林業の結論             

                                                           中井龍彦                       

父植ゑしこの杉山の五十年、二束三文となりても美し

                        前 登志夫歌集(鳥総立より)

 終戦後、『父』たちが植林した山の木は、スギで直径三十センチ、ヒノキなら二十数センチになり、柱や板材として十分利用することのできる採伐期を迎えている。しかしこの歌のとおり「二束三文」に成り果て、手付かずのまま放置されているのが現状だ。「山が腐ってゆく」「日本の山は死んだ」というような強烈な見出しが、新聞紙面に見られるようにもなった。山の価値も木材の価格も、とうとう二束三文というところまできたか、というのが偽らざる林業の実態である。

 戦後半世紀、『父』たちが植林した森林は1千万ヘクタール、日本の森林面積の四割以上に上るという。良きにしろ悪しきにしろ、これほど植林をせっせとした国は他にはない。それが今では、花粉を飛ばすからといって憎まれ、単調で変化に乏しいという論拠で酷評を受けている。

『里山』の名づけの親でもあり、ほぼ一世紀を生きてこられた京大名誉教授の四出井綱英氏は、ある雑誌のコラムに次のように書いている。 

 「私は、二十世紀を生きぬいた人間で、二十一世紀についてとやかく言う資格はない。新しい世紀のことは、新しい世紀を生きぬく資格のある人が実行するべきだ。というのが私の見解で、二十世紀の森林をめちゃくちゃにして次世紀に受け渡しをしてしまった私たち前世紀のものどもが、いまさら何を言うことがあろうか。」

 読んでぐっと来るものがあった。それは、林業の結論は、少なくとも半世紀を経なければ判らないという、いわば生き証人の発言だからである。『父』たちが植林した山の木も、半世紀を経て『資格』を剥奪されつつある生き証人でもあるのだ。

四出井氏が言うように、もしかして日本の林業は失敗したのかもしれない。苗を植え、草を刈り、何回も枝打ちして、半世紀間育てた木が二束三文であるという事実は、まさしく徒労以外のなにものでもないだろう。しかしその事実を突きつめてゆくと、やはり外材との価格競争に負けたという市場原理に突き当たる。それは人件費が高いとか、設備投資や機械化が遅れていたとか、二次、三次産業で言われるような市場原理ではなく、本質はもっと根本的で単純なものだ。

確かに外材は安い。その安い理由のひとつに、外材はほとんどが植林された木ではないということが挙げられる。北米産の米マツ、米ツガ、スプルース,スカンジナ諸国から来る、ホワイトウッド、レッドウッド、熱帯材ではラワン、アピトン、バルサ。建築材はもちろんだが、ホームセンターなどでよく見かけるこれらの外材は、すべてが天然木である。自然に生えている木だからということで、東南アジアでは盗伐が後をたたない。植林して育てた国産材と、ほとんどが天然木であり、盗伐木も混じる外材、それが同じ市場原理の下で売られているのだ。消費者も家を作る側のハウスメーカも、早くそのことに気づくべきだと思う。

 林業の結論は、環境配慮(グリーン)立国という日本の立場からしても、早急に結論を選ぶべきではない。だが、このまま輸入材との理不尽な価格競争が続くのであれば、おのずから自滅への途をたどらねばならないであろう。                

                                                              2005年6月