退耕環林                  中井龍彦


平成十年九月二十二日、奈良県をおそった台風七号は伊勢湾台風以来、私の記憶に残る二番目の大型台風であった。伊勢湾台風と違っていたのは、雨が少なく、その代わりに風速五十mもの突風が吹き荒れ、奈良県全域の森林や鎮守の森をめちゃくちゃにして通り過ぎた。室生寺の精美な塔が噛み千切られたように無残な姿になっていたことは記憶に新しい。ほどなく、吉野地方は激甚災害地に指定された。

 あの台風で思い知らされたのは自然の凄さと電気と言うものの有難さであった。停電が続き、冷蔵庫の食品が腐り始める頃から、村の人たちは大型の発電機を買い始めた。私も親戚から小さな発電機を借りてきて、蛍光灯の光にしみじみとした安堵感を覚えたものだ。しかし、その一方で「電気が無くても生きられる」ということを私たちは学んだように思う。水は山からの引水があり、風呂は薪で焚き、煮炊きは元々プロパンガスだからどうという事もない。どうしても風呂が沸かせない人たちは、隣家にもらい風呂をさせてもらったことを楽しそうな語り草にしている。しかしながら、あの台風以来吉野材価格の下落が続き始める。

 台風七号が荒れ狂った年、中国では未曽有の長江大水害が起きている。死者四千人、被災者二億四千万人というから物凄い。中国は、この長江の氾濫を四千年前から続いてきた森林破壊に起因する事を認め、平成十一年より十年の計画で「退耕還林」という施策を打ち出した。文字通り、斜度二十五度以上の畑や草地を林に還すという植林プロジェクトである。

 中国はすでに平成十一年から十六年までの五年間に、日本の国土の半分弱ほどの土地を人工林に変えたという。戦後、日本が三十年かけて植林した面積の2.5倍を、わずか五年で植林したというのだからダイナミックな話である。松・ポプラ・柳などの用材林(生態林)、果樹木などの経済林、水土保全・水源涵養を目的とした防護林の三つに分け、用材林には八年間の補助を、経済林には五年間の補助を穀物や現金で支給することを約束した。しかし、植林したことが即時、森林としての多面的機能や、経済的価値につながる訳ではない。植えた木が育たなかったり、育っても放置されたり、最開墾されたりで表土流出が続けば、残念ながらこの四兆円を投入した一大プロジェクトは大きな失望をむかえることになるだろう。いずれにしろ、二十年から三十年後の成果を待たねばなるまい。

 中国はこの政策を、水害や旱魃対策のためにのみ行ったのではなく、日本をぬいて世界第二位の木材輸入国に転じた自国の木材不足をかんがみた結果でもあった。最近では、割り箸や木炭などの輸出規制を口にするようになり、自国の木材資源や森林環境を守ろうとしている。しかし一方で、インドネシアやロシアからの違法伐採材を買い付け、他国の環境破壊に手を染めていることも事実だ。中国に流れ込むロシア材は半分以上が盗伐材であり、その一部が安価な加工集成材となって日本に流入する。中国からの輸入集成材は、平成十六年に日本での集成材シェアー第一位にまで躍り出た。盗伐をする者、それを買い付けて加工する者、日本に持ち帰る商社。節操なき森林破壊、それを下支えする自由貿易の下ではFSCなどの森林認証制度は何の効力もない。

地球の森林は、最低でも一年に九州二個分ほどの面積が消滅している。せめて中国での退耕還林が成功して青々とした大地が戻り、わが国に酸性雨や黄砂をもたらさないことを、やや皮肉をこめて願おう。