京都議定書 -折り紙の船ー
中井龍彦(2005年2月9日 BBSに記載)
地球温暖化問題では、じつに多くの分野から意見が述べられています。
環境学、気象学、自然科学、生物学、林学は勿論のこと、経済学や考古学{環境考古学}、社会学、歴史学、理工学、農学など,あらゆる分野から、主にCO2の削減というテーマをめぐって語られています。それだけこの問題が大規模で、全地球的なファクターをはらんでいるからでしょう。
環境学や自然科学では、CO2を始めとする温室効果ガスの増加による気温の上昇、それにともなう海水面の上昇。生物学では生態系の変化や移動。気象学では世界各地に頻発する異常気象、砂漠化。経済学や社会学ではエネルギー源の転換とそれにともなう人間活動、およびライフスタイルや社会システムの大変革が問われています。歴史学や環境考古学では地球温暖化の例を過去に求め、その時代の気温と歴史の変化、植生や生態系の移り変わりによってもたらされる来たるべき近未来………。また代替エネルギーの開発と利用は理工学で、主に風力、太陽光、地熱による発電。または燃料電池や核融合炉、バイオマスなど、まだまだ未知の分野での新技術の開発を取りあげています。
ばらばらになっていた脳細胞が、ここに来てひとつの頭脳として形成されたかのような感がありますが、その大もととなる『京都議定書』が、1997年に採択されてから7年を経て、この2月16日より発効される運びとなりました。しかし、発効されることと実現されること、また実現できたからといって、CO2の削減達成につながるかということは、どの分野の学者にも見えていないのが現実です。むしろ『京都議定書』という机上で作られた折り紙の船に乗って、おとぎの海に漕ぎ出してゆくような気がしなくもありません。
いずれにしろ、人類の叡智が地球温暖化防止というテーマの下に試され、日本は『京都議定書』で確約した『1990レベルより6%の温室効果ガスの削減義務』を来月より『誠実に遵守』する方向に向かわなければならないのです。
京都議定書が7年間も間延びしたいきさつには、ロシアが加わるかどうかという数値的なかけ引きがありました。それは先進国におけるCO2排出量が1990年レベルの55%に達しなければ発効されないという取り決めです。
(EU24.2% スカンジナビア諸国5.1% 日本8.5% ポーランド3% カナダ3.3% 合計41.4%)
アメリカやオーストラリアはすでにこの締約から外れ、ロシアの排出量17%を加えなければ55%に届かない・・・・・まずこの論拠が京都議定書のややこしいところです。
この数値を盾に、ロシアはうなずいてもみたり、首を振ってもみたりで、思わせぶりな態度をとり続けてきました。03年9月、モスクワでの世界気候変動会議の場で、プーチン大統領は『議定書の批准はロシアの国益に従って決定される。』とまで大言壮語しています。
いかにもロシアらしく、『病める大国』のおごりと言ってしまえばそれまでですが、アメリカ、オーストラリアが議定書から抜け駆けしたこと、また中国・インドをはじめとする発展途上国がかたくなに参加拒否を表明したことも、経済成長という『国益』を優先したからにほかなりません。つまり、京都議定書を遵守することは、経済成長を大きく停滞させることでもあるのです。
それではロシアはどのような『国益』を考慮して、議定書への批准を決定したのか、それは京都議定書で決められた『排出量取引』をにらんでのことでした。空気が売買されるようになり、アメリカや日本はそれをロシアから買わなければならないというシナリオがくっきりと見えてきたからです。ところが01年3月、最大の買い手国であるアメリカが京都議定書から離脱、さらに96年からの順調なロシア経済の成長に水を差すことにもなりかねない、というような思惑もあったのですが、何よりも、当初ロシアが値踏みした『空気の値段』がEUなどで20分の1の先物価格で取引され始めたことです。(当初ロシアは1CO2t当たり5千円から2万円と踏んでいたのですが、各国では千円前後で売買され始めた)
ロシアの胸算用ははじけ、口には出しませんが、このときロシアは大きく落胆したようです。かつて、空気に値段がつけられたことはありません。それも大気に占める割合が0.036% という、微量な二酸化炭素に対してです。
ロシアのCO2の希望小売価格は引き下げられましたが、依然としてロシアは27%(15億トン〜20億トン)もの排出権余剰枠をもつCO2の売り手国です。日本は6%のうちの1.6%を京都メカニズムと呼ばれる手段で海外から調達しなければならない。そのうちの『空気の値段』として支払われるのが1990年のレベルでは、1500億円といわれています。でもこれは6%のうちの1.6%ということで、現在は1990年より8%もCO2排出量が増加して、計14パーセントもの排出削減義務を背負うことになるのです。仮に、海外から調達しなければならない1.6%と8%をたして9.6%にも上るとすると、1%で1000億円として1兆円近くのお金をロシア・中国をはじめとする余剰国および発展途上国に支払わねばならない、これが京都議定書に決められた日本の削減義務であり、『空気の対価』なのです。
ロシアはこの先、CO2という『ぼたもち』の価格を、吊り上げてくることはまず間違いないでしょう。
2月16日、京都議定書が発効されましたが、そのことと自分達の生活とは無関係だと思われるかもしれません。しかし税金や条令の面から、また家族単位の生活の面からも、さまざまな角度から社会システム、およびライフスタイルの変化が求められます
その一つにいま検討されている環境税というものが挙げられます。これは温室効果ガスの削減をねらった目的税として導入されるらしいのですが、CO2を排出するすべての企業、個人が対象になっていて、車のガソリンやストーブの灯油、、電気、ガス、ジェット燃料、重油、ナフサ。間接的には運賃、鉄、紙、アルミ、石油製品、またはゴミの処理費など、いわば生産、流通、消費、破棄にわたるすべての行程で、直接的に、また『値上がり』という間接的な形で私たちの生活に跳ね返って来ることが考えられます。(ガソリン、灯油、ガス、電気について、一般家庭の環境税負担額は一戸当たり年間約3000円。)
その場合、企業間での「排出枠取引」も、すでにEUでは激しくやり取りされていて、たぶん日本においても新ビジネスとして導入されることは間違いなく、物価上昇の要因の一つに組み込まれることでしょう。産業界は、環境税や国内での「排出枠取引」には反対していますが、一方でクリーン開発メカニズム(CDM)と呼ばれている排出枠の海外での調達には積極的に動き始めています。主に電力、鉄鋼などのエネルギー多消費型企業に政府が呼びかけ、海外から獲得した排出枠を登録した上で、各企業の「保有口座」として管理、運営して、右から左へ、または左から右へやりくりするらしいのです。
CO2という空気を外国からせっせと買って、国という銀行に預け、少しCO2を吐き過ぎたら、この空気銀行から引き出してきて充当させる、口座が空なら借りる。たとえればまあ、このようなことでしょうか。それらの例を挙げておきましょう。
「東京電力は昨年の7月にチリの食品会社から、養豚施設から出るメタンの有効利用プロジェクトを、9年間で約200万トン購入。」
「Jパワー(電源開発)は、チリ、ネスレから、21年間で約35万トンの排出枠を購入。ネスレは、食品工場の燃料を石炭から天然ガスに転換。」
「住友商事は英国の化学会社と共同で、フロンガス製造会社の工場に処理装置の設置を計画。CO2換算で年間に338万トンから500万トンの削減を見込む。」
「日本鉄鋼連盟は中国からの要請を受け、CO2削減技術の供与を計画。排出枠のクレジットとしての転用も同時に検討中。」
2007年10月1日 加筆