中井龍彦
人の死に幾度も出会うたびに、死に対する感情は希薄になってゆくようだ。それはそれで仕方がないことだと思う。
私が8歳の時に祖父が死んだ。それから祖母、父、同窓の友、多くの人が私の日常から去っていった。また、私の集落からも姿絵が切り取られるようにポツリポツリと隣人たちの姿が消えていった。そのたびに隣近所の人たちは、協力して集落葬を執り行うのである。
炊き出しをする女性の賄い方、葬儀を取り仕切る区長、葬儀具を作る野道具(のどぐ)、死者の棺に火を入れる式場係は俗に(おんぼ)「正確には隠亡と書く」と呼ばれている。
様々な役割が分担され、私は数年間祭壇係りを務めた。祭壇係りというのは、幕を張ったり、彫刻のほどこされた桧の部材を組み立てて並べ、その中央に死者の遺影を飾るのである。今ではどの地区でも農協がやっている。
祭壇係りに当たって最初に当惑したのは、読経が済んで、家族と死者と最後のお別れをする場面である。係りのわれわれが棺を持ち出してきて、蓋を開ける。もの言わぬ死者を見て、おいおいと泣く親族、われわれは花をちぎり親族に手渡す。棺の中は花で埋め尽くされ、やがてわれわれは泣いている親族を押しのけるようにして、蓋を閉めねばならない。「もう終りですよ」と言わんばかりに。棺は親族の男たちにささげられて、お寺から運び出されて行く。
この場合、棺の中の死者は他人の私たちからすれば「三人称の死体」である、と養老孟司氏は書いている。私にとって、その死者に対する感情はほとんどない。手際よく祭壇を組み、棺のふたを閉め、運び出された後はそそくさと片づけにかかるのだ。
ところが二人称の死体を前にした場合、その棺に蓋をしたり、火を入れたりすることは、たいそうやるせなく悲しいことである。なぜなら、二人称の死体とは親や子であったり、妻や友人であったりするのだから。
養老氏は解剖学者の立場から、次のように言う。「死体は誰が見たって同じ一つの存在であるはずです。ところが私からするとそうではありません。死体は見る人の立場によって違って見えて来るものであって、少なくとも私には三通りに見えるのです。」
祭壇係をしている私たちが見ているのは三人称の死体なのだが、泣いている親族や関係者らは棺の中の二人称の死体と対面していることになる。二人称の死体とはその死者になり代わり(悼み分け)の伴う死体ということでもある。
話がややこしくなったが、では一人称の死体とは・・・いうまでもなくそれは自分の死体である。これだけは、絶対に誰にも見ることができないと養老氏は言う。
しかし、果たしてそうだろうか。というのは「見えない死体」という自分にとっての「一人称の死体」そのものが存在するか否かである。見ることができないなら、自分にとってそれは存在しないに等しい。解剖学者である養老氏でも見えない自分の死体を解剖することなどできないように「一人称の死体」というのは、死体であることを自認することのできない死体であり、いわばイメージにすぎない。
「生き続けている」ことによって「死」とはあくまでもイメージにすぎないものかもしれないが、ただそれは、 必然と確約をともなったイメージでもある。