これまでの国とこれからの国

                             中井龍彦 

ふたりの子供が野道をかけてゆきました。

彼らが、草原のまんなかをよこ切るとき、草色の昆虫が、ぴょこぴょこと道の両わきに飛びのきました。そのたびに、虫かごを手にした方の子供は、手を受皿のようにまるくして、それらの昆虫に踊りかかるのでした。気がつくと、網をもった方の子供は、どんどんむこうに遠ざかってゆきます。
「おういまってぇ おういまってぇ。」
と呼びながら、あとの子供は、さきをゆく子供を追いかけました。
「なにしてるんだよ、バッタなんかつかまえたって仕方ないのに。」
子供らは、また走り出しました。

水晶色の窓のむこうは、子供達がとんだりはねたりする世界です。日向にとび出したひき蛙を蹴飛ばして、道端に寝そべった青大将を踏んづけて、ふたりの子供は、風を追うように走ってゆきます。すると、それはもうふたりどころではありません。何人も、何十人もの子供の群れが、ふたりの子供のあとを追ってゆきます。
「ねえ、どうして、あのこ達ぼくらのあとをついて来るの、あのこ達、知ってるの。」
「いいや知らない、でも、みんなぼくらと同じように水色の虫網もっているね。」
「うん、ぼくらのより、よほど新しいよ。」

あとからゆく子供の先頭の十人ほどが、ふたりの子供に近づいて来て呼びかけました。彼らの虫かごには、まだ一匹の虫さえ入っていません。
「やあ、君たち、たくさんとったね。ぼくたちはこれから金色のトンボをつかまえにゆくところさ。」

十人ほどのグループの中には女の子もまじっています。その女の子の一人が、前に歩みでてきて(金色のトンボは、ほら、)と、椎の木の間にそびえてる山をさして言いました。
「あの山のふもとにまっしろな滝があるのですって、その滝から落ちた水しぶきが途中で金色のちいさなトンボに変わるのですって。」
「ああ、その滝ならぼくたちも行ったことがある。」と、ふたりの子供は言いました。
「で、金色のトンボはいたの?」
「うん、いるにはいたけど、この網じゃ網目を通り抜けて逃げていってしまった。でも、君たちのその網ならきっとうまくいくと思うよ。」
女の子もほかの子も、それを聞いて眼をぱちくりとうごかしました。
「ところで、あなたたちは何を捕りに?」
「うん、ぼくたちは・・・・・」と虫かごをもった方の子供が答えようとすると、網をもった子供は口に手を当てて、
「しいっ、それはないしょだよ。」
「あっ、そうそうないしょだったね。」
女の子は笑いながら、
「なんだ、ないしょをとりにゆくの。」

そのようなことを言いあっているうち、後からのグループも五人、十人と近づいて来ました。そして、その場は、網や虫かごをもった子供たちで騒然となり、金色のトンボのうわさや、虹色のアゲハチョウの話題でもちきりになりました。太陽は、淡く白い陽光をふらし、そのなごやかな光景を、なめらかな水晶玉の光に閉じこめました。

子供たちは、雑木林の中を歩きながら、道が分かれているところまで来ると、じゃあね、じゃあね、と言い合っておもいおもいのグループに別かれてゆきました。最初のふたりの子供も、もとどうり、ふたりっきりになってしまいました。そして、彼らはまた、息せききって走り出しました。道は下り坂、下には、広々とした桑畑やら、茶畑、麦畑が広がっています。
「ほら、あそこの丘のてっぺんまでだ。」
網をもった子供は、その網の先で、平地の向こうの赤土色の丘をさし示しました。そこは彼らの家から、いつも落日のさしかかって見えるところです。
「もっといそごう。」

子供らは、さらに走り出しました。前方から吹きあげて来る風が、子供たちの体を、帆のようにしならせるので、どんなに急な坂でも、飛ぶように走りきることができました。
坂道を降りて、ようやく平地にさしかかったとき、網をもった前の子供が、あいている方の手で、すばやく桑の実をもぎ取りました。うしろの子もそれにならって、よく熟れたむらさき色のを、ひとつぶもぎとりました。

道は桑畑をぬけて、麦畑に入り、さらに茶畑の中をうねうねと曲がりくねって、赤土色の丘に続いています。
「ねえ、もう走るのやめようよ。ぼく、、、さっつきから考えていたんだけど、あの女の子たちのグループについていったほうがおもしろかったんじなかったかなって。」
茶畑の中に入って、うしろの子供がいきなり立ち止まりました。風のやんだ茶園のなかを、茶の芳しいにおいが、プンと鼻についてきます。
「でも・・・ぼくたち、あの滝になら行ったこともあるし・・・・それに、あの子たちも、必ずぼくたちのあとを追ってくるにちがいない。」
「それもそうだね。」
「うん、それじゃ、ここからは歩いてゆこう。日もだいぶ傾いてきたけど、ここからならもう間に合う。」
茶畑をぬけ、丘のふもとから、丘の上に通じる坂道を、ふたりの子供はゆっくりと歩き始めました。
彼らが登ってゆく丘は、木もなく、草もなく、ただ赤土だらけの変な丘です。

夕日に伸ばされた、子供たちのひょろひょろも影が、のびるだけのびきったかと思うと、
プイッとどこかに離れていってしまいました・・・・・・・・・・・・・・。

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さて、おはなしはこれまでです。
しかし、ねんのため、丘の上に何があるかを、もうしばらく書いてみましょう。

赤土色の丘の上に、子供たちが持っていた水色の網があります。それは、虫や魚を捕るための道具ではなく、まるで何かの目じるしのように、地面深くブスリと突き立てられています。柄は竹、網目は水色の麻糸で編まれ、枠は太く丈夫な針金で作られています。

しかし、それはおそらく、何年も、何十年も以前のことのようです。
いまは、竹の柄も、針金の枠もまっ黒に腐食して、じっと目を置かなければ虫網とすら分からぬくらいです。むろん、網目などはやぶれて抜け落ち、下のほうで黒い固まりになってぶらついています。
何もかも・・・・遠い昔のこと・・・・・・・・・・・・・・・・

ただしかし、丘の裏側に、たった今つけられたばかりの足跡があります。
足跡はひとりっきりで、さびた虫網の枠から向こうをのぞいて、そしてまた、もとに来た丘の裏側を,とぼとぼと引き返して行った、ということが分かります。
そして、その足跡のすぐ横に、このような立て札が立っています。

ふたりの子供がやってきた方向・・・つまり丘のこちら側をさして  これまでの国。

誰かの足跡が去っていった方向・・・つまり丘の向こう側をさして  これからの国。

                                       おわり

                      1976(昭和51)年9月1日