小さい頃からずっと守ってきた。
当たり前のように傍にいて、妹みたいなのに兄弟じゃなくて。
見てるといつも危なっかしくて、大きくなってからも僕の横にいてもらわなきゃ心配でたまらない。
だっていつの間にか眩しい位に綺麗になって、誰かに攫われてしまいそうで・・・。

僕の天使――――



dear my angel  〜1〜




「何時まで寝てるの?授業遅れちゃうよ。」

遅れちゃうよ・・の一言が一気に僕を現実に引っ張り出した。

「え!!今何時?」
慌てて枕元に置いてある時計に目をやった。

「くすくす――うそうそ、まだ大丈夫だよ。けどいくら2講目からでもそろそろ起きないと。」
上から覗き込んでくすくす笑う声。長い髪が僕の頬をくすぐって、ふわりと甘い香りが漂う。
寝転んだまま彼女の首の後ろに手を回し思い切り自分の方に引っ張った。

「わっ!!・・・何するの?」
潰れるように僕に覆いかぶさってきて鼻を押さえてぷっとふくれる。

「何か付けてる?」
「え?ああ、さっきねお姉ちゃんがふってくれたの。もう大学生なんだからオードトワレくらいいいんじゃないって。臭いかな・・?」

自分で自分をくんくん嗅ぐ彼女を見ながら僕はもっそり起き上がってクローゼットへ向かって歩き出した。

「いい匂いだけど、ちゃんのイメージじゃない。」
「ふうん。じゃあ、どんなのだったらいいと思う?」
「別に何も付けなくても―――ねぇ、今日の化粧濃くない?」
「あはは、分かる?今日さ、新歓コンパがあるんだ。だから朝からお姉ちゃんにお化粧指導してもらったんだ。どう?」

大学生になってうっすら化粧を施してが僕の前に現れたとき、一瞬目を瞠った。
もともとの色の白さが尚引き立って、つやりと光る薄紅色の唇が妖艶なまでの色気を醸し出していた。
服装もこれまでと違って少しスリットが入ったタイトなスカートや胸元が開いたシャツを着るようになり、ついこの間まで制服を着ていた少女が女という厄介なにおいを漂わせ始めた。

「どうって、ちゃんには似合わないよ。」
「そう言われると思ったんだ。お兄ちゃんいつものメイクも気に入らないもんね。」

「分かってるんなら早くとっておいで。」

パサッ――僕はそう言ってに着ていたパジャマを投げつけた。

「はいはい。洗濯機入れとくわね。」

僕のパジャマを持って先に階下へ行くを見送りながら思う。
別にメイクが気に入らないわけじゃない。いや、本当は凄く綺麗だと思うんだ。
気に入らないのは少しずつ僕の手の中から飛び立とうとしていること。
いつまでも今のままではいられない。僕達はただの幼馴染だから。
その時期が近づいてきてる事を刻々と感じ、僕は不安で堪らなかった。


「卵、どうする?」
「ん・・スクランブル。」
「OK!」

勝って知ったるという具合でテキパキと調理器具や材料を用意する。
母や姉が留守の時、がこうして僕の食事の支度をするのは茶飯事のことである。
小さい頃から出入りしている彼女は、例えば勝手に上がりこんでリビングで昼寝をしていても僕達家族は何も気にならないほど我が家の一員になっていた。

「母さん何処行ったの?」
「お友達とお買い物ですって。何でも並ばないと手に入らないからって8時過ぎのバスに乗るって出て行ったわよ。」
「そう。でちゃんは姉さんに化粧を教えてもらうために朝早くからいるってわけだ。君も今日は2講からでしょ。」
「えへへ、だって早く来ないとお姉ちゃん、お仕事行っちゃうし。」
「新歓コンパに行くためのお化粧なわけ?」
「うん、まあ。だってやっぱり少しでも綺麗に見られたいじゃない。」

綺麗にってやっぱりも男にそう見られたいって事だよね。
もしかしてもう意中の人がいたりするのかな。
もし、そんな奴がいるって分かったら僕はどう思うだろう。冷静でいられるだろうか。

「新歓コンパってこの間入ったテニスサークル?」
「うん、そう。」
「テニスなら僕が教えてあげるのに。」
「お兄ちゃんじゃレベルが違いすぎるもの。それに休みの日は練習でしょう?」
「そんなこと・・・」

ない。といえないところが悔しい。
手塚や越前のようにプロとして活躍している訳ではないが、大学のテニス部に所属しインカレの常連選手として名前も残している。
その分、授業後や休日は殆ど練習や試合に追われる日々だ。
だから実際と一緒にいれるのは授業が始まるまでの朝だけだった。


「はい、できたよ。わ、サンキュー。おいしいんだよね。お兄ちゃんのミルクティ。」

が卵を調理している間にお茶の用意をした。
見た目はずいぶん大人びてきたけど嗜好は小さい頃のままだ。

「くすっ、相変わらず甘党だね。砂糖スプーンに3杯だよ、それ。」
「どうせ、お子ちゃまだって言いたいんでしょ。だったらお兄ちゃんと一緒のハーブティ入れてよ。」
「苦手なの無理して飲んでまで大人にならなくてもいいんじゃない。今のままで可愛いよ。」
「・・・そう?えへへ。」

僕が笑って言うとちょっと照れたようにもにっこり微笑んだ。
首を少し傾げてはにかむように笑うとこも昔とちっとも変わらない。
本当に大人になんてならなくていい。幼いままでいい。

ずっと僕の傍にいればいい――――







「おはよう、お二人さん!」
「あ、おはようございまーす。」
「おはよう、英二。」

キャンパスで僕達を見つけた英二が駆け寄ってきた。
いつもより少し気合の入れた装いのを見て短く口笛を鳴らす。 

「お洒落して、まさかデート?」 
「残念だけど、ただの新入生歓迎コンパです。」
「へぇ、でもいい男ゲットのチャンスじゃん!」
「ふふ、そうそう。だからこんなに頑張った!」

冗談なのか本気なのか、二人の軽々しいのりに僕はちょっとむっとした。

「門限8時だよ。遅れたら承知しない。」
「ちょっ・・何それ?集合6時半だよ。8時に帰れるわけないじゃない!」
「だめ、8時!ちゃんと確認の電話するから。」
「冗談っ、横暴だよそれ!!何でそんな・・」

タイミング良くの言葉を遮るように2講目の予鈴が鳴る。

「ほらほら時間だよ。早く行って!」
「あん、もうっ!」

ぷぅっとふくれて渋々行きかけるに僕は更に追い討ちをかけるように言う。

「いいね、8時だよ!」

振り向きざまに僕に向かっていぃ〜〜〜っとしては走って校舎のほうへ向かった。


「ははっ、厳しいね。可哀想にちゃん。」
「これくらいで丁度いいよ。サークルの新歓コンパの目的なんていい加減なもんだし。」
「そりゃそうだけど、もう大学生なんだしさ。8時門限なんて今時高校生でも守らないっしょ。」
「でも何かあったら・・」
「あのさあ、心配なのは分かるけど、そのお父さんみたいなのやめた方がいいよ。ちゃんがどういう娘か不二が一番知ってるんじゃん。もう少し信用してあげてもいいんじゃないのかなあ?」
「僕は・・・・。」

言い返す言葉がなかった。
お父さんなんて意識は全くない。勿論お兄ちゃんでもないつもりだ。僕は一人の男としてを想ってるだけだ。

でも―――こういうの束縛って言うのかな。

兄貴なんて真っ平ごめんだけどにとっては『お兄ちゃん』なわけだし。
彼氏でもない奴からこんな事言われたらやっぱ窮屈だろうなあ。僕ならやっぱり窮屈だ。
はどう思っているんだろうか。






ブルルルルルル〜

、ケータイ震えてる。」
「サンキュ。メールみたい。」

お兄ちゃん?何だろう・・・。


『門限9時。時間厳守!!』

「ぷっ、くっくっく・・。」
「何一人で笑ってんのよ。」
「ごめ・・。だって・・」

・・だって1時間くらいたいして変わんないわよ、お兄ちゃん。

「ねえ、今日の新歓、途中で帰るわね。」
「え?嘘ー何で?結構楽しみにしてたじゃない。」
「まあね、でもパパがうるさいから。クスクスクス―――。」
「???」





テニス部での練習を終えた後、僕は英二と軽く食事に出た。

「今日もきつかったにゃ。」
英二がドサっと身体をテーブルに投げ出して項垂れる。

「今日もハードに飛び回っていたしね。」
アクロバティックに動き回るプレイスタイルは中高からちっとも変わらなかった。

「その分疲れるにゃ。俺も不二みたいに涼しげなテニスしようと思うんだぜ。でもつい身体が反応しちゃってさ。」
「ははっ、まるで僕は身体が反応してないようじゃないか。」
「そうじゃないけどさぁ、回転とか自由に操っちゃって、必死にやってるようには到底見えないし。」
「これでもいっぱいいっぱいなんだけど。」
「嘘付けー!まあ、努力してんのも知ってっけどさ。でもやっぱ勿体無いなー。手塚やおチビみたくプロにだってなれそうなのに。」
「買い被りすぎだよ。僕がやっていける世界じゃない。」
「そんなことないだろー。スカウトだってされたくせに。」
「もう随分前のことだよ。それに遊び半分って訳じゃないけど、あくまでも『楽しみ』の範疇でやっていたいんだ。だから今のままで十分だよ。それに・・ずっと東京にいたいし。」
「もしかして・・・ちゃん?」
「・・・・何言ってんの。うちは父さんが海外赴任してるだろ。裕太も寮生活だし、きっともう家には帰って来ないんじゃないかな。その上僕までいなくなったら母さんが可哀想だからね。」
「母さんねぇ、まあ、不二は家族想いだから。でもちゃんのことはどう思ってるわけ。やっぱさ、好きなんじゃないの・・?」
「ただの幼馴染だよ。」
「幼馴染ねぇ・・。」


疑い深そうに覗き込んでくる大きな目。
だって本当に僕らはただの幼馴染だもの。
それ以上でもそれ以下でもない。
にとっての僕の存在は―――


「だったらさ、言っちゃってもいいかな。どうしようか迷ったんだけど・・」
「何?」
「うん。ちゃんが入ったサークルって『あぷりこっとくらぶ』とかいうお遊びテニスのサークルだろ。さっき聴いたんだけどあんまりいい噂ないみたいだぜ。男子の会員はチャラ系の奴が多くってテニスってのは名目で実際は女の子目的のサークルだとか。」
「それ、ホント?英二・・。」
「うん。同じ学部にそこの会員だったやつがいんだけど、やっぱそういう奴でさ、女の子をおもちゃみたいに言ってんだ。就活があるからさ、2回生に代替わりしたみたいだけど・・・ちょっと不二、怖いって!」

自分でも分かる。鬼の形相とはきっと今の僕のような表情を言うんだろう。
僕はわなわな震える手で携帯をとった。

9時23分――
に指定した門限はとっくに回っていた。
迷わず登録してあるの自宅を選択した。

「もしもし周助ですけど、ちゃんは?」
「あら、今日はなんでもサークルの歓迎会があるとか、周ちゃん聞いてない?」

ということはまだ帰ってないんだ・・・。

「すみません。ケータイの方に掛けてみます。」

挨拶もそこそこに電話を切って、即、ケータイの方に掛けかえる。

プルルプルルプルル〜〜〜〜〜
呼び出し音が続いた後、留守番サービスに切り変わった。

「僕だけど、今何処にいるの?すぐに連絡して。」

メッセージは録音したもののすぐに連絡がくるはずもなく。
とりあえずメールも送信してみたけど梨の礫だ。

「英二、悪いけど先に帰るよ。ごめん。」
僕は食事代を適当に置いて、そそくさと荷物をもってその場を去った。


「なーにが『ただの幼馴染』だよ。普段は冷静なくせして、不二って分っかりやすー。こんなにお金置いていってくれちゃって、どうもご馳走様。」








の言っていた店の前にやってくると、ちょうどサークルの人間らしき集団が出てきた。
僕はその中にの姿を探す。
ふいに後ろから誰かが声を掛けてきた。

「先輩?やっぱり先輩だ。を迎えに来たんですか?」

の中学時代からの親友だった。
とは随分違うタイプの女の子だったがそれが反って引き合うらしくいつも一緒につるんでいる。
このサークルもそういえば彼女に誘われて入ったとか言ってたっけ。
けれど彼女の側にはいなかった。

ちゃんだっけ、ちゃん何処?」
「とっくに帰りましたけど?せっかくの新歓だし最後までいようって止めたんだけど、これより大事だからって。」
「帰った?」
「そうなんです。先輩のとこ行くのかと思ってたんですけど。何の用だったのかしら、2次会もあるってのに勿体無い!」


彼女の言葉ではっとする。自分は計算外だった。門限9時だの、時間厳守だの言ったのは他ならない僕自身。

「サンキュ、ちゃん。2次会行くと遅くなるよ?お父さんが心配しないうちに帰りなさい!」
捨て台詞のように吐き捨てて僕はタクシーに飛び乗って自宅へ向かった。

「ふーん、お父さんねぇ・・。」
「ねぇねぇ、今のってテニス部の不二さんよね。知ってるの?」
「ああ、中高からの先輩だから。」
「いいなあ、知り合いだなんて。超かっこいいー。紹介してよ。」
「あの人はだめだよ。大きな娘がいるもの。」
「え?マジ、子持ちなの!!」
「そう。大学生の大きな娘。」






バタンッ!!
ドドドドドド―――

バンッ!!


「何、今の音、周助・・?」
「ちょっと見て来るわ。」


家に着いた僕はわき目もふらずに階段を駆け上がり勢いよく自室のドアを開けた。
僕の無作法な行動に不平を言いながら姉さんが後から上がってくる。

「ちょっと何なの?ただいまくらい言いなさいよ。」

けれど僕は目の前の光景に姉の言葉を無視して続けた。

「ねぇ、いつからいるの?」
「え?ああ。そうね、ちょうど番組が終わる前だったし8時40分くらいかしら。周助が帰るまで部屋で待ってるって言ってたんだけど、待ちくたびれちゃったみたいね。」


家にいないと思ったら、こんなとこにいたなんて。
ケータイも繋がらないはずだ。

僕のベッドから気持ちよさそうにスースー寝息が聞こえていた。




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1話完結のはずだったのにおかしいなあ。次回はヒロイン視点になります。
ところで、大学にチャイムなんてあったっけ・・・・?遠い過去・・忘れました。