黒き馬みゆ

中井龍彦


墓石より念仏もちて帰ると言ふまだうら若き女も仏

 

空寺の仏の前に華を措く男いつしか仏に交じる

 

裏山の藪より覗く鹿を指しゆび鉄砲の引き金ひけり

 

幾たびも生まれ代はりてある世には海月(くらげ)のごときものにもなれり

 

水無月の朝の静けさ山びこの帰らぬ故郷(さと)にわれら住みける

 

幾そたび呼べど戻らぬ山びこを探し訪ねて今日も山ゆく

 

あやまちも正しさもなく吹く風を見つめてゐたり青葉眼に沁む

 

雨を乞ふ日々永ければ雲の間に黒き馬みゆ、雷をわが身に

 

窓辺には弱き光の射すなかにやがては言葉となりしボロ釘

 

ひよどりのつがひ隠まふ樹の下に幼なき日より金次郎立つ

 

青竹の緑(かし)げる裏山においでおいでと八月に入る

 

川の音かそけく聴こへ来る辺り水を挟みて集ふ家あり

 

水退きてのち川底に目口なきさびしき魚ら登りゆく見ゆ

 

ひと昔前に風吹き山の木々たふれしことの悲しみを思ふ(平成十年九月)

 

盆明けの静けさのなか仏らも光の果てを帰りけるかも