失われゆく30年          中井龍彦

  1990年代の「失われた10年」と呼ばれた不況下で、ちょうど就職期にあった若者たちにフリーターと名乗る人たちが多かった。今ではフリーターという呼び方はあまり聞かれなくなったが、当時私はフリーターなる職業がほんとうにあるものと思っていたほどだ。

  そのような風潮のなかで失われた10年が、結論として「失われ」初めてゆくのである。そして、フリーターもしくはフリーアルバイターという労働スタイルが作り出したシステムは、日雇い派遣などに繋がり、こののち長く後遺症として残されることになる。

  まず派遣労働が新しい「生き方」として定着して、若者たちが自由に職場と遊び場を行き来できる便利な「場所」として捉え初めたこと。また、2000年の始めごろからの好景気、ペキンオリンピック特需などの条件が出揃い、04年からの派遣法の改正はさらに企業に取って雇用形態を便利で安価なものとした。雇用される側も雇用する企業にも当初は「労働の使い捨て」という意識は薄く、そればかりか「フリーター」という肩書きに若者たちは脱サラリーマン的な「自由人」という訳語を付し、あたかもそれが自分たちの定められた「職場」であるかのような勘違いをしていたのである。

  少なくともそのような風潮があった。いわば「失われた10年」は日本の「ものづくり神話」を完成させるための序曲として、少し気ままな、時代への不信感を持たない「自由人」を育成し続けた。だか、そのような風潮が今日の低価格競争、デフレ経済に繋がる発端だったかもしれない。小泉政権時代の好景気を振り返ってみても、大企業の内部留保に利益が担保され、低所得者層が潤うことはなかった。

  日本の「ものづくり」が神話のままに終わるのか、また、さらなる発展を遂げるのか、現在はその岐路に立つ時代である。確かに、日本の先端技術には他国が及ばない蓄積があり、政治家も財界人もメディアも口を揃えて日本のその高技術力を喧伝したがる。 しかし、果たしてそうであろうか。たとえそうだとしても、1990年代から始まるものづくりの仕組みは、70年代、80年代の雇用形態を生ぬるいものと考え、成果主義、競争原理を積極的に組み入れた。ここから雇庸格差、職業格差、地域格差が生み出される。

  そして、2010年になって、失われた10年は「失われた20年」として自覚され始めた。ものづくり立国としてことさらに自慢することのできない理由がそこにある。

  今日の家電産業の凋落ぶりに見られるように、この先、ますます日本の企業の立ち位置は脆弱になりつつある。原因は複合的だが、最大の要因は円高と慢性化したデフレ、そして最近よく言われる部品のモジュール化、デジタル化による画一的な技術普及により、企業はさらに安価な労働力を求めて、「ものづくり」工場の漂流を余儀なくされるであろう。人口70億に達した世界経済地図の平準化を図ろうとすれば、そのようなシナリオが見てとれる。温暖化ガスのように、世界をとり巻くグローバリーズムと過剰な低価格競争の連鎖。新年早々、悪い予感だが、 日本という「高齢化国家」の―失われゆく30年―の始まりなのかも知れない。