日本のコウヤマキは一科一属一種で、世界のどこにも仲間のいない、極めて特異な木である。分布も関西と木曾の一部に限られ、かなり昔から――例えば縄文の昔から――尾根筋のやせ地に天然林として群生していたものと思われる。植林されるようになったのは戦後で、高野地方や吉野地方のごく限られた一部地域が最初であったのではなかろうか。
百年生前後のコウヤマキの純林に足を踏み入れることはあるが、どうも植えられた形跡が無い。林内を眺めると、いたる所に実生苗が芽を出していて、何かの条件で裸地になったとしても、これらの稚苗が成長して同じようなマキ林を形成してゆくだろうと思ったものだ。
コウヤマキで有名な話は、スサノオが「棺材として使え」と語ったことだ。近畿地方の前方後円墳から出土する木棺材は、例外なくコウヤマキが使われているという。また、歴代百済王の古墳の棺材も二十一例中一例を除いて、日本から渡ったコウヤマキであるということを、小原二郎氏が紹介している。しかも、幅八十a、厚さ十aの大径材であるということから、千年以上の樹齢を想定してもおかしくない。
ところがつい最近、韓国南部の古墳からクスノキで造られた木棺が出土した。同じころ、奈良県広陵町の巣山古墳では、スギで造られた船形葬具とともに、これもまたクスノキでできた木棺の蓋が発見された。コウヤマキ同様クスノキも朝鮮半島では自生しない。日本に無かった鉄の対価として木材が海を渡ったのではないかと専門家は推察しているが、それにもまして、一部とは言うものの棺材としてクスノキが使われていたということは《ヒノキは神殿に、スギ、クスノキは船に、コウヤマキは棺に》と言ったスサノオの適材適所説を翻すものである。
現在でもコウヤマキは風呂桶材として人気があるが、《棺》という特殊な用材として利用されたのも同じ理由からであり、水に腐りにくいという面でコウヤマキに勝るものは無い。世界中の木を集め土に埋めたとしたら、最後まで残るのは、おそらくコウヤマキであろう。
コウヤマキはまた、その枝を仏に供える生花としても定評がある。お盆や彼岸の墓参りの時期、私の村では、木に登って枝を採取する(花採り)と呼ばれる仕事に業者は追われる。採られた(マキ花)は近畿一円に流通して、最近亡くなった人から何百年も昔に亡くなった祖先たちの墓前に並べられるのだ。
棺といい仏花と言い、コウヤマキはどうやら死者とゆかりの深い樹木であるらしい。クスノキは飛鳥時代に仏像を彫られた木であり、ヒノキは法隆寺や伊勢神宮など広く社寺建築に利用され、スギは和室の内装材、床柱など、いずれも華々しい経歴を持つ。サクラ、モミジは花や紅葉が和歌にめでられ、モミはクリスマスツリーとして一年に一回のモニュメントの役割をはたす。
それに比べ、コウヤマキは地味である。棺として死者と共に土に埋められることを、この木はあらかた知っていたのではなかろうか。だから唯一、他のどの木よりも腐りにくくなってやろうと・・・・・・・・。
氷河期を生きのこりたる日の本の槇の香りは言葉の柩
( 前 登志夫歌集『鳥総立』より)