最後の恋 1
「ねぇ、周〜今晩さ・・・」
「行かない」
友人Aが何かをねだるような目つきで話しかけたことを不二は最後まで聞く前にきっぱり断った。
「まだ、何にも言ってないじゃん」
「でもどうせそうなんでしょ」
「う・・ん、。ねぇ〜、やっぱりだめぇ?・・。」
やっぱりって分かってるなら最初から声なんて掛けてくるな。
心の中で憎まれ口を叩きながら
「だめだめ。ああいうの好きじゃないの」とさらっと笑う。
「もう、なんでなのよ!周なら時の華になれるの間違いないよ」
「それなら君達にとっても行かない方がいいでしょ?とにかく僕は興味ないから。」
友人Aはぶつぶつ不服そうに次の獲物を探しに消えた。
合コンか・・・くだらない。
よくこんなに次から次へとコンパの話があるなと溜め息がもれそうになる。
さすがお嬢様学校として名高い女子大だけの事はある・・・大したものだ。
不二は高等部を卒業後青学を出た。
現在は母の母校である女子大へ通っている。といっても大学生活ももう終盤、次の春で4回生になろうとしている。
成績は何の問題もなかった。男女共にテニスにおいては名門校の青学、そのまま内部進学すれば今まで共に汗を流してきた仲間と更に高い目標を目指すことができただろう。
インカレ出場も夢ではなかった。
それなのに何故―――
中学、高校と慣れ親しんだ学校や仲間と別れ、お嬢様軍団が通うような女子大を選んだのか。
どうしても行きたい学部があったからではない。
母の母校に憧れていたわけでも・・・
不二が青学を去った理由、それは『もう恋はしたくない』だった。
女子大ならばその辺りは簡単にクリアできると思っていたのに、入ってみて自分は事を知らないことを思い知った。
共学に通うよりもずっと男達の目線がある。
どこから聞きつけるのかちょっと可愛いと噂になるような学生は、タレントさながら隠し撮りや待ち伏せの攻撃をうける。男子禁制の構内に他校の女子大生が橋渡しに侵入してくることもあった。もちろん同校の学生ですら侮れない。暇があれば何処そこ大学の誰それが・・と話を持ちかけてくる始末だ。
高校時代ミス青学を張っただけあって、不二も例外ではなかった。
門から出て駅まで歩く間に毎日毎日何人声を掛けて来ただろう。酷いときはご丁寧に家の前まで迎えに来てくれることもあった。
これだけの容姿を持ちながら全く男っ気がない・・そこがまた男の征服欲をかきたてるのか、噂を聞きつけた男達がここぞという手段で不二を落としにかかった。
だが、当の不二は幾多のモーションも物ともせず、合コンすら参加することがなかった。
不二のその態度も年月を重ねて今更なのだが、それでも諦めず仕掛けてくる輩はいる。
次々とコンパのお誘いがあるのもそういうわけだ。
全く男という生き物は、他に考える事はないのか。
失望の溜め息が出る毎日だったが、別に恋愛を馬鹿にしているわけではない。
男と女が惹かれあうのは当然の事、だからコンパでも軟派でも自由にやってくれたらいい。
ただ、自分はもうその一線からは逃れたい、それだけだった。
構内の購買でふと一冊の雑誌の表紙が目に飛び込んできた。
「あ・・・」
思わず手にとって表紙を捲る。
トップページに堂々と掲載されている記事と写真。
雑誌を持つ手が僅かに震えた。
「珍しい!周が男の写真、見入ってるなんて。雨降るんじゃない?」
突然のその声に驚き振り返る。
友人が横から覗き込んで興味有り気ににやけていた。
「別に、そんなんじゃないよ。テニスやってたからちょっと興味あっただけ・・」
「なーんだ。おかしいと思った。でもさ、なんでテニスやめちゃったの?随分強かったって聞くけど」
「う・・ん。もう、疲れちゃった・・のかな。毎日がそれだけで終わっちゃうから」
「ふーん。ならさ、それだけで終わらないように合コン行こうよ〜」
また始まった。所詮彼女達の頭にあるのは男のことだけ。
不二がテニスをやめたことなんて興味対象外なのだ。
不二にしても理解して欲しいなんて気持ちはさらさらない。
ここには不二とテニスを結び付けて考える人間は誰一人存在しない。
不二にとってそれはありがたいことだった。
「しつこいなあー、もう。いい加減諦めてよ。どんなに言われたって行かないから。これからもずっとだよ」
くすくす笑いながらもきっぱり断る。
「何でなのよぅ、つれないんだから」
「まあまあ、ゼミ始まるよ」
持っていた雑誌を元に戻し、友人の肩に手を添えて講義室へと促す。
何でなのよ―――
理由がその雑誌に映る男にあることを知る者はいない。
「買わないの?」
「うん、いいんだ」
不二はもう一度表紙に映る懐かしい顔をちらっと見て、足早にその場を去った。
何で今更――せっかく忘れられると思えるようになったのに・・・。
出会いは9年前。
女子部と男子部に別れてはいたが同じテニス部の仲間としてたくさんの友人と共に頑張っていた。
いつの間にかそれぞれのナンバー1の地位に付き、互いに不動の強さで定評を得るようになった。
周りからは常に絶賛され、試合に行けば注目の的、結果への大きな期待、とても光栄なことではあったがそれはそれで心痛も増えた。
後からでてくる優秀な新人選手、負けられないプレッシャーと常に隣り合わせでラケットを握る。
自分は一体何と戦ってるのか、考えれば考えるほど追い込まれていった。
それを救ってくれたのが彼の存在。
同じ立場に居るだけに誰にも分からないことを理解してくれた。そして不二も彼を誰より知っている――そう信じて疑わなかった。
いつの間にか仲間を超える存在、所謂「恋人」と呼べる間柄になった二人。
テニスの実力は二人とも未来のプロとして目を掛けられるほどもの。
互いを思いやり理解し合える関係、その上モデル顔負けの容姿で、溜め息が出るほどとなれば誰しもが納得せざる得ないカップルだった。
中等部で男子は見事全国大会優勝を遂げる。
その注目度ももちろんだったが以前からあったテニス留学の話を彼は受けることに決めた。
「留学・・?」
「ああ、お前には淋しい思いをさせると思うが、だが俺は――」
「行ってらっしゃい!君がプロになることは僕の夢でもあるんだ。ちょっとくらい淋しくても平気」
それは不二の本心だった。
彼が居ないことは淋しいだろう。その時はそんな生活を想像することなんてできなかったけど、でも自分達は大丈夫。距離はあっても心で繋がっている、そんな自信があった。
「ありがとう、不二。俺は必ずプロになる。そして確かな実績ができたらお前を迎えに来る。それまで待っていてくれるか?」
「もちろん」
今から思えば中学生がほざく戯言にしか思えない。
たかが15やそこらのガキんちょが一丁前のことを言って夢を見ているだけに過ぎないような。
それでも二人は真剣だった。
彼のその言葉を糧に淋しいの一言も洩らさず頑張った不二。本当は会いたくて会いたくて仕方がなかったのに。
そして高等部に入った年、見事インターハイ優勝の栄光を手に入れる。
1年生では稀に見る好成績だった。
留学先での彼の成長も著しく、目覚しい速さでプロとして活躍しだし、日本人としては史上最年少の16歳で世界4大大会といわれる舞台に立つことになった。
その成績も期待以上のものであり、テニス界に現れた東洋若手ホープの期待の星と世界が騒ぎ出した。
不二は彼の活躍を心から喜んだ。
会いにこそ行けなかったが雑誌やテレビで彼の姿を見つけるたび、彼が自分を迎えに来る時が日一日と近づいていくような気がして必死でスクラップを集めたものだ。
その彼が突如姿を消した―――
皆の期待を一身に背負って現れたホープ。
不二も皆と何一つたがわずテレビに噛り付いて観た試合――、
しかしその結果は1回戦、格下選手との対戦での敗退。
実力だけでは勝てない、そういう世界。
その時の体調、気分によって左右されるのはどんなスポーツもそうだろう。
トップシードの選手だって思わぬ敗退を帰することは珍しいことではない。
まだ精神的にも未熟とされる新人選手の敗退なんて特に気に留められることもなく、今までが寧ろラッキーだったのだと周囲の評価も淡々としていた。
確かに彼は年若く未熟といわれても仕方のない年齢だ。
だが精神的に左右されてあそこまでミスを繰り返すなんてことは彼に限ってどう考えても有り得ない。
不二は彼という人を分かりすぎるくらい分かっているからこそ、このときの試合は明らかに身体に異変があったことを感じ取った。
悪い予感が頭を過ぎる。思い出すのは中学3年の関東大会。
まさか―――肩の・・。
しかし不二はその真相を確かめるすべもなかった。彼との連絡が一切途絶えてしまったのだ。
電話をかけてもメールを送っても返答がなかった。
そのうち手紙すら宛先不明で戻ってくるようになり、頼りであるの彼の実家も訪ねてみたが、
「ごめんなさい。誰にも言うなって、口止めされてるの」
「・・・お願いします」
見っとも無いことは承知で泣きながら頭を下げて頼んだ
「周ちゃんが心配してくれるのは分かってるの、でも・・ごめんなさい。許して頂戴。」
しかし返ってくる答えは謝罪でしかなかった。
きっと彼の母親も苦しかったのだ。不二に居場所を伝えたら息子は本当に何処かへ消えてしまう・・そんな母の直感が働いた。
不二もその気持ちを痛いほど感じ取り、それ以上我侭を押し通すことは出来なかった。
今こそ彼の傍で力になりたいのに――そんな望みも成すすべもなく時は無駄に過ぎるだけ。
自分の無能さに焦燥するばかりの毎日の中、一本の電話が音を立てた。
「俺の事はもう待たなくてもいい。お前の人生を生きて欲しい」
短くて簡潔な内容。
もう待たなくていい――つまり彼のこれからに不二は必要ないと宣告されたも同じだった。
不二が色んな手段を通じて彼の居場所を突き止めようとしてることを、居たたまれなくなった母親が彼を動かしたと思われる。
ただ、この日を境に不二は心の底から笑わなくなった。
違う大学へ進むと言った時、当然同校へ行くものと信じていた仲間達は皆驚き、考えを改めるように説得したが不二の決意は固かった。
特に仲がよかった菊丸は目に涙を溜めて懇願した。
「俺が不二を守るからさー、傍にいるからさー。ずっと一緒にテニスしようよ」
「ごめんね、英二。僕、テニスはもう・・。ホントにごめん」
不二がテニスを辞める。
信じられない台詞だった。
インターハイ3連覇。最後の年は彼の行方を心配しながらも僅かな期待を持って臨んだ。
そしてその偉業を見事成し遂げた不二。そのままプロデビューすることも不可能ではなかった。いや、実際たくさんのスカウトの話もあったのだ。
その不二が、テニスを辞めるなんて・・・。
信じたくないことだった。
でも現実は目の前にいる不二。
無理に笑顔を作ってはいるがその実、精も根も尽き果ててひとりぼんやりしてることが多くなった。
その原因が誰にあるか、それが分かってるだけにこれ以上不二を引き止める事は酷としか言いようがない。
テニスを離れて、青学を離れて不二が彼から解放されるなら、その方がいいのかもしれない。
それから約3年―――
夏の終わり、彼は再び舞台の最前線へ現れる。
全米オープンのトーナメントが発表されたその中に彼の名前があった。
K.TEZUKA
思わずスペルを口にのせる。
「て・・づか・・・」
忘れかけていた想いが蘇る。
20歳の夏――
彼の復帰第一戦は見事優勝で幕を閉じた。
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