蜘蛛の資産     中井龍彦




 川辺の道に軽トラックを止めて外に出ようとしたら、何千という虫が舞っている。気持ち悪くなって、慌ててトラックのドアを閉めた。虫は米粒より少し小さいほどの虫で、中に蜂やハエなど、大きな虫も混じっている。たぶんブユとかブトと呼ばれている虫であろう。

ふとトラックの後ろを見ると、アングルの二本の支柱の間に、小さな蜘蛛が手のひらを二つ広げたほどの巣を張り巡らせている。普段は二日も三日も餌にありつけない蜘蛛が、この時ばかりは、四方八方に忙しく動き始めた。小さな虫は巣のあちらこちらに掛かり、蜘蛛の手というか足が回らないほど、巣は賑やかに揺れている。時々、大きなハエの類(たぐい)も飛んで来て、巣を巣とも思わずに通過してゆく。小さな獲物が掛かる度に、蜘蛛は慌ただしくそこにおもむき、虫を糸で縛り付け、動けないようにしてから巣の中央に引き返す。  

 そのような行為を、蜘蛛は幾度となく繰り返した。自分の近くに獲物が掛かかれば、蜘蛛は機敏に反応するが、中央から遠くに掛かれば、糸を前足で引っ張るような仕草を見せ、獲物の状況を確かめているようだ。東京を中心にした日本の構図にも似ている。巣の真ん中に居なければ、詳しい情報は分からないし、獲物の大きさや、掛かり具合も判別できないものと見える。要するに、巣の中心は、この小さな蜘蛛にとって、世界の中心なのである。

 十匹以上も取り押さえたところで、蜘蛛は獲物を中央に運び、食べ始めた。数匹ほど小さなブトを食べ、もう食べられないだろうと思っていたら、自分の体ほどもある小バエを中央に運び、二、三度くるくる回してから、ハエの目の下あたりにガブッとかぶりついた。なんとも旺盛な食欲である。体型も最初に比べ、倍近くに膨れている。巣の中心は蜘蛛の出した残滓がぶら下がり、中央より上には三個の茶色の袋が連なっている。袋の中には、おそらくこの蜘蛛の子孫が眠っているのであろう。 

 しばらくして巣は穴だらけになり、獲物はあまり掛からなくなった。しかし、巣にはまだ十匹以上の獲物が確保されている。蜘蛛は悠然と、巣の中央で静止した。満腹になったことと、しばらく先までの食い扶持(ぶち)を確保したからである。

この蜘蛛はこの先、巣に残された余剰物で、さらに体を大きくしてゆくだろう。巣を拡大し、もっと精緻な仕組みに変え、さらに大型の獲物を求めるだろう。軽トラックなどではなく、もっと条件のよいところに居を構え、その巣の中心に神のように君臨するに違いない。そのときは、そう思っていた。

蜘蛛の世界と人間の世界、餌獲り生活と農耕牧畜生活の違いはあるが、蜘蛛が余剰物を横目に見て満足している姿は、人間が経済活動の中で蓄財の増減に一喜一憂している姿と余り変わりがない。そして、その余剰物としての資産を運用し、さらに精緻で複雑なシステム、規模の拡充を計ろうとするグローバル化社会は、いくつもの巨大な蜘蛛の巣からなる弱肉強食の世界でもある。小さな蜘蛛が、大きな虫を食べて大きな蜘蛛になり、大きな蜘蛛が大きな蜘蛛を食べて、さらに大きな蜘蛛になる。

軽トラックの 蜘蛛は小さな虫数匹と一匹のハエで腹を満たし、明日あさっての余剰物を計算に入れ、それっきり動かなくなった。しかし、人間の経済活動は違う。人間はエサという形ではなく貨幣という交換可能な価値によって、悪く言えばゲームを始めたのである。石油を始めとする燃料資源や、最近は食料まで投機,ファンドと呼ばれるマネーゲームによって吊り上げ、仮想経済社会をさらに大きなものに作り変えてゆく。資産も持たず仮想経済に参入できないわれわれ庶民は、ガソリンや食料品の値段が上がってゆく日常に慌てふためき、一方で巣の中央に君臨する一部の富豪は、人類史上蓄えたことがないような莫大な資産を保有し、巨大な富の巣をさらに巨大なものに作り変えてゆこうとする。政治、経済の基本的な哲学は、富を平等に配分することである。にもかかわらず、恐ろしいほどの富の偏在。もはや、格差というような生易しいものではない。

二日後、軽トラックの中からふたたび蜘蛛の巣を覗き込んだ。予想通り巣に散らばっていた餌はきれいになくなり、巣も元通りに修復されている。蜘蛛は二日の間、飢えることなく虫を食べ続けたのであろう。

だか、蜘蛛の体は痩せていた。どこに居るのかすら分からないくらい、小さくしぼんでいたのである。よく見ると、やはり巣の中央で、一列に並んだ虫の残滓に擬態化するように、四っ目の袋にまだ卵を生み続けている。蜘蛛は蓄えたエサという資産をもとに、巣を拡張して、大きな虫を食べ、ますます膨れ続けるという私の予測は間違っていた。

無限に欲望を持ち続けることが出来るのは、どうやら人間だけらしく、蜘蛛に取って、虫を食べて生きることは、子孫を残すことに他ならなかった。卵を生み終えた蜘蛛に、老後とよぶような余生はない。まして巣の規模を拡張して、もっと大きな獲物を穫ってやろうというような野望もない。唯一、野望があるとすれば一つでも多く卵を生むこと、そのためだけに巣を張り、与えられた一生を終えるのである。

本能というもののなんと清らかなこと、、、、、小さな蜘蛛の生態から、私はそのようなことを学んだ気がした。

                                      
                                           
 2008年7月11日