中井龍彦
三月の雨冷え冷えの濡らす夜 睡眠剤を半分に欠く
やり場なき事件が続く世の果てに泥田のイモリ腹を返せり
刃の欠けし手斧役立つはづがなく春はめつぽう手持ち無沙汰に
なりはひの滅びし山河ひたぶるに風の情けの身に沁みわたる
歌一首創るためには焦がし焼く職無き朝のいちまいのパン
何もかも忘れはじまる新緑の苦悩の果ての山は綺麗だ
盗み酒せし夕ぐれのテーブルに尺取虫が未知の歩をとる
家族なき鴉が帰りゆく空は花粉砂塵にまみれてゐたり
五十年忌の菓子果物を届けゆくいのしし年の妻と娘と
五十年忌終はりて帰る眷属を送り見つらむまだ寒き春
籠売りの軽トラックにいつぱいの竹の匂ひが春風に乗る
雨季に入る国より帰りし子は次に洗濯板を持ちてゆくとか
花粉症の娘大きくくしやみせり白き辛夷の花咲きそむる
床の間に父の遺影がいつまでも笑ひてゐるを見上ぐ夕暮れ
雨あがりちちと鳴きける裏山に小鳥つどふも、やがてまた雨