深層崩壊
中井龍彦
平成23年は日本の災害史に永く語り継がれる一年になった。元日の豪雪に始まり、3,11の東日本大震災、9月の初日には台風12号が紀伊半島を直撃。新聞は3077ヶ所で崩落が起きたと伝えている。50戸あまりの私の集落でも12戸が水に浸かり、瓦礫と流木の山が築かれた。
今年に限り、耳慣れない言葉も聞いた。内部被爆、除染、深層崩壊、せき止め湖、土砂ダム、シーベルト、避難指示、人智の及ばない計測不能の厄災が、永く人々の記憶に残されることだろう。まぬがれはしたが「孤立集落」という言葉が現実としてせまり、上流からは土石流の襲来も不気味な可能性として残された。不安と焦燥の日々、集落上流の源流域では二カ所、大面積の山が崩れ落ち、起伏の多くあった狭隘な渓谷は広々とした扇状地になっていた。もとの痕跡がすっかり消えた川原を辿りながら、ふと集落(むら)の終焉という言葉を思い浮かべた。
地滑りと言っても違うし、山津波と言っても適切ではない。しかもどの崩落もナイフでえぐり取られたように茶色い山肌を見せていた。深層崩壊という始めて見る現実、現状を知らない人は、伐り捨てられた間伐木が災禍を大きくしたのだと言った。しかし、上流では山が(爆ぜた)ような状態になり、岩も巨木も伐られた木も橋も、何もかもが轟音と異臭を放ちながら流れ下ったのである。
「伐り捨て間伐から利用間伐へ」という民主党の方針は、一方的に切り捨て間伐を(悪)とすることで定着したようだ。おなじように「木材自給率50%」「コンクリート社会から木の社会へ」と、民主党が掲げるこれらの理念は、すべて何かがおかしい。だいたいコンクリートの役割を何もかも木に置き換えることなど出来ない。同じように利用間伐についてもすべての山の木が、すべて収穫期を迎えているわけではないし、厳密に言えば、木の利用を限定し、取捨選択したあげく、間伐材、つまり小径木や磨き丸太の利用を排除して来た結果が、森林の荒廃から切り捨て間伐につながったといえる。密植仕立てで良質材を育てることを主眼としてきた吉野林業では、戦後に植えられた森林、とりわけヒノキ林が利用伐期を迎えているとするのは間違いである。
次に「木材自給率50%」の何がおかしいか。この数年間に、国産材の自給率は確かに伸びている。しかし、供給量は増えていない。単に外材の輸入量が住宅不振により減少しただけで、自給率アップを図ることが、国産材需要を喚起するものでないことは明らかだ。要するに国産材自給率は、輸入材に対しての、ただの「比較率」なのである。ただし現在の木材供給量は明らかに過剰供給であり、このままでは木材価格をさらに押し下げてしまう。政府が言う「低コスト林業」「木材自給率50%」という目論見は、成長途上にある日本の森林をふたたび、やせた疎林に戻してしまうことにはならないか。
森林ジャーナリストの田中敦夫さんは「政府は森林,林業再生プランを作成し、大規模化と機械化を推し進めて生産効率を高めようとしている。略、そんな林業現場に入ると、高性能林業機械が作業道を開設し、次々と木を伐採している姿を見ることができる。略、だが、ほんとうにそれでいいのか、という疑問がつきまとう。大規模な伐採は、先祖が営々と木を植え育ててきた森を消滅させている。」と言う。 集成材用材や合板用材を外材からスギに置き換えることで一時的な国産材ブームが起きていることは事実だ。その一方で、大面積皆伐、なげ売りと呼べるような、どうしょうもない―森林処分―が始まっている。