最後の恋 2
「お見合い?・・・僕が?」
母からの急な話で持っていたサボテンを落としそうになり慌てて抱えなおした。
「ええ、本当は由美子へのお話なの。だけどあの子どうしても嫌だって。全く言い出したら聞かないでしょ。先方はお父さんの上司の息子さんでね、お会いする前に断るのはちょっと・・。」
「だからと言って、僕に代われってのは極端すぎない?相手の方にも失礼じゃないの」
姉、由美子に見合い話が来ていたが当の本人は結婚など眼中になく、また一度決めた自分の考えを改めることはないときている。もちろん説得に説得を重ねたが由美子は相手の写真すら見ようともせず、全く気持ちを動かす気配はなかった。そんな彼女の性格を知り尽くしてる両親は、相手が相手なだけに容易に断ることも出来ず、妹の方にピンチヒッターを頼んだというわけだ。
「それは、なんとか大丈夫なのよ。お嬢さんに・・っていうお話で、由美子にって言われたわけじゃないから。ただ相手の方36とお聞きしてるの。あなたにはちょっとね、きっと由美子へのお話に違いないんだけど。だめかしら・・」
「う・・・ん」
「そんなに難しく考えなくていいのよ。一度だけ会ってくれたらお父さんからお断りしてもらうから」
父の上司か・・。
主従関係といえば言葉は悪いが縦の繋がりはやはりサラリーマンにとっては切っても切れないもの。
父親もある程度の地位には付いている。でも更に上はいるわけで。
こんなことで関係がぎくしゃくするのはやはり不本意だろう。いや、その上司という人が公私混同するような人間だったら、今後の仕事の行方に関わるのかも・・と最悪のことを考えれば母の言うとおり無碍に断ることもできない。
不二は仕方ないと言わんばかりに溜め息を洩らしながら、
「分かったよ・・一度だけでいいなら。」
姉の代役を務めることを承知した。
窓の向こうにぼんやり映る月からほんのり青みが帯びた光が自室に届く。
「お見合い・・か・・」
突然舞い込んだ見合い話と何とも切ない月の色に幸せだった自分をふと思い出した。
あの頃、不二はいつか手塚のお嫁さんになるのものだと思っていた。
誰かに聞かれたら大笑いされそうなことだったが、それでも頭に浮かぶのは手塚と暮らす自分の姿。
手塚のために早く起きて朝食を用意する。小さくてもいい、二人でお茶を飲みながら過ごせる庭をつくって、毎日草花に水遣りをする。
洗濯、掃除も頑張って、家の中は手塚がいつも寛げるような清潔な空間にしたい。時々寝坊して手塚に起こされる日があってもいい。
休日はのんびり近くの公園に散歩に出かけ、その後一緒に夕食の買出しをする。
そして大胆ながらもいつか二人の赤ちゃん―――
そんな極日常の幸せを描いた予想図もあの日足元から崩れ去った。
今となっては自嘲したくなるような馬鹿げた話。
あれからはもう二度と恋愛等することはないと思って過ごしてきた。
懲り懲りという気持ちもあったが、それよりも手塚以上に好きになれる人に出会えると思わなかったからだ。
そう思って男子のいない大学へ進んだ。意に反して男の姿はしつこいくらい目に付いたが、それでも気持ちが揺らぐことはなく、どんな誘いにも左右されることはなかった。
例え一度だけの建前上のものであったとしても、そんな自分が・・お見合いなんて。
軟派はおろか他大学の男子学生との合コンすら参加せず、異性との接触を避け続けてきたというのに。
しかも見合いとは結婚という男女間における最上級のハードルを担う行為ではないか。
不二は自分が滑稽で可笑しくなった。
今の不二に異性に対する感情なんてほとんどないのだから。
敢えてあげるとしたら昨年の夏、見事再デビューを果たした手塚国光への胸を抉る様な複雑な気持ち。
手塚の復帰トーナメントはもちろん予選から勝ち上がりノーシードで優勝まで持ち込んだ。舞台が全米オープンだっただけに一瞬にしてその名が世界中に知れ渡った。
まして日本人史上初の偉業となればメディアが騒がないわけがない。
そして手塚は様々なトーナメントを経て年明けの全豪オープンまで勝利に輝いたのだった。
こうなれば手塚国光の人気は不動のもの。
スポーツ関係の新聞、雑誌やニュースはもちろん、奥様向けのワイドショー、モデル雑誌にポスターにまで姿を見せ、不二を翻弄させた。
何で今更・・。
画面や冊子を通して、手塚に出会うたびに不二は苦しかった。
今ならきっと居場所も分かる。あの頃の勢いがあれば試合が行われる現地に駆け付けてでも手塚に逢いに行ったはず。
だが不二は手塚に逢おうとは思わなかった。
彼を恨んでいるからではない。
何が理由だったかなんて今となってはどうでもいい。
自分が手塚にとって必要でなくなった、それだけのこと。
その現実を知ってる今、彼に逢った所で自分の居場所等ない。
このままでいい―――このままでいいからこそ手塚への想いは胸に閉じ込めておくべきなのだ。
だからこそ手塚に逢ってはいけない。
秘めた想いが激しく湧き上がることが分かっているから。
××××××
「初めまして、不二周と言います」
都内の喫茶店で不二は見合い相手の男性と面会した。
いきなり両家の親や仲人口を立ててという格式ばったことをすれば、不二が緊張するのではとの相手の好意で、普通のデートをするように二人きりで待ち合わせることになった。
「初めまして、寺下晴海です」
「よ、よろしくお願いします」
形だけの見合いといってもやはり緊張するものだ。ここが何処かの一流ホテルや高級料亭じゃなくて幾分救われてはいるが。
寺下と名乗るその男性は不二のその様子をみてにっこり微笑んで言った。
「そんなに固くならなくていいよ。見合いなんて思わずにね。それよりこの店ケーキがおいしいんだよ。食べない?」
「は、はい。」
気取らない服装や柔らかな雰囲気でその場を和らげてくれる。
「まだ、大学生って聞いたけど」
「はい、S女子大に通ってます。この春から4回生です」
「じゃあ、21か2?」
「ええ、先月21歳になりました」
「かぁ〜〜〜!21になったばっかかあ。なんか年の差感じるなあ。ごめんな、こんなおっちゃん相手でさ」
くすっ―――不二からちょっぴり笑顔が漏れた。
一度きりの見合い相手とはいえ、父の上司の息子。
くれぐれも失礼のないようにと母から散々念押しされてきた。
聞いていたところかなりの高学歴の持ち主で現在も大手銀行のエリートということだ。
もちろん不二にそんな履歴はまったく関係ないものだったが、どんな堅物がやってくるのかと内心どきどきしていた。
しかし寺下はそれを衒うこともなく、ざっくばらんで楽しい雰囲気で不二に接してくれる。
年齢の差もさほど感じないほど。
「お待たせいたしました」
頼んだケーキと飲み物が運ばれてきた。
「なかなか男一人で食べにくいんだよね。周ちゃんがいらないって言ったらここまできて我慢しないといけなかった」
「え?」
「あ、ごめん。いきなり『ちゃん』付けなんて失礼だったね」
「いえ、それでいいです」
父に気を遣ってるわけではない。
相手が自分よりかなり年上だからなのか、気取らない性格に心を許してしまったのか、寺下のさらっとした言い方には好感を覚える。
名前を呼ばれてもちっとも嫌ではなかった。
「ケーキお好きなんですか?」
「うん。俺甘党なんだよ。周ちゃんも食べてごらん。ここのケーキ有名なんだよ」
「じゃあ、戴きます。・・・・わぁホントだ、おいし」
「だろう?遠慮せず、2個でも3個でもいっちゃいな」
「やだあ、太っちゃう」
くすくすと不二が笑う。
なんて事のない会話だが、こんな風に自然に笑ったのは一体何時ぶりだろう。
手塚と別れて以来、心から楽しいなんて思うことがなくなった。
同じ大学の友人とはそれなりに過ごしてきた。けれど中学、高校の時のようにわくわくするようなことに出会うことはなかったし、友達同士羽目を外して遊ぶこともなかった。あの頃はひとえにテニスが媒介となり青春を謳歌していたのだろう。
仲の良かった英二と久しぶりに出かけても、昔のようには騒げなかった。
いつも何処かで手塚を思い出してしまったのかもしれない。
年齢を感じさせない寺下だったが不二を気遣う優しさはやはり大人のもの。
初めから年若い不二が気後れしないようにと振舞ってくれているのだった。
あの日から、いや手塚が留学に旅立った日から一人で踏ん張ってきた不二。誰かに頼るなんてことは当の昔に忘れていた。
今、不二は寺下に導かれるように肩の力を抜いていった。
「ご趣味は?」
「え・・?」
難しい顔でいきなり見合いの王道のような台詞がなげかけられた。
きょとんとする不二に、寺下はくすりと笑いを洩らして
「なんてね、何か好きなことあるの?スポーツとかする?」
「あはは、テニスなら・・」
不二は自分で驚いた。
テニスなんて高校で部活を引退して以来ラケットも握っていない。
それなのに何故そんなことを言ってしまったんだろう。
「へぇ、テニスかあ」
「あ、でも最近はあんまり・・もうできなくなっちゃってるかも。僕・・・あ、いや私は・・」
「僕・・?」
思わず普段のくせで僕と言ってしまった。
「あの、すみません・・。母から注意されてたのについ・・。やっぱり癖って出るものですね。でも私って言うの照れくさくって。」
真っ赤になって言い訳をする不二に寺下は、
「あっはははは・・・いや、ごめん。一瞬、実は男の子ですとか言われるのかと思って」
「そ、そんなこと!僕、・・私は女です。胸には説得力ないけど」
「ぶっ――くっくっく、あははは」
「そんなに笑うことないでしょう」
不二はあまりの寺下の笑いっぷりにちょっぴりむっとして唇を尖らした。
「ご、ごめん。悪気はないんだ。でも周ちゃんっておもしろいよね。いいじゃん、僕でも。その方が個性的でステキだよ。」
「あ、ありがとうございます。」
おもしろいなんて言われたら反って複雑な気がしないでもないが、それでも悪い気はしなかった。
寺下が嘘のない自然体で接してくれるからだろう。
「じゃあ、今度テニス一緒に行かない?というか教えてください・・かな」
「くすくす――いいですよ。みっちり扱いてあげます」
あ、また・・・
言ってから気付く。またしても何故そんな事を言ったんだろう。
まして見合い相手ということも分かっていたのに。
次に会うと言うことは第一段階をクリアしたということになる。
しかも手塚を封印するためにやらないと決めたテニスをなんて。
だが不二は後悔はしていなかった。
その日の夜仲人から連絡が入る。
不二のことをとても気に入って可愛いお嬢さんだと言ってらしたとの事だった。
それは、結婚を前提にもう少しお付き合いしたいという意味を含むもので。
両親は姉の代役に見合いに向かわせただけということもあり、不二の気持ちも考えて今回ばかりは丁重に断りを入れるつもりだったのだが、
「いいよ、実は今日次に会う日を決めてきたんだ」
娘が予想外のことを言い出したものだから驚かないはずがない。
「周、父さんに気遣うことはないんだぞ。お前に結婚はまだ早いことは承知のうえだったのだから」
「そうよ、お父さんもお母さんもあなたを犠牲にしようだなんて思ってないのよ」
「犠牲だなんて!僕だって選ぶ権利くらいあるよ。頼まれたって嫌な時は嫌って言うから。でも寺下さんとっても楽しい人でね、また会ってみたいって思ったの」
誰かに導かれる、それがこんなに癒されるものなんだと初めて知った。
寺下に恋愛感情を持ったわけではない。
いい人・・・そう思っただけといえばそれまでだ。
それでも一緒にいた間不二は絶対的な安心感に包まれていた。
考えようによったら見合いなんて最初から相手に感情をもって望むものではない。
いい人から始まって恋愛に至るまでに結婚が決まってしまうのが殆どじゃないだろうか。
中には一生恋愛には発展しないカップルもいるだろう。それでも家族を作り共に生きていく。
幸福の形なんて人それぞれ、恋焦がれるものではなくても、激しく想いあうことができなくても、心安らぐ場所に幸せを感じるのかもしれない。
そして寺下なら自分を閉ざされた思い出の中から救ってくれるかもしれない。
不二はもう少し寺下という人物を知りたいと思った。
もし直感したとおりの人なら―――
結婚も悪くないような気がした。
今日は寺下と二度目に会う約束をした日。
不二は久しぶりにテニスバックを持って家を出た。
いい天気――
自分からテニスを遠ざけていたというのに、まるで解禁になったかのような晴れ晴れしい気分だった。
途中、駅で待ち合わせて予約をとっておいたコートに向かう。
「寺下さん、テニスの経験は?」
「学生時代にちょっとね。でももう10年以上前だから初心者も同然。お手柔らかに頼むよ」
「ふふっ、昔やってらしたならきっと大丈夫ですよ。なんて僕こそ久しぶりだから偉そうなこと言えないけど」
準備運動を済ませコートにはいる。
あれこれ基本を練習するよりはいきなり打ち合ったほうが、案外早く感が取り戻せるのではないかということで試合のポジションに付く。
不二からのサーブ。
強烈なサービスエースが決まった。
寺下はヒュ〜っと感嘆の口笛を鳴らす。
現役時代のようにはいかなくても不二のプレイはその辺の選手になんのひけも取らず、鋭いまでの打球が次々と相手コートに突き刺さった。
寺下も下手ではない。何とか不二の打球を返すこともあったが、インターハイに優勝するようなテニスの実力に叶うはずもなく。
「6−0、ゲームセット、僕の勝ち!!」
当たり前のような結果だったが不二は久々にゲームに勝つ快感を味わった。
「まいったー!っていうか実力が違いすぎるよ。さすがインターハイ優しょ・・」
と言いかけて寺下は慌てて口を噤む。
「寺下さん、知ってたの・・?」
余計なことを言ってしまったと自分の頭をぽんぽんと叩いて言った。
「ごめん、実は知ってたんだ。お見合いだからね、相手の情報はある程度入ってくるものだから。だけど試したわけじゃないんだ。いや、試したといえばそうなるのかな。」
「どういうこと?」
「実は初めて会う前にさ、周ちゃんのご両親からテニスの話題にだけは触れないでくれってお願いされてね。理由まではおっしゃらなかったけど、君にとって精神的な傷だからって・・・。ご両親も心配されてるみたいだった」
不二は驚いた。
両親が見合い相手にそんな要望をしていたことではなく、自分がテニスをやめた理由を見抜かれていたことに驚いたのだった。
「怒ったかな。でも僕はね、乗り越えるべきだと思ったんだ。何が君を追い込んだのか分からないけど、好きだったんだろうテニス。今日の周ちゃんを見てやっぱり間違ってなかったって思ってる。凄く生き生きしてた。君の本当の笑顔、ステキだったよ」
本当の笑顔・・手塚にも言われたことがある言葉だった。
何にでも愛想笑いをするなと怒られたときがあった。自分の感情をもっと表に出せと。
『いつも適当に笑っていたら損するぞ。笑顔の価値が下がる』
『何それ?どういう意味?』
『偽善は好きじゃない。少なくても俺には本気で接してくれ。本当のお前の笑顔が好きなんだ』
本当の笑顔が好き
本当の僕が好きといった手塚はもういない。
こんなに好きなのに、
思い出すだけで涙が出るほど今でも大好きなのに――
不二の瞳が揺れる。
大粒の雫がぽろぽろ零れ落ちた。
「ごめん、泣かせるつもりじゃなかったんだ。やっぱりこんなやり方酷かったかな。ホントにごめん」
不二の突然の涙に寺下はうろたえた。
不二のことを思ってのことだったが、目の前で泣かれるとやはり気まずいものがある。
「ち・・がう。違うよ、寺下さん。僕、嬉しいの、こんなに僕自身を見てくれる人がいるなんて。寺下さんとなら幸せになれそうな気がする」
「周ちゃん・・」
未だ涙が止まることはない。
それでも顔を真っ直ぐ上げて不二は言った。
「僕をあなたのお嫁さんにして下さい」
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