地域づくり団体ツチノコ共和国

ツチノコ共和国ツチノコの歴史・目撃記録

縄文時代

長野県茅野市の尖石考古館に展示されている縄文土器の壷の縁飾りに、ツチノコが描かれている。平たい頭で目は丸く大きく、カエルのように口先が尖っている。しかし、背中に短いしっぽを背負っているのでカエルではないだろう。しかも、足がなくトカゲに似た体つきで足のないその姿は、まさにツチノコである。 また、岐阜県高山市の飛騨民族考古館にも、ツチノコをかたどった縄文石器がある。飛騨縄文遺跡からから出土した、6000年前の石器だ。 技術的に無理だったのか、太く作ってあるが、形はツチノコそのもの。”幻のつちの型石器”と、いまは紹介されている。

「古事記」「次に山の神を生む。名はオオヤマヅミの神。次に野の神を生む。名はカヤノヒメの神。またの名をノヅチという」        出展 1988/6科学朝日

「日本書紀」 古事記同様のことが書かれているそうです。     カヤノヒメは、その名のとおり”(萱)の姫”で、屋根葺きの材料として、かって大切にされた萱原の守護神なのでは、といわれている。 これか、はたしてツチノコを指すかどうかはわからない。しかし、ツチノコが萱原を好んですむという伝承や、かつて人々が、ヘビを神の化身ととらえたことを考え合わせると、あながち無関係とはいえないだろう。 他のヘビに比べ、太くたくましい姿、特異な習性をもつツチノコは、”神”になりうる条件を満たしている。事実、江戸時代に本居宣長が著した古事記の研究注釈書「古事記伝】でも、”ノヅチ”を”野の主”ととらえているのだ。出展@

鎌倉時代

無住法師がまとめた仏教的説話集「沙石集」にもノヅチが登場する。「叡山の2人の僧が、先だって死んだほうは、生まれ変わったときにその所在を告げようと約束したところ、先に死んだ僧が夢に出て”われは野槌に生まれ変わった。それは目鼻手足なく、口ばかりあって人を食らう。これ名利をもっぱらにして仏法を学び、口先のみ賢く、智の眼、信の手、戒の足一つもなかったから、かかるのっペら坊に生まれた”」 古代日本において、野の神としてまつられたツチノコも、仏教の伝来で、妖怪的生物にされたようだ。そのため、”祟る”と恐れられるようになったのであろう。出展@

江戸時代中期

日本初の図説百科事典「和漢三才図会」に、ツチノコは”野槌蛇”として絵入りで紹介されている。原文は漢文だが、要約すると、「深山にすみ、木やぶの中いる。頭と尻は同じ大きさで、尾はとがっていない。槌に似て柄かないので、俗に野槌と呼ぶ。和州吉野山中の菜摘川、清明の滝のあたりで折々見た人がある。口が大きくて人の足にかみつく。坂を走り下り、人を追うときは早いが、登るときは極めて遅い。故に、これに出合ったときには、急いで高いほうへ登れば追ってこない。い。大きいのは直径5寸(約15センチ)長さ3尺(約91センチ)。合木ヘビのたぐいか。合本ヘビは長さ1、2尺(約30〜61センチ)4足あって、衣をつくきね(砧)のような形をしている。といった内容だ。ただ、その絵は、ミミズを拡大したようなもので、ツチノコにはあまり見えない。おそらく、見た人の話を誇張して絵にしたのであろう。また、合本ヘビが、何を指すかもわからない。四足ありとすれば、トカゲのたぐいであろう。ツチノコに足はないが、姿はトカゲに似ているためと思われる。いずれにせよ、江戸時代にも、ツチノコはいることはわかっていたか、正体は謎だったわけだ。出展@

江戸・宝暦年間

尾張藩の松平君山か著した「濃陽史略」にも、ツチノコのことが書かれている。加子母(元・岐阜県恵那郡加子母村)のことを記した項に、山守の内木彦七から聞いた話として、「彦七若かりし時、加子母より、へい竹を分けて行けるに、しきりに足重く、冷たくなりければ、これを見るに太さ1尺(約30センチ)ばかり、長さも同じ程にて、かつお節の形の如くなるもの、頭も尾も知らず、黒く光りて足の上を行き過ぎぬ、里の老人に問えば、野槌というものなりという」と、書かれているのだ。出展@

紀州藩士で,本草学者小原桃洞(1746−1824)の『桃洞遺筆』(天保4年,1833)には「野槌蛇.和州吉野山中、本州熊野奥等に産す。其形は長さ2尺余、頭尾均しくして(頭も尾も同じ長さ)、尾尖らず、槌の柄なきがごとし。全身蝮と書かれています。

同じく紀州藩士で自然学者畔田翠山(くろだすいざん)の『野山草木通志』に野槌の実話が書かれています。「文政六年(1822)正月中旬のことである。高野寺領の在田(有田)郡梁瀬村の山中に奇妙な蛇が出てきたが、動くことができなくなった。人が尋ね釆て鉄砲で撃ち殺した後に土中に埋めた。其の蛇の大きさは胴回り五尺、長さ三間。その背は黒褐色、巨大な松の樹が臥せっているが如く、腹に鱗甲があり、黒色で青を帯びていた。頭と尾は身よりも細くて、土人が野槌と評しているものは此れであろう」と。出展 下北山の自然

明治以降

明治から昭和にかけて 活躍した作家・巖波小波が、小説でツチノコ について」書いている。 しかし、「大語円」の「槌の子坂の怪」で は妖怪変化として、「聴耳草紙」の”野槌”で は、ずんどうのヘビとして描きながらも、恐 ろしい祟りのある説話にしている。小説だから、いたしかたないだろう。出展@

日本の民俗学を完成させた民俗学者、柳田國男も、その著「妖怪談義」でツチノコを紹介。テンコロコロバシ、ツナコロビ、ヨコヅチヘビ、ツトヘビの4種のツチノコにふれている。が、あくまで民話としてとらえ、「見たという人はあっても、なお実在の動物ではなかった」としている。出展@

大正時代

ツチノコを学術的に調査・研究し たのは、民俗学者で生物学者でもある南方熊楠だ。南方は、おりにふれ、”ノヅチ”に言及。大正時代の雑誌「太陽」に寄稿した「異様なる 蛇ども」の中では、「あるいは上の世代、水辺の蛇をミズチ、すなわち水の主、野山の蝮をノヅチ、野の主と見立てたのだとも思う」と、ツチノコ=マムシ説をにおわせている。また、「十二支考」の”巳”の項では、ノヅチを想像上の生き物らしいとしながら、ヘビの仲間に入れている出展@。

昭和20〜30年代

昭和24年10月の夕方 鳥取県東伯郡三朝町の福本 憲さん当時24歳が山道で遭遇。出展@

昭利28年ごろの9月初め、和歌山県橋本市に住む倉持入造さん、当時50すぎ。近くの畑で遭遇。出展A

昭和30年ころの夏 奈良県吉野郡川上村三之公に住む西浦政男が木にぶら下がったツチノコに遭遇 出展A。

昭和30年7月初め 石川県小松市の大日川の上流で、堀口一芳さん(25歳)ら2人が遭遇。出展A

昭和34年8月、京都市北区上賀茂栗夜叉谷の林道 山本素石随筆家で釣り人の山本素石は昭和34年にツチノコを目撃しツチノコの調査を始める。昭和37年には、ツチノコ捕獲を目的としたノータリンクラブを結成。以後、精力的にツチノコの調査・探検をくりひろげた。出展@

昭和34年8月中旬に、滋賀県甲賀郡甲西町園養寺 藤森実徹住職と大工山中勇蔵が遭遇。出展A

昭和34年秋、兵庫県城崎郡香住町小林清太郎きん(71歳)が遭遇。出展A

昭和36年ごろの秋 滋賀県神崎郡永源寺町紅葉尾 池田四郎さんが遭遇。出展A

昭和39年6月、秋田県秋田郡五城目町富津内 小玉康一郎が遭遇。出展A

昭和40年代

動物作家の斐太猪之介さんは、ツチノコの情報を集め、その著「山がたり」昭和42年)、「続 山がたり」(昭和46年)、「続々 山がたり」(昭和47年)、「幻の動物記」(昭和48年)、「山中奇談」(昭和50年)などで発表。

山本素石さんは、その成果を「逃げろツチノコ」(昭和48年)、「山棲みまんだら」(昭和60年)で発表。

作家・田辺聖子さんは、このノータリンクラブをモデルに、小説「すべってころんで」を昭和47年に朝日新聞に連載。翌48年には、NHKでテレビドラマ化され、ツチノコの名を広く知らしめた。さらに、漫画家・矢口高雄さんが、自らのパチヘビ(ツチノコ)目撃体験をもとに、昭和49年、「幻の怪蛇・バチヘビ」を「少年マガジン」 に連載。一躍、ツチノコブームが巻き起こったのである。矢口さんは秋田県平鹿郡増田町の出身。小学生のころ、水中をのぞく箱メガネと、魚を突き刺すヤスを持って川へ魚突きにいくと、河原に平べったいゾウリのようなものがいる。何かと思い、矢口さんはヤスを投げつけた。すると、鎌首がもち上がり、パチヘビがシユーツと声を出して飛び上がったという。

昭和40年ごろ、滋賀県大津市南部の太神山 京都市内の保健所の係長Aさんが遭遇。出展A

昭和42年の夏 京都府亀岡市に休む今井初造さん(81歳)が遭遇。出展A

昭和45年の春、宮崎県東臼杵郡椎葉村の山中 山中トヨさんら3人が遭遇。 出展A

昭和45年8月中句、岐阜県揖斐郡徳山村 村山欣也さん(46歳)ら3人が遭遇。出展A

昭和46年6月京都市右京区清滝 梅津山不動院で、院主、浅野青龍師が庫裏下の沢で遭遇。出展A

昭和46年10月中旬 和歌山県西牟婁郡中辺路町 坂本豊吉(57歳)・妻 増枝(51歳)栗畑で遭遇。出展A

昭和47年7月 香川県三豊郡大野原町に山下綾子さん(53歳)が遭遇。出展@

昭和48年6月15日午後 愛媛県北条市米之町高縄山(標高986メートル)山頂にある高縄寺の川野清堂住職(50歳)が女性4人とワラビ採り時、ツチノコ様のへびに飛びかかられ、柔道5段の住職が払いのけ、足で踏んづけ、木の枝でめった打ちにして倒し、死体を遠くへ放り捨てた。出展@

昭和48年7月初旬午後3時頃、栃木県那須郡南那須町 大谷多賀さん(45歳)が遭遇。出展@

昭利49年ごろの6月初句宮城県玉造郡岩出山町東昌寺沢で谷村ふみ子(57歳)が遭遇。出展@

昭和49年8月4日午後4時前、京都府加佐郡大江町清水 福井 肇(42歳)方の裏で隣家の足立三治さん(73歳)居合わせた織田正彦さん(27歳)ら8人がかりで生け捕りに失敗した。出展@

昭和48年4月下旬和歌山県有田郡金屋町の県立自然公園生石高原で金屋町吉田の新家正吉さん(48歳)と弟の明宏さん(48歳)がラン採集中に遭遇。    週刊読売48.6.30

昭和48年夏 西武百貨店がツチノコ生け捕りに賞金30万円。 出展科学朝日

昭和49年7月14日朝 鳥取市坂根 松上神社の参道で、同地区の今井秀政さん(73歳)が遭遇。                49.9.4 日本海新聞

昭和48年7月14日午後5時頃 美濃市役所下牧出張所上の農道で平林隆央さん(61歳)妻久美子さん(59歳)が遭遇。    48.8 岐阜日々新聞

昭和50年代

昭和51年7月7日、奈良県宇陀郡榛原町赤埴 仏隆時の境内で、橿原市八木町の打谷久義さん他3人が遭遇。

昭和53年11月9日鹿児島県肝属郡大根島町松阪 松坂恵美子さん(40歳)が遭遇。出展@

昭和55年9月、富山県滑川市 石若千枝子(51歳)自宅裏で遭遇。出展@

昭利58年6月19日、兵庫県宍粟郡波賀町音水渓谷で神戸市横山直樹(38歳)が遭遇。                         58.73.9神戸新聞

昭和56年8月11日午後4時頃 岐阜県武義郡板取村から県道岐阜−白鳥線を通り岐阜市早田の自宅1キロ手前で、久江 誠治さん(69歳)妻ふみさん(69歳)が道ばたで遭遇。        56.8.26 岐阜日々新聞

昭和58年6月中旬、兵庫県篠山町の石田はるゑさん(69歳)ら二人が同町させん谷で遭遇。                         東京新聞 58.7.8

昭和59年8月20日朝、鳥取県倉吉市上大立 照下満智子さん(46歳)が畦道で遭遇。                      59.9.1日本海新聞

昭和60年代

昭和62年 奈良県吉野郡下北山村で目撃が多発(別項参照)賞金100万円の手配書を作成。

昭和63年7月2日午前7時頃に、和歌山県伊都郡花園村 松永生寿さん(57歳)と新谷幸子さん(58歳)が茶畑で遭遇。       63.8.6サンケイ

昭和63年5月中旬 広島県甲奴郡上下町向黒瀬山の尾根道で、上下町小堀 上門 優さん(65歳)が遭遇。

昭和63年4月19日午後1時過ぎ、和歌山県日高郡龍神村の渓流で同郡印南町の夏見安三さんが釣りの途中で遭遇。     63.4.22読売新聞

昭和63年7月22日 秋田市仁別の妙見山で秋田市南通の福島彬人さん(59歳)が、ついで9月18日午後秋田市中通 鎌田吉浩さん(63歳)娘の和子さん(27歳)が登山道で遭遇。  1989.1.1さきがけ

昭和63年4月16〜17日 奈良県吉野郡下北山村でマスコミ29社、全国からの参加者230名で第1回ツチノコ探検が行われる。

昭和63年4月はじめ 福井県上中町安賀里で岡本唯志さん(43歳)が土手の草刈り中遭遇、ついで同所和田繁夫さん(62歳)が5月と7月の2度自宅付近で、ついで8月下旬の夜、高田幸子さん(51歳)が道路上で遭遇。

昭和63年9月23〜24日 奈良県下北山村で第2回ツチノコ探検。参加者83名

平成

1989.4.9三重県一志郡白山町南家城の通称松風園の山口商会榊原家城荘の敷地内で同荘の管理人岩崎 忠さん(63歳)ら二人がワラビ採り中遭遇。                       1.5.2伊勢新聞

1989年4月19日朝 和歌山県那智勝浦町色川の雑木林で同町小坂の苅屋富佐子さん(67歳)遭遇。

1989.4.22〜23奈良県下北山村で岐阜県東白川村・広島県上下町からの参加者を交え第3回ツチノコ探検が行われ、前夜祭でツチノコ共和国を宣言する。参加者141名

1989.5.3〜4岐阜県東白川村で奈良県下北山村・広島県上下町からの参加者を交え捕獲賞金101万円の第1回ツチノコ探検が行われる。

1989.5.13〜14広島県上下町で奈良県下北山村・岐阜県東白川村からの参加者を交え捕獲賞金300万円の第1回ツチノコ探検が行われる。

1990年7月11日午前8時半頃 京都府与謝郡伊根町管野 須川初子さん(72歳)が畦道で遭遇。                1990.7.14京都新聞

1989.7.16 宇治市白川上明の池の草むらで同市白川 小島亮一君(小3)矢野独太君(小6)・小島 渉君(小5)ら3人が遭遇。 1989.7.20洛南タイムス

1989.8下旬 京都府船井郡瑞穂町西方寺の小川妙子さんが境内で、ついで9月27日同町蔵谷の森田 勲さん(62歳)が自宅犬小屋脇に出現、犬とけんかをしているのに遭遇。   1989.10.13京都新聞

1989.9.23〜24 奈良県下北山村で第4回ツチノコ探検 参加者53名。

1990.4.21〜22奈良県下北山村で広島県上下町・新たに兵庫県三方町・和歌山県すさみ町からの参加者を交え第5回ツチノコ探検が行われる。これ以降下北山村ではツチノコ探検を自然観察にカモフラージュして「あなたも ツチノコ会えるかも?ツチノコ共和国夏の旅」として実施に変更。

1990.5.12〜13広島県上下町で奈良県下北山村・岐阜県東白川村からの参加者を交え捕獲賞金300万円の第2回ツチノコ探検が行われる。

1990.8.4〜5兵庫県美方町で第1回ツチノコ探検が行われる。捕獲賞品:別荘地100坪と建築用木材が発表される

1991年 和歌山県すさみ町イノブータン王国がツチノコに賞金100万円と副賞イノブタ1頭を発表

京津府瑞穂町でツチノコ探検を実施。

兵庫県千種町がツチノコ捕獲に賞金2億円を発表。

2000年 岡山県吉井町でツチノコ発見と騒がれるが、ヤマカガシの死体であった。

2001.6.8 兵庫県美方郡美方町で、幻のヘビ「ツチノコ」に似た動物が発見され、町が報道陣に公開した。美方町で発見・捕獲されたこの動物は、8月25日に「ヤマカガシ」との結論が発表されました。

2004.6.20 碧天舎http://www.hekitensha.com/木乃倉 茂著 「ツチノコ」出版

6.28佐賀県東松浦郡厳木町 草場久光氏の投稿
私の父が田んぼの畦でつちのこらしいのを見ました。体長約1m胴回り太さソフトボール位で、腹部が倍の大きさ、色が腹部金色、背中こげ茶色、鎌首約10cm程だったそうです。横に転げて動いたそうです。目に特徴があり約2年程前にも同じ場所で隣の人が見ています。隣の人が見た物体とまったく同じだそうです。


【資料の提供を受けた団体及び個人】

  • 出展@は、逃げろツチノコ 山本礎石氏
  • 出展Aは、幻のツチノコを捕獲せよ 山口直樹氏
  • 出展Bは、山がたり 斐太猪之介氏