架空苑(其の玖) 中井龍彦
鳥の羽根むしり食ひたるわが手にてはだら曇りの空に血を撒く
樹に花の冷ゆるあかとき声ひくく語らふ者と手を取り合はむ
父と子と寝らば静かなりし午後むつび睦びて昇る揚羽蝶よ
汗だくの顔を谷間の水にうづむ国を追はれし盗人の如
冬木立雪の明りに消ぬる日よ憑ききたる夢はいまだ叶はず
いくつもの私語を埋めし夜の街にまぼろしの雪降りそむるなり
静かなりし日の夕暮れをまた明日の空に急かれて翔けりゆく鳥
移りゆく日輪しばしかげろふの如くに消ぬる冬のゆふぐれ
今日もまた薄けぶりたつ嶺のあたりひそかに棲まふ井光をおもふ
里山に放たれし火は燃えさかりやがて村焼く火となれよかし
娘の手より離れし銀色の風船が昼のもなかの星光となる
君いかに村を捨つるや 畑なかの春陽に続く道は遠くて
蒼空の果てに変容ありしとぞ思ふ五月をまた明け暮れぬ
雨の音聴かば眠らず地の蟲の喜に交ぢはりて華やげる死語
夕ぐれてみればわが身を下りゆく熱あり明日もよき日なるらむ
無為にして伏してわが身の重たさは野辺に用無き岩の思ひか
気狂ひの女を遣りしのち村は宇宙の果てのやうなしづけさ
村に町いづれに棲めどいっぴきの鼠はただにいっぴきの鼠
在りし日の受苦と思ひし真夏陽に麦の帽子をふかぶかと下ぐ
村墓地に若き男を送りゆく葬列は夏陽に照りてあゆまず