奈良歴史漫歩番外号 南北200m以上に及ぶ飛鳥京苑池 橋川紀夫 |
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飛鳥京苑池遺構第4次調査現地説明会が2002年2月17日開かれた。半日間のこれまでに比べると小規模な説明会であったが、重要な事実が新たに付け加わった。 これまでの調査で東西に伸びる渡堤(長さ32m、幅5m、石積護岸)を境にして、形・造りの異なる南北の池が検出されている。これについては、「飛鳥の風景を引き立てる飛鳥京跡苑池」で詳しく書いたので省略するが、今回の調査は苑池の北限を確認することが目的であった。 渡堤から約130m北のトレンチで、南北方向の石積護岸が11mの間隔で向かい合って検出された。 東側は、飛鳥時代の護岸の1m内側に、藤原京時代の護岸が水路を狭めるようにして新たに設けられた跡があった。2つの護岸は、現状では高さ80〜100cm、30〜40cmの石を3、4段に積む。
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写真説明
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これらの護岸から北西方向に少し離れた場所で、東西方向の護岸が13mの間隔で向かい合って検出された。 北側の護岸は大ぶりの石を用いて、高さは120cm、3段に積まれてあったと推測される。 水路の底には飛鳥時代に堆積した80cmの土層があった。この堆積層から木簡が約30点出土している。さらにその上に90cmの黒い有機質の層があったが、堆積したのは10世紀から13世紀にかけてである。 苑池の北限は確定できなかったが、北池の延長である水路の北端が検出できた。南池の南端から測ると南北200mの規模を持つことになる。 |
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