木材の価格

                                        中井龍彦

                            

山の木が住宅に利用されるまで、木材価格はどのように決められてゆくのだろう。

 ふつう製造業では、原材料費、人件費を含む経費、金利などを計上したうえに販売価格が成り立っている。自然を相手の農業でさえ、種苗費、借地料、肥料、燃料などの経費、農機具購入時の金利などを算出したうえに小売価格が決められている。ただ、豊作不作の自然条件に左右されることで、農家の所得は安定したものではない。そこが工業と農業の違いでもある。

 ところで、木材の価格はこのような単純な足し算、引き算で決められてはいない。八十年生の山があるとする。持ち主がその山の木を原木業者に売る場合、それらの木を育てるために要した種苗費、植林費、下草刈・枝打ち・間伐などの保育費用など、八十年にさかのぼる経費から木材価格を割り出そうとしても、そのような資料はほとんど残っていない。多くの場合、この段階で木材の価格は(わからないもの)になってしまっている。

 伐られた木は寸断され原木市場に並べられる。そこで判断できるのは、まず年輪が数えられ、八十年間の木の履歴書とでもいうか、中が割れていたり、雷に撃たれていたり、色が黒ずんでいたり、様々なマイナス要因が浮上して来る。丸太価格が決まり、製材機にかけられる。するとまた、中に隠れていた節が出てきたり、シカミと呼ばれる繊維の切断、アテと呼ばれる木理の変質、反りが現れたりする。鋳型に入れられて造られたものではないので、このような現象は当たり前のことである。

 このようにして、板になったり、角材になったりするのだが、様々な自然によるマイナス因子の足し算のうえに、また言い換えれば目標価格からの引き算のうえに木材価格が決められてゆくのだ。ここでもまた木材の価格は(わかりにくいもの)として流通し始める。

 そこにまた相場というものが介在してくる。―相場―いわゆる市場原理がつくり出す(時価)は、サンマを一匹百円に設定したり、卵一個を二十円に設定したりする。生産者の意向は、この相場原理に支配されて、どうにもならない。

 そこで最近、安くてもいいから安定した相場価格で買ってもらおうとする林家が出始めた。安定した価格というのは、集成材用材(ラミナ)として、外材に対抗できる価格ということであり、いったいどれほどの価格かというと、五十年生前後のスギの木なら三本で約一万円。それを出材するコストが約一万円。半世紀間育てた山の木を自分で伐って自分で持ち出してくれば、ようやくペイする段階にまで来たのが日本の林業の現状である。育てた経費を度外視した上での、いわば(たたき売り)なのである。

 あまり知られていないが、林野庁は〇六年より「新生産システム」という政策を立ち上げ、戦後に植えられた森林の利用間伐を大規模に進めようとしている。「施業の集約化、低コストで安定的な原木供給、ニーズに応じた最適な流通、加工体制の構築」と続き、さらに「林業が業として成立することを明らかにし、その展示効果により林業の再生、森林の健全維持、森林整備の推進、地域材の利用拡大により林家等の収益性の向上を図る」(林野庁の資料より)と、一見頼もしく、盛りだくさんなメニューで綴られている。どういうことかと言うと、森林組合などが小規模な森林所有者を取りまとめ、何千万円もする大型高性能機械を導入して、山から少しでも安く、しかも大量に間伐材を供給せよ、ということである。

この政策によるものかどうかは知らないが、木材の自給率は四年前の十九%から最近は二四%まで五ポイントも上昇している。これは一応、杉並材の販路が確定して、木材価格がわかりやすくなったことも事実だが、良質材の価格まで「連れ安」に導く結果になり、この三年間に木材価格はさらに下落した。あらためて学んだことは、並材の販路が確立され、自給率が上昇しても、総体的な国産材価格の上昇にはつながらないということであった。そういう意味で、補助金を前提においた「新生産システム」は、林業の(豊作貧乏)を作り出してきたといえる。

 山に目を向けてみると、おびただしい皆伐跡地が増えてきている。間伐方式の出材コストより半分で済む皆伐方式によって、経費の低減を図ろうとする林家は(売れるときに売れ)という論理で、さらにハゲ山を増やしてゆくことだろう。



                                        2009.05.08