森に通う道 中井龍彦
数年前、神奈川県から水道課の人が何人か来て「複層林を見せてほしい」というので案内した事がある。その時、何のために複層林を観るのかと尋ねたところ、「水源涵養林を育てるためだ」という。木材の価値は考えていないのかと問うと、躊躇なく「考えていない」という返答であった。太く真っ直ぐな木が立ち並ぶ、より価値の高い森林を育てようとしてきた私にとっては、強いカルチャーショックであった。
以来、私は『良い森林』とはどのような森林か、ということを改めて考えるようになった。彼らが作ろうとしている良い水を生み出す森林、吉野林業が目指して来たより高価な木材を作る森林、そして結局、良い木と良い水を育む多機能で多目的な森作りを、これからの林業は考えてゆかねばならないのではないか、と考えるようになった。
良い木と良い水が作られるためには良い土壌がなくてはならない。土壌は植生や生態系の豊かさに左右され、ささえられている。そこに人為的な森林施業が、何十年先のことを想定して加えられるのである。といえば聞こえは良いが、じつは何百年も昔から人工林の森林育成の施行はさほど変わっていない。春、苗木を植え、夏になると下草を刈り、十年経ったころから間伐期、枝打ち期を迎える。
では一体何が変わったのであろう。
むかし、おじいさんは山に「しば刈り」に行った。しば刈りとは、木の採取、つまり間伐であった。しかし、最近のおじいさんは、しぶしぶ間伐や枝打ちには行くが、そのしばを持って帰らなくなった。しばが要らなくなり、売れなくなったからでもあるが、おじいさん自身もずいぶん歳を取った。山に行くことが億劫になり、ましてしばを持ち帰る事など出来なくなって来たのである。そこでおじいさんは、「道があればなあ」と考える。
つまり、変わったのは森林の施業方法ではなく、人間と(高齢化)山村地域社会(過疎化)、生活システムの変化(暮らしぶり)であった。
三年前、私の集落を取り巻く山の上に、吉野・大峰林道が開通した。四町村をつなぐ山頂の道である。この林道に立って、六十戸ほどの集落(赤滝)を見下ろしていると、二十年前の自分が思い出される。下から一時間余りかけて、500mの高低差を、この山頂まで登っていたのである。「あの下から、ここまで身体を持ち上げていたんだな」と思いながら、林道に止めた軽トラックの上で弁当を広げていると、吉野山から大峰山に向かう奥駈道(2004年7月に世界遺産に指定)を、一人の行者が一礼をして森に消えた。
確かに、林道の開通によって山の神秘性は影を潜めたろう。埴生の分断や、水循環の変化も問題のひとつとして残る。
しかし、林道周辺に私が植えた木は、もう背丈以上になり、確実に森の時間とおいしい水を育んでいる。