dear my angel 〜2〜




「おはよう、周助。」
「おはよう、母さん、姉さん。」

不二家の朝、すっかり支度を終えてリビングにお兄ちゃんが入ってきた。
チラッとこっちをみて「おはよう、ちゃん。」とにっこり笑う。
いつもと変わらないその態度にほんの少し安心した。

「えへへ、おはようございます。」
朝からここに来るのは珍しいことではなかったけど、目覚めた瞬間からいたことはとても気恥ずかしかった。
きっと私が眠りこけてる姿もばっちり見られたに違いない。
いくら小さい頃からの付き合いとはいえ、やっぱり血の繋がった兄弟とはちがうわけだし、
今更そんなことで嫌われはしないだろうけど、こんな私のことお兄ちゃんはどう思ってるのかしら・・。



「ねぇ。どしたの?どこか痛いの?」
付け根を押さえながら首を右に左に傾けているお兄ちゃんが少し気になった。

「う・・ん。少しだるくてさ。」
「肩凝りじゃないの?お兄ちゃんも年だね。」
「昨日さ、いつもと違う枕で寝たからね。誰かさんが僕のベッド占領してたから。」
「・・・・・・あははは、そうでした。」


昨夜、新歓コンパを途中で抜けて帰って来た。
「9時門限!」なんて言うから、もしかしてお兄ちゃんも早く帰ってるかもってちょっと期待したわけだ。
けれどやっぱりいなくって、練習だから仕方ないんだけどちょっぴりがっかりした。
それでも確認するって言ってたし、すぐに帰ってくる可能性だってあるしって部屋に上がりこんで待ってたけれど、結局9時になっても電話もなかった。
後15分待ったら帰ろうと、ベッドに座って時計の針が動くのをぼんやり見つめていた。9時10分過ぎまでは覚えてる。
でも次に気がついた時、漏れる明かりもなく一面が真っ暗で今が夜中だと気付くのにそんなに時間は掛からなかった。
ベッドサイドのライトをつけると横にお姉ちゃんのパジャマがおいてあって、そのまま泊まってしまったことを自覚した。
そして朝、シャワーと洋服を借りて、朝食までもご馳走になり、今に至るわけで。


「・・・・・ごめんねお兄ちゃん。」

ちょっぴり自己嫌悪な私を見て、
「何言ってるの、冗談だよ。それにあの枕寝心地いいんだ。ぐっすり眠れたんじゃない?」とフォローしてくれた。

お兄ちゃんは昔から絶対に私を責めるようなことを口にはしない。
そう分かっていてもこういう風に言ってもらうと気持ちも楽になる。

「うん、まあね。私、じゃりじゃり枕苦手なんだ。お兄ちゃんのはふわふわしてて気持ちいいよね。」
「だろ?」

ぐっすり眠れたのは他に理由がある。
でもお兄ちゃんには敢えて枕のせいにしておきたかった。




もう少しここにいたい―――





「この不良娘、おかえり。」
開口一番母が言う。とはいえ、本気で不良とののしった訳ではなく。
不二家とはこれ幸いに親同士も仲良がいい。きっとおばさまが昨夜連絡を入れてくださってるだろうし、自分の両親には朝帰りも大して罪悪感はなかった。
別に道外れたことをしたわけでもあるまい。私は淡々と昨夜のことを母に話した。

「つい眠っちゃったみたいで、気付いたら夜中だったの。皆寝てたみたいだし、こっそり帰るわけにもいかないでしょう?」
「当たり前でしょう。起こすの可愛そうだからうちで預かるって連絡くれたのよ。そんなことしたら余計ご迷惑だわ。」
「だから帰らなかったじゃない。あ、一応お礼言ってきたけど、お母さん後で電話しておいてね。」
「分かってますよ。でもあなた夕べ何時に行ったの?幾ら親しいからって非常識な時間にお邪魔しちゃだめよ。」

確かにお邪魔したのは夜だったけど、今までの付き合いから考えて非常識といわれるほどの時間でもない。

「8時半頃だよ?」
「嘘言いなさい。9時半前に周ちゃんから電話あったんだから。」
「え?・・」

私は慌てて携帯をとりだした。
未読メールが3通に留守録2件、全部お兄ちゃんからだった。

そっか。まさか自分の家にいるだなんて普通思わないか・・。

「こらっ、笑うとこじゃないでしょう!」
「別に笑ってなんかないよ。ちゃんと反省してまーす。」

心配させてお兄ちゃんには悪いと思う。
思うけど―――――

私は軽快な足取りで自室へ着替えに行った。





「機嫌いいね、。」

母に散々顔がにやけてるって言われ、ムキになって否定してきたというのに、にまで突っ込まれた。

「そんなことないってば!」
「だって、目がこーんなになってるよ。何か言い事あったんでしょ?」

目尻を下に引っ張って私に向かってにやけた目元を見せ付ける親友。

「ねぇ、教えなさいよ。夕べ行ってたとこと関係あるんじゃないの?」
「夕べ?」
「新歓より大事な用があったんでしょ。パパがうるさいなんて冗談よね。のお父さんってそんな事言わないでしょう?」
「まあ、あの人はね・・。」

父は今時の人というのだろうか、放任ってわけじゃないけど交友関係に口を挟む人ではない。勿論、恋愛に関しても同じ。それどころか私が彼氏を連れてくることを今か今かと待ち望んでるぐらいで。彼氏と旅行!なんていっても普通に「行ってらっしゃい。」とか言いそうだし。
はそれを知っている。いつも『いいなあ、いいなあ』ってうるさいくらい。

「パパはパパでも違うパパがうるさいの。お兄ちゃんちにいたのよ。が期待するようなとこ行ってないわ。」
「な〜んだ!やっぱり先輩かあ。じゃあ、入れ違いになっただけなんだ。つまんない!」
「つまんないってどういう意味よ。・・・ねぇ、入れ違いって?」
「聞いてないの?先輩、昨日店の前まで来たのよ。先輩のとこじゃないんだったら男でもできたかなって思ってたんだけど、ちぇっ、期待はずれ。」
「それで?」
「それでって、それだけよ。がいないって分かったら私にも早く帰れって言って、行っちゃったわ。でもそんなものなの?私は幼馴染なんていないからよく分からないけど、実の兄にもそんなに気に掛けてもらったことないわよ。気に掛けられても鬱陶しいだけだし。はさ、そういうの嫌じゃないの?」
「嫌って、どうして?」
「どうしてって・・、例えばさあ、もしこれからあんたに彼ができて、デートをいちいち規制されたらどう思う?」

は溜め息を吐きながら熱論しだした。
要するに彼女は単なる幼馴染に私の行動をあれこれ監視される筋合いはないのでは?と言ってるわけだ。

「規制だなんて。私のことを思って言ってくれてるんだよ?」
「そりゃそうだけど、彼氏でもないわけだし。」

彼氏じゃない・・そんなことわざわざ言われなくても分かってる。
お兄ちゃんは幼馴染として妹みたいに心配してくれてるだけなんだ。
ううん。なまじ血の繋がりがない分、兄弟なら面倒でやらないようなことまで引き受けてくれてるのかもしれない。
もしお兄ちゃんに彼女がいたら私になんて時間を費やしてる暇なんてきっとない。
そしてそんな日が明日に来たっておかしくない。

「ちょっと、何泣いてんのよ。」
「別に泣いてなんか・・。」
「あ〜〜もう、しょうがないなあ。そんなつもりで言ったんじゃないんだって。ごめん。」
「ちがっ・・のせいじゃ・・。」

泣くつもりなんてなかった。
泣くような事何ひとつ無い。
でもお兄ちゃんに彼女・・・想像するだけで悲しくて。
いずれ私はお兄ちゃんの彼女になる人を知るだろう。
隣に並ぶ女性をずっと近くで見つめることになる。
そしていつか結婚式なんてものにも呼ばれるかもしれない。

だって幼馴染だから。切っても切れない関係―――


「そんなに好きなの?」
「・・何・・が・・・?」
「先輩よ。大事なお兄ちゃん。何となくそうかなって思ってたけど、親友のくせに何にも言わないんだもん。協力しようもないじゃない!だからちょっと鎌掛けてみたのよ。いつから好きだったの?中学?高校?」
「・・もっと・・もっとずっと前・・・。初恋・・だから・・。」

蚊の鳴くような声の告白には短い溜め息を吐いて
「ほんと、バカな子ね。」と私の頭をぽんと優しくたたいた。



授業の後、構内のテニスコートでと一緒にお兄ちゃんが練習する姿を見ていた。
中、高等部もそうだったけど、青学はテニスでの名門校、いつもコート周辺はギャラリーで埋め尽くされ、お目当ての選手に向けて黄色い歓声が上がる。

目線の先がお兄ちゃんである女の子も珍しくはなかった。

「それにしても不二先輩、相変わらずの人気ね。」
「そうだね・・。」
「テニス強いってだけでもファンはついてくるもんだろうけど、加えてあの容姿でしょ、やっぱ目を惹くよねぇ。」
「・・そう・・だね・・。」
「この間の新歓でさ、ほら、外部から来たグループがあったじゃん。先輩が私と喋ってるの見て、目ざとくチェックしてきたわ!」
「・・・・・お兄ちゃんもてるから―――痛いっ!!何するの?」

行き成りが背中を思いっきり叩いた。

「もう、何小さくなっていってんのよ!!そんな事でどうするの?」
「だって・・。」
「はぁ〜〜っ、周り見てご覧。」
「何、怒って・・・ねぇ、皆がこっち見てるよ、何で?」

周りの女の子達の目が一斉に私とに向けられているような・・・。気のせい?・・・じゃない。
私は自分の周りに興味を惹くようなものがあるのかとキョロキョロ見渡してみたけど何もない。
私たちが見られてるってこと?

「ねぇ、何かおかしい?ファスナー開いてないよね。は?大丈夫よね。」

焦って自分の服装に不備がないか確かめて、人の服まで心配してる私に「ばぁか!!あれよ、あれ!」とはコートの方を指差した。

「え、何?・・・・・あ、お兄ちゃん。」

コートからお兄ちゃんがこっちに向かって手を振っている。

「ほら!!」
が早く振り返せとまたもや背中をばしばし叩いた。

「え?あ、はい。」
私が慌てて手を振ると、コートの向こうからにっこり笑顔が返って来た。

注目を浴びていたのはやっぱり私達・・・じゃなく私だった。
私自身がというよりお兄ちゃんが手を振った相手を皆見ていたわけだ。

「もう少し自信もったらどう?少なくてもここにいる不特定多数の女の子よりはずっと先を走ってるって私は思うわけよ。」
「先を走ってるなんて、私は単なる――」
「幼馴染って言いたいんでしょ?それは分かるよ。でもはこんな大勢の中から見つけだして手を振ってもらえる存在なんだよ。彼女らにとったらさ、それが幼馴染だとしてもあんたは羨望の対象なわけよ。それにね、もし先輩に彼女がいたら、先輩にとっての1番はその人かもしれないけど、恋人はいないんでしょ。だったら今のところ先輩の1番はじゃない。」
「そんな、順番なんて・・。」
「だから、例えでしょ、例え!実際はどの女の子よりも先輩に気に掛けてもらってるじゃない。」

気に掛けてもらってる・・・か。改めて言われると確かにそうかもしれない。普段当たり前になっていたけれどずっと大事にしてきてもらった。お兄ちゃんはどうして私なんかに構ってくれるんだろう。の言うとおり、私がお兄ちゃんの1番なの?ちょっとは期待してもいいのかな・・。

「そっか。」
「うん、そうだよ。この際、幼馴染を利用して我侭言っちゃいなさい。」
「我侭?」
「そう。手始めに映画にでも連れてってもらうのよ。デートよ、デート!」
「だめだよ。練習があるもの。」
「我侭なんだからそんな事気にしなくていいの。どうするかは先輩が決める事よ。細かい事までが考える必要ないわ。善は急げ!早速今日取り付けてくるのよ。」
「そんなあ〜〜〜。」





なんだかの勢いに押されて私、お兄ちゃんを待ち伏せしてるわけなんだけど。

『いい?今日帰ったら絶対報告しなさいよ。結果はどうでも逃げだけはだめだからね。』

「人事だと思って・・・。」


どうしよう。もうそろそろ出てくる頃だ。やだなあ、なんでこんなに緊張してんのよ。いつもの通りに、リラックス、リラックス。

「何ぶつぶつ言ってるの?」
「ぎゃあ!!」

後ろから急に声を掛けられて、振り向いたら待ち人その人で、びっくりしたのと緊張とでとっさに出たのが『ぎゃあ!!』だった。

「ぎゃあって・・・」
「ご、ごめ・・・」

「やあ、ちゃん!待っててくれたのん?」
「先輩!!」

ああ、菊丸先輩がメシアさまに見える。よかった。お兄ちゃんと一緒に出てきてくださった事感謝いたします。との約束をクリアしたわけじゃないけど、とりあえず一呼吸おけそうだ。

「じゃあ、不二、ちゃんこれで!」
「また明日、英二。」
「はい、さよなら・・」ってえぇ〜〜〜!!!なんでここで去るかなあ。

「なんで?一緒に帰らないの。」
「うん。友達と食べに行ってから映画だって。」
「え、映画ぁ〜〜!?」

心臓に悪いよ〜〜、この展開。

「随分驚くね。どうかした?」
「あはは、いやその、ご飯食べてからじゃ遅くなるなーなんて・・。」
「大丈夫だよ。9時半からってのがあるんだよ。」
「そ、そう・・。お兄ちゃんは行かないの?」
「うん。特別見たいのもないしね。」

撃沈・・・。
だめです、さん。この前触れで映画に誘える人っているんでしょうか。よっぽど勇気がおありか、身の程知らずか、我侭な・・・

・・・・わがまま?

そうだ、は私に我侭になれって言った。幼馴染ならそれを利用して甘えろって。
よくよく考えたら映画に誘ったからって嫌われるだろうか。そんなことはきっと・・ううん、絶対ない。
結局、私は断られるのが怖いだけ。どんな理由であろうと拒絶された気になるのが怖いんだ。
だけど、このままじゃずっと・・・。たとえお兄ちゃんが違う誰かを選ぶ日が来てもそれを悲しむ権利もない。
後悔したらいいんだ。あの日あんな我侭を言ったっていつかどうどうと悔やめるように一歩踏み出さなきゃいけない。

「・・見たいの。」
「え?」
「私は見たいの・・映画。お兄ちゃんと・・一緒がいい。」
ちゃん・・。」

私は何となく気まずくて下を向いてしまった。だけどお兄ちゃんがどんな顔をしてるか想像がつく。困った表情でどう断ろうか考えてるはず。優しいから私を傷つけないような言葉を選んでるんだ。テニス休めないのは仕方ないし、菊丸先輩みたいに夜中の映画は無理があるもの。

「ごめんね、無理なら・・」
「いいよ。」

ほぼ同時に言葉が出た。

「・・・え?」
「いいよ。何が見たいの?」
「だって、テニス・・・」
「別に、いいよ。一日くらい大丈夫。」

何だか拍子抜けするような展開。私の我侭は我侭にならないほどいともあっさり受け入れられた。

「で、ちゃんは何が見たいの?」
「えっと、その、ク、クレヨンしんちゃん!」

何が見たいか先にリサーチしておくんだった・・。


ぷっ―――
「お腹すかない?何か食べに行こうよ。そこで何見るか決めようね。くっく――」

軽く握った手を口元にやってくつくつと笑い続けるお兄ちゃん。

見透かされてる・・。
でもそれでもいいってこと・・だよね?


「そんなに笑わないでよ。」


私はむっとした表情で手を伸ばしそっと腕を取った。
お兄ちゃんは一瞬驚いた顔をしたけれどすぐににっこり笑ってくれてそのまま歩き出した。



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