主義の構造」によるものであることに、多くの人々は気づきはじめている。



平成27年4月22日
平成28年12月25日更新