文化価値高い吉野材         中井龍彦

           

 川の向こうで割り箸作りをしているIさん夫婦は、今日もまた薪ストーブの煙を立ち登らせている。50戸ほどの集落に9軒あった箸工場が、今は2軒になり、この製箸業もさびれて久しい。それでも、朝早くから立ち登る煙を見ると「ああ、またあの夫婦、箸を作り始めたな」と思う。いつのまにか割り箸は98%が輸入、その内の99%が中国産に置き換えられた。

さて、私の村では、 十数年前までは、製箸業や林業とともに、3センチから30センチまでの丸木を製品にする磨き丸太産業が根づいて来た。床柱や軒桁、茶室の垂木や玄関のポーチなど、磨き丸太は先人の知恵によって、多用途に考案されて来た経緯がある。発祥の地、京都北山の景色は、壁紙などにもなり、風光明媚な村として名をはせた。銘木仕立てという特殊な林業が、美しい里山の景観を作り上げて来たのである。しかし、近年この産業もほぼ壊滅状態に近い。盛況なころは、村に40軒もの工場があり、セリ市に出荷される額だけでも、年間3億円近くもの売り上げがあった。

磨き丸太は横にも縦にも使われるが、いずれにしろ装飾性を重視する。社寺建築や古民家に見られるように、日本には「掘っ立て柱」から始まる丸木文化が根強く残されて来た。小さな建て売り住宅の一室にも、床柱や面側柱が曲線の意匠を凝らし、磨き丸太はその丸木様式の上に継承されて来たのであるが、今日の建築工法はこの手の込んだ丸木様式を嫌った。箸産業が衰退した原因と違うところは、ただ「使われなくなった」という一言であり、中国産に席巻されたわけではない。

  吉野林業の育林、生産加工技術も磨き丸太同様にこの装飾美を作り上げる技術である。したがって、付加価値を見つけることで、外材との住み分けも可能であったのだが、長引く「値崩れ」は林業の衰退のみならず、村の存亡を告知するまでになった。最近は「利用間伐」「低コスト林業」「自給率50%」という、国が推し進める言葉だけが空虚に踊り、合板、チップ加工、バイオマス発電等の川下産業に補助金を回し始めた。

  平成22年6月の所信表明演説で菅直人は、次のように述べている。「特に、低炭素社会で新たな役割も期待される林業は、戦後植林された樹木が成長しており、路網整備等の支援により林業再生を期待できる好機にあります。」 一時、この言葉に林業界は熱い期待を寄せた。しかし、民主党政権が打ち立てた林業施策は、複雑奇態なものでしかなかった。まず、「森林経営計画」という言葉に過剰理念をもたせ集約化・合理化・機械化による低コスト化と続き、簡易作業路を林内に巡らせることで木材の多目的利用を図り、自給率を上げようという主旨である。だが、その裏付けとする補助金の仕組みは、何十通りもの複雑なメニューをハードルのように並べ、それをクリアーした事業体にだけ補助金を渡そう、というものである。その中ですっぽりと抜け落ちたものがある。それは木材の相場価格と木の付加価値利用、いわゆる文化的利用である。合板、集成材、チップ加工の対局にある文化的利用は、国が提唱する「森林経営計画」から、真っ先にはずされてしまった。一方、木材の相場価格は育林経費と出材経費によって割り出されるはずだが、育林費用を考えず出材経費だけに限ってみても販売価格をはるかに上回っている。林内路網を巡らせ高額な林業機械により低コスト化を図ったとしても、賃金カット、搬出ノルマの強化、また不順な天候の日でも機械を稼働させる、といった労働条件の悪循環が進むであろう。

  いずれにしろ全ての林業者が口にするのは「国産材の価格が上がれば何もかも解消する」、その「何もかも」という言葉の中には「村の将来」という意味も含まれている。

 

                          2012年10月31日