幻の中国人           中井龍彦


 日中の国交が回復してから9年後の1981年、私は中国を訪れた。そこで私は群れ集う羊のように純朴な中国人と出会った気がした。

 ツアーの日本人一行が買い物をする度に、背後は人民服を着た中国人でいっぱいになる。商品を差し出すと、ぶっきらぼうに数字だけを言う店員。お金を支払い、振り返ったとたん黒山のような人々の視線にギョッとするのである。しかしその眼ざしは決して悪意に満ちたものではなく、かと言って歓迎の雰囲気も汲み取れず、あえて言えば「無感動な好奇心」とでも言うべきものであった。

 忘れられないエピソードがひとつある。上海の豫園という観光名所で、私は不覚にも石の階段でしりもちをついた。しばらくの間、立てずにいると、大勢の中国人が集まって来て、騒がしくなり始めた。その声は明らかに「君、大丈夫か、大丈夫か」と気遣ってくれていたようだ。私は逃げるようにその場をあとにした。それからずいぶん経ってから、一人の青年が甲高い声で追いかけて来て「はい、これ」とでも言うようにカメラを差し出した。しりもちを着いた時、私は階段の上にカメラを置き忘れて来たのだった。お礼を言う間もなく、青年は人混みに消えていった。

 あの頃の中国人はお互いがお互いを監視しあっていたのだろうか、青年はカメラを易々と自分の物にできたはずなのに、持主に届けることで国家的道徳の調和を図ったのだと思う。当初、純朴な羊のように見えたのも、アジア・モンスーン地域に共通する受容的忍従の精神であり、共産党支配による全体主義の(誘導)に違いなかった。それから30年、現在の中国にそのようなモラル、また受容的忍従の精神はない。

 和辻哲郎は昭和初年の著書「風土」の中で、中国人の歴史的風土から織りなされた精神的風土を見事に言い当てている。それは、昨今の中国政府、また中国人の奇行とも見える行動と絡めてみても無縁ではない。たとえば、中国人の歴史的風土はアジア・モンスーン地域の受容的忍従の精神とともに、大陸的、砂漠的風土の入り混じった、いちじるしい「無感動性」において説明できると言う。日本人ともインド人とも欧米人とも,そこが決定的に違うところだ。

 「シナ人が無感動的であるということは、シナ人が感情を持たないということではない。シナ人の感情生活の様態が無感動的であるというのである。」。(和辻哲郎「風土」より)

また一方で、中国人は「戦闘的」であるとも言う。忍従性の裏側に持つ戦闘性、それはモンスーン的性格と砂漠的性格の結合であり、血縁的、もしくは地縁的な繋がりしか信じない、中国人独特の精神的風土なのだと言う。したがって、国家には一応従うが、決して底辺では信じようとしない「非服従的性格」を持つ、としている。中国政府が、今いちばん恐れているのはそこであろう。

 またたく間に世界経済の中核に躍り出た中国、地球人口の5分の1を占める中国、一方でむき出しの大国意識を押し付ける国。

 いずれにしろ、30年前に私が出会った中国人は幻のように消えた。



2010年11月